21−35 情けない薄情者
(なんだろう、ルシねぇの翼……突然、ブワッとなったよ?)
(う、うん……よく分からないけど、怒ってる……よね?)
(ガブちゃん、ラフちゃん。……ここはとりあえず、おててギュッてしておこう?)
神界に帰るなり、静まり返ったエントランスを突っ切って……ルシフェルが一直線に向かったのは、神界の主人であり、ゴラニアの神でもあるマナツリーのお膝元。そんな白亜の宮殿に、ウリエル達も同伴でやってきたものの。大天使階級ではマナツリーが「意識して」話しかけてこない限りは、彼女の言葉を判じることはできない。そのため、天使長と霊樹の対話は傍から見れば、ルシフェルの間抜けな独り言にも見えない状況だ。
そして、今のマナツリーはルシフェルしか話し相手として認識していない様子。だからこそ、彼女に付いて来る形でやってきた妹達には……マナツリーがどんな言葉を紡いでいるのかも、背中越しでも伝わる程の怒気を放つ姉の不興の理由も、分からない。そうして、分からないなら分からないなりに怯えては、互いに手を繋ぐ事で辛うじて泣くのを堪えていた。
「……ほぅ? それでは……何か? 貴様……今の今まで、アリエルを蔑ろにしてきたということか? それ以上に……言われるまで、気づかなかった……だと?」
マナツリーが相手だと言うのに……明らかに一方的に彼女を責める言葉を吐く、天使長。そうしていよいよ、12枚もある翼の末端の羽1枚1枚の全てを逆立たせて。ルシフェルがギリリを歯を鳴らすと同時に、拳を握りしめる。
「ル、ルシねぇ……どうしたの?」
「大丈夫……?」
「あぁ……怖がらせたようで、すまぬな。……だが、お前達にも無関係な内容ではないのだから、ここからは話を聞くがよかろう。それと……フン! そろそろ、私以外の相手にも積極的に語りかける度量も見せたらどうなんだ? この、卑怯者が! そんなんだから、最初に生み出した天使の事さえ、薄情にも忘れていられたのだろう⁉︎」
「最初に生まれた天使……?」
「それって……」
「ルシねぇにもお姉さんがいたってこと⁇」
あろう事か、ゴラニアの神でもあるマナツリーを卑怯者呼ばわりした挙句……ルシフェルが純白の霊樹を睨みつける。その鬼気迫る眼差しに、流石のマナツリーも動けないなりに気圧されたらしい。ようよう、か細い声を絞り出しながら、言い訳の続きを語り出す。
(す、すまぬ、ルシフェル。どうやら、多くの魂を取り込んできた結果……我の中にあった“アリエル”を作った時の記憶も埋もれてしまったようでな。今の我では、アリエルの委細を具に思い出すことはできぬ。少し、待っておれ。どれ……ここはマナのオリジンを引っ張り出すとしよう)
「オリジン……だと?」
(そうだ。……お前達も知っての通り、今の我は亡くなった天使達の魂の集合体でもある。公正な判断を複数名の意思の元で行うように、目まぐるしく自我も刷新しておってな。時折、弊害となる記憶は意思として留めぬよう、敢えて封印を施しておるのだ)
「……要するに、何か? アリエルを生み出した記憶は弊害だと判断されていたという事か?」
(いや……そういう意味ではない。この場合、弊害になるのはアリエルの……というよりは、マナの記憶の方だ。アリエルの存在はマナの女神しか持ちえぬ記憶に眠っておるので、引っ張り出さねばならん。……マナの女神は魔力のソースとしても強力だが、あれで我が強い部分もあるのでな。剥き出しのままで内包していると、彼女の私情が幅を利かせてしまい、やはり支障を来たす部分があらなんだ。だから、普段は封印しておるが……魔力に余裕がある時は使者という独立した形で、外に出しておった)
「本当に、呆れた体たらくだな……。マナの女神が不完全なのは、何となく理解していたが。ここまで、情けないとは思いもせなんだ」
今度は額に手を当て、呻くルシフェル。そうして、彼女がやれやれと首を振っている間に……ようよう、元凶でもあるマナの女神が姿を現す。しかし、ようやく顕現したマナの女神はいつもの「化石女神」なる幼女ではなく、しっとりと大人の色香を纏った淑女の姿であった。
「……その姿は、何か? 普段の化石女神とは違うとでも言いたいのか? 例え姿形が変わっても、情けない薄情者には変わらんように思えるがな?」
取ってつけたように大人の姿で現れた女神を、皮肉っぽく尚も詰るルシフェル。
確かに「始まりの神話」の中では、マナの女神は「輝かんばかりに美しい」とされていたし、実際にルシフェルの前に降臨した女神は比喩ではなく、本当に肌が僅かに発光している。間違いなく、容貌も美しい部類には入るだろう。だが……ルシフェルにしてみれば、かつての妹・ミカエルや、リッテルの方が遥かに美人だと思えてならない。
「うぬ……いきなりそう睨むな、ルシフェル。あれは妾の上澄みが活動していただけの、存在じゃ。……ちょっとした気晴らしで外に出ていただけで、今の妾の意思とは直接的な関係はない」
「また、ややこしい事を申しおってからに……。まぁ、いい。今の話で、どちらに転んでもマナの女神はとんでもない出来損ないであることは変わらんだろう。……これが我らが神の現実だと痛感させられたところで、失望以外の感情も湧かぬ」
(そう言ってやるな、ルシフェルよ。……まぁ、我もアリエルを見捨てたのは、褒められたものではないと思うが)
「大主、そこは妾を擁護する場面であろうに……」
自身が作り出した天使長には「出来損ない」と決めつけられて、失望されて。絶対的な味方でなければないはずのマナツリーにさえも、庇ってもらえず。そんな意図しない孤軍奮闘にもめげず、マナの女神は泣き出すことも堪え、殊勝にも「自分の理由」を淡々と述べ始める。
しかし……いくら本人(ここはオリジンと呼ぶべきか)が「本当のトコロ」を語ろうとも。彼女の理由もまた、ルシフェルが指摘したように「情けない薄情者」の言い訳に過ぎなかった。