21−21 皮肉な手違い
「君には感謝しているよ? だって……アリエルが気まぐれに見つけた、母親代理の殻を壊してくれたんだから」
彼の言う「母親代理」はそれこそ……クシヒメだろうなと、グランディアは了解すると同時に、薄ら寒いものを感じている。そう、グランディアはただただ、勘違いしていたのだ。ローレライに巣食うのは、太古の女神・クシヒメだけだろうと。しかし……実際には彼女は果実の「皮」に過ぎなかった。クシヒメという皮を消化して剥き出しになったのは、清らかさと禍々しさが同居する、神界の落とし子。それにしても……リンゴからヘビが生まれるだなんて。こんなにも醜悪なお伽噺も、なかなかないだろう。
「意外としぶとい上に、執着心も強いんだもん。僕をなかなか放してくれなくて、困っていたんだ」
「……お前の言う母親代理とは、クシヒメの事だろう? ……そう、か。私が禁断の果実を食した事で、お前の外殻が解除されたのか」
「うん、そんなところだね。あっ、因みにね。アリエルは彼女のこと、半魂の女神って呼んでいたな。多分、マナに殺された時に壊れちゃったんだろうね、こっちの方は。僕が預けられたのは“悪い方の”ってタダシが付くんだから……アリエルも相当に趣味人だと思うよ。復讐のためには、同じように悪い奴を使うのが手っ取り早いものね」
自由を再び失ったグランディアには、目の前の少年……セフィロトが語るお伽話に耳を傾けるより、他にない。だが、それ以上に……マナが敢えて語ってこなかった事実を前に、グランディアはかつて天使だった頃の記憶が、好奇心で存分に刺激されるのも感じていた。
彼が語るのは、あからさまな「神界の汚点」。出来損ないの天使は結局……天使として生きることさえ許されず、人間に混じって「教祖」としての人生を歩まざるを得なかった。しかも、彼女は天使と違って寿命さえ設けられている。だが、宿命の手違いか、はたまた運命の気まぐれか。……彼女には確固たる寿命と一緒に、しっかりと聖痕が刻まれてもいた。
「君は始まりの天使だから、知らないだろうけど。……人間界から昇華した天使は、生前の記憶を失うことなく転生するものでね。きっとアリエル……いや、アルーに聖痕が刻まれていたのは、ただのエラーだったのかも知れない。だけど、皮肉なことに……そのちょっとした手違いで、アルーはもう1度神界の聖地を踏むことになった」
皮肉な手違いが、果たして何を産んだか? その答えは至極、単純明快。アルーだった天使が選んだのは、自分を呆気なく「出来損ない」として放り出した、ゴラニアの神への復讐のみ。しかも彼女には、神界で生み出された時の記憶も、人間として止むなく生きた記憶も残っている。
「だが……翼を取り戻したらば、神界で復讐を企てるのは無理がある。……天使の翼はマナツリーの束縛が形になったものだからな」
「うん、知ってる。天使の翼はマナツリーへの隷属の証。天使達を天使たらしめる魔力の供給器官であると同時に、翼が白い限りはマナツリーの常態的な干渉を受けざるを得なくなる。……君もマナツリーから自由になるために、苦労していたものね」
そう、グランディアが「ミカエル」だった頃、彼女はマナツリー……もとい、姉であったルシフェルを出し抜くために悪魔との取引さえもを是したのだ。それもこれも、マナツリーの干渉から逃れ、ドラグニールを祭り上げて自分が「1番」になろうとしただけのこと。しかし……ミカエルの「努力」はドラグニールの反駁を前に、報われることはなかったが。
「だけど、アルーは神界の始まりさえも知っていたからね。マナツリーの束縛から逃れる方法を、元から知っていたのさ」
「何だと……?」
もし、そんな方法が最初からあったのなら。自分の努力は何だったと言うのだろう。
グランディアはまたしても繋がれた身の上に嘆くと同時に、腹立たしさを覚える。なかなか自由に、そして……1番になれない状況には、いよいよ嫌になってしまいそうだが。それでも……今は目の前の少年を利用するのが賢い手段だろうと、努めて彼の話に耳を傾け続ける。
「あっ、言っておくけど……その方法は君には取れない手段だよ。大天使・ミカエルと、出来損ないの最下級天使では、マナツリーの注目度も全然違うから」
「ほぅ……?」
「ふふ。最初から大天使だった君には、分からないだろうね。翼が増えれば増える程、マナツリーの束縛の強度も増すことを。……だから、もう1度アリエルと呼ばれるようになった彼女は、始まりの天使だった頃の知識と、下級天使が故の放任をと存分に利用して……当時のシステムに細工を施した」
「細工、だと……?」
秘密裏に神界で行動するには、神界のシステムそのものを欺けばいい。再び天使となったアルーは始まりの天使だったにも関わらず……下級天使として再出発をすることとなる。だが、下級天使であることこそが彼女にとっては何よりも好都合であった。
「そうさ。……君達が間違いだらけの欠陥品になるように、天使の選考基準を緩くしておいたんだ。最初は“清らかで魔力の高い乙女達”だけに聖痕を刻む仕組みだったのを、ちょっと魔力があるだけでも反応するようにしていてね。天使の質自体を下げるように仕向けていた。おかげで……君達始まりの大天使達は威張っていられたんだろう? 力なき者には強者へ意見を述べるなんてこと、できないからね。高慢なだけで、何の役にも立たない大天使達の軌道修正がされないように、敢えて他の天使の能力を削いでいたんだ。それなのに……ふふっ! 君達は自分達は偉いんだなんて、勘違いしていたよね。……ここまで愚かだと呆れて物も言えないと、アリエルは嗤っていたよ」
「愚か」だと遠回しに罵られて、神経が粟立つのを確かに感じる。機械仕掛けの体では、既に鳥肌がさざめく事はないが。冷たい事実に撫でられて、確かに心が恐れに縮むのを……グランディアは感じずにはいられなかった。
「し、して……そのアリエルは今、どこにいるんだ?」
それでも、グランディアはようよう最も気になっていることを辛うじて尋ねる。それ程までに神界で「猛威を振るった」天使が、そう易々と息を引き取っているとも思えない。自分が彼女の掌の上で踊っていたこと以上に、アリエルの動向は今なお、脅威として残っているのには変わりない。現に……自分の不自由を差し置いて、自由を謳歌しているセフィロトは彼女の「思し召し」で生き延びたのだろうから。
「あぁ、そのこと? ……アリエルは今も天使をやっているみたいだよ? しっかり復活した調和部門の最下級天使として、それなりに楽しんでいるみたいだけど」
「は……?」
しかして……セフィロトの答えは呆気ない程に、意外なものだった。