21−25 手柄は横取りされるくらいが丁度いい
(はず、だったのだけどね。……本当に、私は悪運だけは強かった。人間界で生き延びられた以上に……まさか、天使として転生する事になるんて)
何気なくついた嘘が、本当になってしまった。
アルーは天使となり、再び「アリエル」を名乗ることになった一方で……神への不信を吹き込まれたスウィフトは、憤怒の悪魔へと堕ちていった。しかも、アルーのやり口が非常によろしくなかったのだろう。彼女のついた嘘は、スウィフトの信仰心や忠誠心をも踏み躙り、死を選ばせたという生への逆行の幇助という意味でも、裏切りだと判断されたのだ。きっと、スウィフト自身はアルーに裏切られただなんて、大それたことは考えていなかったに違いない。だが、悪魔の闇堕ちという側面から考えた時、彼の最期は闇堕ちを唆された「裏切りの被害者」という条件に当てはまってしまったのだ。
神への信仰を捨てさせる背信行為、自分への信仰を捨てさせない執着心。
アルーの存在はスウィフトの人生に多大な影響を与えたと同時に、払拭しきれない影をも落とした。彼女がいなくなってしまうと、人生はお先真っ暗だという、あからさまな勘違いは……脆弱な人間でしかなかった召使いにしてみれば、死を選ばざるを得ないほどの死活問題でしかない。
本当は生きていても問題なかったはずの命を摘む事。本来は生きているはずの命を断ち切った事。アルーの行いはある意味で、スウィフトの純粋かつ純朴な自身への敬愛を悪用しただけに過ぎなかった。それなのに……アルーは聖痕があったからという理由だけで、天使へと転生した。片やスウィフトは「諸悪の根源」とまで誤解されていた悪魔に身を窶したと言うのに。裏切った者は神界へ、裏切られた者は魔界へ。これ程までに、理不尽に皮肉めいた現象はそうそうないだろう。
(だけど、転生先が違う以上……もう会うこともないと思っていたの。まさか、スウィフトが私を探しに人間界に出てくるなんて、思ってもみなかった)
いずれも転生ではあるが。行き先が神界と魔界である以上、交わることもないと思われた。だが……運命というのは、本当に悪戯好きである。
スウィフトは悪魔としての頭角を表しただけではなく、生来の生真面目さが災いし、まだまだ未熟だったサタンの世話焼きの中で「かつての自分も召使いだった」ことを思い出してしまう。最初は朧げに、だが……仕えるべき主人に対する違和感は段々と大きくなって。それなりに長い時間を魔界で「悪魔として」過ごす間、彼はずっと自身の中に居座る「違和感」に苛まれていた。そうしてとうとう、彼は自分の主人が男性ではなく、女性であったことも記憶の中からほじくり返す。そして……段々とサタンの身の回りの世話の合間に、人間界へ彷徨い出るようになっていった。
(アドラメレクは主人に裏切られた怒りで闇堕ちする悪魔だと、聞いてはいたけれど。……スウィフトはそれすらも無自覚だったのだから、本当に馬鹿で……真っ直ぐな奴だったわ。……本来は悪魔になるはずの人間じゃなかった)
きっと、スウィフトの闇堕ちは彼女のせいなのだろう。しかも、悪魔が「2度目の死」を迎える事は「魂の完全消滅」を意味する。それすら、当時のアリエルは知らない事ではあったが。……ルシエルが持ち帰った報告書には、エルダーウコバクから得た悪魔の通説もしっかりと書かれていた。
《1回でも闇堕ちを経験したら2回目はない。悪魔が2回目を迎える時は、それは完全なる死……魂の消失を意味する》
それが正しいのならば。……スウィフトはとっくに、「完全なる死」を迎えたことになる。そんな情報までもが、下級天使にも浸透するようになって初めて、アリエルもその時ばかりは、申し訳ない気分になりはしたが。それでも、アリエルはスウィフトを見限ったことを後悔していない。
無論、アリエルとてスウィフトを2度も裏切るのは、心苦しい。だが、マナの女神への復讐を達成するには「身元」が露見するのを何が何でも防がねばならない。だから……アリエルはスウィフトを敢えて見捨てた。それに、天使としての忠誠心を見せ、信頼を得るには大天使に取り入るのが手っ取り早い。彼女達は揃いも揃って、下級天使であったアリエルを見下し、彼女の言葉にも真剣に取り合わなかったが。それでも、観測値としてはしっかりと「大物悪魔」として出現したスウィフトのデータの方を信用し、アリエルの思惑通りだなんて露知らず……排除の大天使・ウリエルは嬉々としてアリエルが目論んだ証拠隠滅も含めて、大物悪魔の討伐を成功せしめる。彼女の成功体験には、アリエルの報告は「最初からなかったこと」になっていたが。寧ろ、アリエルの存在は忘れてもらえないと困るのだから、手柄は横取りされるくらいが丁度いい。
(でも……もう少し悪魔との和解が早ければ、スウィフトは死なずに済んだのかもしれないわ……)
不意のノスタルジアに見舞われて、アリエルが気を持ち直そうと周囲を見やれば。やや浮ついた調子ではあるものの、精霊達に混じって力を振るう悪魔達をしっかりと信頼し、彼らと協力して敵に立ち向かう天使達の姿がある。この嘆かわしいはずの「堕落」が、当時の神界にもあったのなら。きっと、スウィフトと話し合う機会も、場合によっては彼を復讐の協力者として引き込むこともできたかもしれない。
下級天使の身の上では、目立たない反面……できることも限られる。人間界に降りて工作する時間だって、ごくごく僅かだった。しかし、今の神界はどうだろう。人間界に「観光ツアー」と称して天使が降りる事も肯定されているならば、魔界に「遊びに行く」だなんて、かつては非常識とさえ思えた交遊さえ認められている。
(本当に……何もかもが、遅いのよ! 天使も、そう。悪魔も、そう。そして……私も、そう。どうして……どうして、もっと早く気づけなかったの?)
悪魔とだって仲良くできることを。そして……自分の存在そのものを。結局、アリエルの存在をしっかりと認識し、価値を見出だしたのは新しい調和の大天使のみである。同じ調和部門の天使達からは「仲間」だと思われているようだが、肝心のマナツリーは未だに、アリエルには言葉1つかけてこない。
いくらアリエル側が狙って目立たぬようにしていたとて、無関心ほど、相手を傷つける所業はない。産みの親に存在を認められ、彼女にこそ愛される事を何よりも本当は望んでいた「失敗作の天使」にとって……マナの無関心は、復讐心の燃料となり続ける。
(何れにしても……もう、潮時かしら。随分と時間がかかってしまった気がするけれど……あの子が目覚めた以上、私も向こう側へ帰った方が良さそうね……)