3−28 お頭のためにも頑張ります
相変わらず、趣味の悪い屋敷だなと思いつつ。仕方なしに、廊下を進む。ここに来たからには、まずはベルゼブブに挨拶、だよなぁ……。
「ベルゼブブ、いるか〜?」
「ワォ、ハーヴェン。お久〜。その後、どう? お嫁さんとイチャイチャしてる?」
吐き気を催しそうなカウチに横になりながら、いつもながらに下世話な挨拶をかましてくる大悪魔。このやり取りだけで妙に疲れるが、今回はお願い事もあるし我慢するしかないか。
「あぁ、まぁな。それなりに。で、今日はお願いと相談事があって来たんだけど、大丈夫か?」
「ん? なになに?」
「ま、それはさておき。先日は色々と世話になったな。お礼と言っては、何だけど。とりあえず、ザッハトルテ作って来たから後で食えよ」
「ザッハトルテ⁇」
「いわゆる、チョコレートケーキだ」
ベルゼブブの前に据えられている、これまた妙に気色の悪いローボード。食べ物を置くのさえ憚られる、ローボードの上に……子供達に持たせたのと同じ箱を差し出す。
「わぁ……ナニコレ? ナニコレ?」
「人間界のレシピなもんだから、お口に合うかどうかは分からんけどな。とりあえず説明しておくと、結構由緒ある伝統菓子なんだぞ。尚、材料の出どころは嫁さんの稼ぎだから、そこんところもよろしく」
「そうなの? まぁ、折角だし……ちょっと味見しようかな?」
「あ、ベルゼブブ様。ハイ、ナイフとフォーク」
「お、サンキュー。コンタローは向こうに行ってから、随分気が利くようになったね? 偉いぞ〜」
「ありがとうございますでヤンす。おいら、向こうでも頑張ってますよ?」
「そうか、そうか〜」
そう言いながら……コンタローから受け取ったナイフとフォークで、ザッハトルテにいきなり齧り付くベルゼブブ。そんな勢いも激しい主人の膝を、汚してはいけないと思ったのだろう。慌ててコンタローが次元袋からナプキンと皿も追加で取り出し、主人の膝元に乗せる。
「うんまぃ、ナニコレ⁉︎ なに、ハーヴェンはこんな物を作る才能もあったの⁇」
「いや、俺はそういうのを作りたくて人間界に飛び出したんだけどな……。まぁ、いいや。でさ、それをやったから、って訳じゃないんだけど。3つ程、協力してほしいことがあるんだが。……いいかな?」
「ん? なぁに? またこれを作ってくれるんだったら……僕、なんでも言うこと聞いちゃう」
「そ、そうか……」
余程、ザッハトルテを気に入ったらしい。ベルゼブブが口の周りをチョコレートだらけにしながら、あっけらかんと答える。それにしても……こいつはもう少し、上品に食べられないんだろうか。
「1つ目は……もう1人、ウコバクを借りたいんだ」
「ウコバクを?」
そう言いながら、とりあえずソファに腰を下ろす。嫁さんの評判も散々だったこれは……座り心地は確かに悪くはないものの、気分的には色々と抉られるものがある。そんな俺の膝の上に、コンタローがそそくさとやってきては、ちょこんと座る。
「あぁ。嫁さんの契約している中に、竜族がいただろ?」
「うん、確かにいたね。今時……竜族を従えてる天使がいるなんて、ビックリだよ。それこそ、彼らは天使にいい感情を抱いていないと思ってたし」
「あ、ベルゼブブもその辺の事情は知っているんだ?」
「一応ね〜。天使が1匹のドラゴンを見捨てたせいで、人間界に魔禍が溢れる結果になったんだし。どっちが悪魔だよ、って思ったよ? 本当、天使って奴らは……意外とロクなこと、しないよね〜」
「……」
「あ、おっと。ごめん、ごめん。ハーヴェンのお嫁さんはその天使だったね。ルシエルちゃんはいいんじゃないの? ぺったんこだけど……少なくとも、お前のことを裏切るなんてことはなさそうだし」
ベルゼブブはフレンドリーで軽いノリの分、相手が傷つくかもしれないことを包み隠さず口にする部分がある。その上で話好きだから、度々脱線しそうになる話を元に戻すのにも結構、疲れる。
「話、戻していいか?」
「うん、いいよ?」
「でさ、その竜族の1人が……コンタローをえらく気に入ってな。手元にウコバクを置きたいだなんて、言い出したんだ。まぁ、竜界は魔力も潤沢だし、相手もどうもウコバクが可愛くて仕方なくて、そんな事を言い出したみたいで。だから、貸し出しても問題ないと思って、返事しちまったんだが。……大丈夫だろうか?」
「別に構わないよ? コンタローも外に出るようになってから、できる子になっているみたいだし。今はウコバクの仕事もそんなにないし……僕の屋敷で燻っているよりは、いいかもね? で〜? やっぱり……大人しい子がいいの?」
「そうだな。相手にはウコバクは悪魔で、本来の役目上、火を使えることは伝えてあるけど。気性が大人しいに越したことないかな」
「そっか。それじゃ、クロヒメを貸し出そうかな? クロヒメ、クロヒメ‼︎」
ベルゼブブに呼ばれて、竜界派遣の候補に選ばれたクロヒメが部屋に入ってくる。そうして彼女は俺の姿を見つけると……緊張した面持ちの中に、ちょこっと嬉しそうな表情を見せた。
「お呼びでしょうか、ベルゼブブ様……あ、お頭。ご無沙汰しております」
「よぅ、クロヒメ。元気してたか?」
「はい、お陰さまで」
コンタローより一回り大きな体の、長毛種のウコバク。しっかり者で仕事の手際もいい、優等生だが……女の子ということもあってか、性格は控え目で従順。確かにクロヒメなら、預けても問題ないかもしれない。
「竜族がコンタローを見て、ウコバクの可愛さに目覚めたんだって。それで、ど〜しても1人貸して欲しいって……ハーヴェンにお願いが来たらしい。そこで、クロヒメ。お前に竜族の所に行ってもらいたいんだけど、いいかな?」
「私でよろしいのですか? 竜族は精霊の中でも、高貴な種族だと聞いていますが」
「うん、君なら大丈夫かな? もちろん、いじめられたりしたらハーヴェンが駆けつけるから、安心していいよ」
「かしこまりました。私でよろしければ、お頭のためにも頑張ります」
コンタローのホンワカした雰囲気とは違い、キリッとした答えが返ってくる。だけど、何故か……キリッとした返事のついでに、クロヒメが鋭い様子でこちらに向き直る。
「あの、お頭」
「ん? なんだ?」
「いつの間に、コンタローはお頭の膝の上を独占する地位に上り詰めたのでしょうか?」
「はい?」
「だって、ズルいじゃないですか! 普段、私達はお頭に頭を一通りナデナデしてもらうことしかできないんですよ⁉︎ それなのに、なんでコンタローが堂々とお頭の膝の上に座っているんですか⁉︎」
見れば、つぶらな瞳にはうっすら光るものが見える。それを見て……コンタローが慌てて、クロヒメに席を譲るように俺の膝から飛び降りた。
「あわわ、クロヒメ……お頭の膝の上、譲るでヤンすから。泣かないでくださいでヤンす」
「そう? じゃ、遠慮なく」
その涙、もしかして演技だったのか? ……と思える程にコロリと機嫌を直すと、俺の膝の上に鎮座するクロヒメ。コンタローよりサイズが大きい分、少々重いがモフモフも絶賛増量中。このモフモフであれば、マハも大喜びだろう。
一方で……俺の膝の上を取られて、クロヒメの代わりに涙目になっているコンタローを俺の隣に座らせて慰める。その様子を見て、俺達全員の親玉であるはずのベルゼブブは、随分と愉快そうだ。
「いや〜、モテる男は辛いね〜」
「茶化すなよ」
「まぁ、いいや。竜界に行ってくれるって言ってるし、クロヒメにも鍵と次元袋をあげておこうね。そんで……これも持っていくといい」
上機嫌かつ乱暴に、ベルゼブブが俺に黒革の手帳らしきものを放ってくる。これは確か……。
「……また、妙な魔法道具を……。これ、転送交換日記だよな?」
「ピンポ〜ン。とりあえずハーヴェンとクロヒメ、それぞれ名前を書いておけばメッセージを互いの元に届けてくれるよ? 使い方は知ってる?」
「あぁ。確か、中表紙にメッセージを交換したい者同士で名前を記入。伝えたいことを中のページに書いて、中表紙に記入したものと同じ形式の署名をして、鍵をかける。最後に放り投げれば、もう片方の相手に届く……だったか?」
「そうそう。これもクロヒメに持たせるから。お互いに名前を書いて、困ったことがあったら伝え合うといい。万が一、クロヒメがいじめられるような事があったら、助けに行ってあげて」
「了解。……にしても、こういうところはヤケに気が利くよな? ホント、頭が上がらないよ」
「ま、僕達大悪魔は配下の悪魔の子達が元気よく、自分の欲望に忠実に楽しく暮らせるようにするのが、仕事だからね。みんなが欲望に忠実でいるお陰で、ヨルムツリーも絶好調だし……僕としては、問題ないかな?」
「ヨルムツリーって……ルシファーがいる所の、アレだよな?」
「うん、それそれ。魔界の玉座を飲み込んでいる、始まりの霊樹さ。この樹は、まぁ……相当にひねくれ者でねぇ。僕らが楽しく、おかしく暮らしているプラスの感情を吸って、魔力を吐き出しているんだよ。だから、僕らも面倒見ている悪魔の子達が欲望を邁進できるよう配慮している、って訳なんだけど」
「そう……だったのか?」
あの凶悪な立地に生えている霊樹が……プラスの感情を吸って、魔力を吐き出している? 陰気な場所に根を下ろしている割には、随分とゴキゲンな霊樹だな、オイ。