21−32 約束の仕返し
グランディアがポツリポツリと語ることには。グラディウスの特殊な魔力は特に祝詞に作用するものらしい。
そう腕の中から聞かされて……ヤーティは少しでも影響を緩和できるかもしれないと、人の姿に化けた状態でグラディウスの廊下を疾走していた。
(ふぅむ……この姿であれば、多少は融通が利きそうですか? 魔力解放をしていない状態であれば、ある程度は祝詞を守ることができるようですね。……ですが、安心していい訳でもなさそうです)
しかしながら、祝詞への影響を最小限に留めるだけで済む程、単純な話でもないらしい。グランディアによれば、グラディウスが真っ先に手を伸ばすのが祝詞なだけであって、魔力の器への影響もゼロではないそうだ。故に……魔法を使える者は須く、グランディアの毒牙の対象となる。
「それにしても……すまぬな、ヤーティ。今の私はさぞ、重いだろうに」
「ご冗談を。あなた様程に、スリムでか弱いレディを重たいなどと申したら、紳士失格もいいところです。それに……レディの体重と年齢を話題するのは、マナー違反というもの」
「……そうなのか?」
グランディアの体は元・ヴァルプスの物……つまりは機神族の体であり、彼らは例外なく鋼鉄の塊である。今のグランディアの目方はとてもではないが、決して可愛いものではないだろう。
故に、グランディアが気を遣うのも当たり前と言えば、当たり前なのだが……対するヤーティは上級悪魔である以上に、鍛えに鍛え抜かれた生粋の執事。所作やマナーに対する厳粛さはもちろんの事、ヤーティの美学(こだわりとも言う)を支えられるだけの実力や体力も磨いている。普通の男性であれば「痩せ我慢」を強いられる局面であろうとも、涼しい顔で応えるだけの余裕を持つこと。それこそが、ヤーティが目指している自己実現の一環であった。全ての所作を美しく、スマートに……それでいて、相手に無駄な心配や遠慮をさせることもしない。比較的怒りに飲まれにくいとされるアドラメレク達の中でも、ヤーティが頭抜けて冷静沈着なのは……普段から彼がコッソリと実践している、美学への執着によるものなのかも知れない。
「しかし……このまま無作為に走っているだけでは、外に出ることはできなさそうですね。さて、どちらへ進むべきか……」
だが、未踏の地で迷わず脱出するのに必要なのは美学ではなく、土地勘だ。魔界への帰巣本能こそあるものの、それは複雑に入り組んだグラディウスを強行突破できる能力ではない。
「さっき、グラディウスに侵入者があったようでな。何かを爆発させたようで、土手っ腹に穴が空いたままなのだ。……そこの角を右に曲がれ。そして、その次の角も右に進めば……大穴が空いているポイントにぶつかる」
「ほぉ、そうだったのですね。では……ありがたく、そちらを使わせていただきましょう」
「しかし……急いだ方がいいだろう。新しい神が生まれたことで、グラディウスは主人も鞍替えしている。……姿形が急激に変わり始めているのを見ても、いつまでも穴が開いているとも思えん」
迷い子に道を示すのは、女神の役割と……今度はヤーティにヒントを惜しげなく与えるグランディア。先程までグラディウスに再接続を余儀なくされていた彼女には、城内のルート情報も残されていた。なので、リヴァイアタン(主にリッちゃんファイナル)の暴挙で出来上がった勝手口がどの位置に出来上がったかも、うっすらと把握している。
そんなグランディアの指示に従って、もう一踏ん張りと長い廊下を再度疾走し始めるヤーティ。記憶も意識もしっかりしているため、まだ耐えられるだろうと余裕の笑みを浮かべては、グランディアを抱え直す。そんな彼を見上げて……グランディアもホゥと、安堵のため息をついた。
(この調子であれば、ヤーティだけは逃してやれそうだ。それに……私が側にいれば、囮にもできよう)
ヤーティがここまで不自然な程に無事なのは、おそらく自身の体の方が親和性が高いからだろうと、グランディアは胸算しては……いよいよ、終焉の時を悟る。ギリギリと軋む体は既に、思うように曲げることすらできない。失ったままの右腕の痛みなんて、とうに感じなくなっている。……もう、命の残りも食い尽くされようとしている。
「……ヤーティ。最後に1つ、頼みを聞いてくれないか」
「最後……ですか? 何をおっしゃるのです。まだ、最後の時ではありませんよ。諦めてはなりません」
「いいや。……最後の時だ。間違いなく。私の体は……硬化の段階に入っている。私は新しい世界の踏み台でしかないのだ。生きていようが、いまいが……もう関係のない、世界にとって不要な存在に成り下がっている」
「……」
新鮮な空気の流れをようよう感じられるようになった頃。ヤーティの腕の中で、身じろぎ1つ許されないままのグランディアが、最後の願いを呟く。
「今の私の体は、ヴァルプスという機神族から奪ったものでな。……元々、このグラディウス……いや。ローレライの正常化プログラムを搭載した、特別仕様の精霊だった。だが……ふふ、愚かなことに、私はそのヴァルプスの自我を食い荒らして、体を乗っ取った」
虚飾の大悪魔・バビロンの「相手を取り込む能力」を悪用し、グランディアはヴァルプスを存在丸ごと、自らの肉体としていた。そうして機神族の体を得たが故に……グラディウスは彼女を囚人としても、接続先としても最適な存在だと認識したらしい。だが……その接続はあくまで、グラディウス側が一方的にジャックを差し込んだだけの、単一方向リンクによる情報の注入だった。グランディア側からの介入は許されていない。
「だから、ヴァルプスの持っていた正常化プログラムは未だに、このグラディウスに打ち込まれぬままになっていてな。そして……この姿のままでは、差し込まれる側にしかなれない」
「では、どうされるとおっしゃるのですか? ……曲がりなりにも霊樹だったグラディウスに介入するなど、一介の精霊や悪魔には無理な事でしょう。……それは天使だったとしても、同じ事だったかと」
「そう、だな。まぁ、話は最後まで聞け。……私には1つだけ、グランディアへの介入を許される鋒が残されている。そして……今の機神族の体であれば、それと同化もできよう」
「同化……? あなた様は一体、何と同化されようと言うのです?」
僅かにさえ動かぬ体ながらも、幸いにも舌は憎たらしいまでに滑らかに動く。そうして、今まで口ばかりだった自分に相応しい機能の残り方だと自嘲しながらも、グランディアが唯一残された「持ち物」を呼び出した。
「これは……まさか⁉︎」
「あ、あぁ……そのまさか、だ。……こいつは私が遥か昔に、調和の大天使から騙し取ったロンギヌスの半分でな。もう半分のロンギヌスと同じく、本物としての性能も残している。実は、な。このグラディウスはロンギヌスを複製した魔法道具素材を用いて、殆どの組成を賄っているのだ。だから……オリジナルのロンギヌスを用いれば、グラディウスを穿ち、正常化プログラムを打ち込むこともできるだろう。所詮、このグラディウスを覆っているのは、レプリカ……偽物でしかない」
それなのに、偽物の女神から本物のロンギヌスが出てくるなんて……驚いたか? そんな悲しい皮肉を溢しながら、後戻りはできぬと……細くなっていく呼吸を整え、グランディアは望みの続きを綴り切る。
「お願いだ、ヤーティ。私の命はもう、永くない。グラディウスに見捨てられた時から、この身は動くことさえままならぬ。だが……まだ、こんな私にもできる事があるみたいでな。このロンギヌスと同化し……ヴァルプスの持っていた正常化プログラムごと、お前に託す。そして……」
「……その先はおっしゃらなくても、大丈夫です。ロンギヌスを本来の持ち主……今の調和の大天使にお渡しすればいいのですね」
「ふふ。流石、切れ者の執事だな。……その通りだよ」
それに、な。
グランディアが辛うじて力ない笑顔を浮かべながら、ヤーティに約束の仕返しを囁く。
「私というデコイがあれば、お前はグラディウスの魔力の影響をあまり受けずに済むだろう。……機神族の体の方が、ここの魔力との親和性が高いのでな。水よりも、樹木が瘴気に侵されやすいのと同様に……悪魔の器よりも、機神族の器の方がグラディウスが手を伸ばしやすいのだよ。そして、そんな私が魔法道具となれば……お前の道中くらいは守ってやれるだろう」
「……承知しました。あなた様の御心……このヤーティ、しかとお受け止めいたしましょう。そして、その花のように美しい笑顔を決して忘れないと、改めてお約束致しますよ。これから先も、あなた様の存在は私の中で咲き続けるに違いありません」
「そう、か。ハハ……それはどこまでも無様で……本当に素晴らしいことだな。いや……本当に間抜けすぎて、自分が嫌になりそうだ。そう、だな。何も、万人に愛される必要も、認められる必要もなかったのだ。全てにおいて1番ではなく、誰かにとって1番になれたのであれば……それで、よかったのかも知れん」
「その通りですよ、レディ・ミカエル様。……たった1人であろうとも。この広い世界で愛し、愛される相手がいる事は、何よりも素晴らしい事なのです。そして、今ここで……私があなた様にとっての愛する者になると、誓いましょう」
「ふっ……こんな私でも、花と愛でてくれる者がいるだなんてな。だが……お前のおかげで、ようやく……少しだけ、自分が好きになれそうだ」
最期に自分を見つめてくれる相手がいれば、寂しくはない。それが悪魔だなんて。こんなにも皮肉で、奇跡的で……それでいて、素敵なこともあるまい。
(ありがとう……)
か細く溢れたグランディアの最後の呟きはもう、ヤーティには届かないけれど。彼女から放たれていた寂光が鎮まると同時に、ヤーティの手にさも当然と吸い付くように収まる、ロンギヌス。その手触りは悪魔が苦手とする光属性の塊の割には、どこか慈愛に満ちていて。どこまでも優美に、柔らかく……しっかりと彼の手に馴染んだ。