21−16 所有物の証
プランシー(カレトヴルッフ)の述懐に飲み込まれつつあるヤーティに、更なる好奇心のタネを与える裏切り者。今度は「ジョセフォアルチガシア」とはどんな存在なのかを、言葉巧みに示し始める。そうされて……プランシーの「真意」を暴こうとしているヤーティにはもう、彼の言葉しか届かない。
「ジョセフォアルチガシアはかつて存在したと言われる、世界最大のネズミですよ。とは言え……彼女は前歯が自慢の時点で、実像はかけ離れていますがね」
「彼女……?」
「えぇ、そうです。おそらく、ヤーティ様もご存知だと思いますが……かつての魔界には今の真祖様の他に2名程、原初の悪魔と呼ばれる方がいたのです。そして……その片方が、このジョセフォアルチガシアの紋章の持ち主でしてね」
「彼女と言われている時点で……あぁ、そういう事ですか。……あなたがおっしゃりたいのは、虚飾の真祖・バビロン様のことでしょう。しかし、今のバビロン様は天使様達の庇護下にあったかと。それがどうして、あなたに紋章を刻む話になるのです」
バビロンの本性は「ネズミ」なのだと、ベルゼブブからも聞き及んではいたが。とは言え、ヤーティは原初の悪魔……アケーディアとバビロンは配下なしの真祖だったと記憶している。しかも、アケーディアの紋章を刻む能力はエンブレムフォースを乱発することで「絶対逃避」を備えた配下を無理やり作るための手法であり、現任の真祖達のそれとは大幅に理論が異なるらしい。
「しかし、アケーディア様はともかく……バビロン様はそもそも、自分が何者なのかさえ忘れている状態だったと、聞いておりますが? ともなれば……ふむ。やはり、あなたの理論には無理がありそうです」
「おや……誰がバビロン様に紋章を刻まれたと申しましたか? 私に“所有物の証”を刻んだのは、女神様に他なりませんよ」
所有物の証。明らかに自虐を含んだプランシーの声色に、ヤーティは今度は同情を募らせる。いくら裏切り者と息巻いてみたところで、相手はかつての同僚。聞けば聞くほど、傷口を広げる痛ましい彼の境遇に……基本的には「部下思い」なヤーティは完璧にカレトヴルッフの術中に取り込まれつつあった。
***
「どちらに行かれたのですか、ヤーティ様ッ⁉︎」
「ヤーティ様、返事をしてくださいッ!」
一方、カレトヴルッフの思惑の外側では、拐かされたヤーティをアドラメレク達が懸命に探していた。つい先程まで、間違いなく目の前にいたというのに……見慣れた指揮官の姿が、忽然と消えている。彼らが気づく気づかない以前に、さも自然にいなくなっているとならば……まずは幻惑だと考えるのが、自然だろう。
「みなさん、落ち着いて! おそらく、ヤーティ様は何らかの幻術に囚われているものと思われます。なので……私が大至急カイム部隊を呼んできますので、皆さんはこのまま防衛ラインを維持してください!」
漆黒の軍服を纏ったメイド長・アズナがヤーティが不在なら不在なりに、チームの統率を維持しようと声を張り上げる。目には目を……という訳ではないが。カイムは殊、幻惑の魔法に明るい中級悪魔だ。この場に呼べれば、確実に助けになるだろう。
「ですが……アズナ様は大丈夫なのですか?」
「そうですわ! この戦闘の最中をどうやってくぐり抜けると言うのですか……⁉︎」
「分かっていますわ、そんな事。ですが、大丈夫です。これでも、防御魔法以外に棒術の心得はありますわ」
「あの、もしかして。アズナ様の棒術って……サタン様を箒でいなす時のアレですか?」
「……」
アドラメレクは防御には優れているが、攻撃魔法はあまり得意ではない。ヤーティのように、剣術の心得もある者はごく僅かである。いくら、サタン城のハウスキーピングが激務とは言え……普段の掃除を「棒術」と言ってみたところで、不安しかない。
「おや? あれは確か……」
「えっ? ま、まぁ! 天使様にエルダーウコバク様じゃありませんの!」
いざ戦地に赴かんと息巻くアズナが振り向けば。馬鹿みたいに真っ青な空に映える、大物悪魔の漆黒の巨体が目に入る。しかも、肩には燦然と翼を輝かせる大天使。これでは、気づくなと言う方が無理だ。
「みんな、無事ですか⁉︎ と言うか……ヤーティ様は⁉︎」
「そ、それが……」
「先程までそこにいたはずなのですが、忽然と姿を消されてしまいまして……!」
到着するや否や、真っ先にヤーティの不在にも気づく大天使・ルシエル。そうして、アドラメレク達の反応も予想していたのか……何かを心得たように、ハーヴェンと頷きあって見せる。
「そう言うことか。プランシーの狙いはヤーティだったんだな……」
「しかし、どうしてヤーティ様なんだ? 同じ憤怒の悪魔だったとは言え、危険を冒してまでこんな所に来る理由が分からない」
「あのぅ、大天使様。実は……」
「うん?」
ルシエルとハーヴェンとで首を傾げていると、様子を窺っていたアドラメレクの1人がおずおずと話しかけてくる。そうして、プランシーが「それらしい理由」を喋っていたと証言するが……。
「……それでも、理由はサッパリだな……」
「あ、あぁ……。どうして女神とやらはヤーティ様を迎え入れようとしているんだ? 皆さん、何かお心当たりは……」
「あると言えば、ありますわ」
「それはどんな内容……と、言いたいところだけど。今はお喋りしている場合じゃないかもな?」
「えぇ、そうですわね。申し訳ございません、大天使様にエルダーウコバク様。お力を貸してくださいッ!」
「はいよ、もちろんだ。な、ルシエル?」
「えぇ、この際ですから……徹底的に、はたき落としてしまいましょう!」
指揮官が姿を消した混乱で、アドラメレクの連携に僅かな綻びと隙が生まれている。そうしてここぞとばかりに攻め込んでくるのは、プランシーが従えていたのと同じ、やや大型の機神族。獰猛な様子で両腕を前に翳すと、眩い光を手元に集めて見せる。
「皆さん、来ますよ! 我ら、アドラメレクの威信に賭けて……何がなんでも、防ぎ切ります! 怠惰の皆様も、お力添えを!」
「よっしゃ、お任せください!」
「ここらでいっちょ、あっし達も参戦しますか!」
アズナの掛け声と同時に、心得たとばかりに憤怒と怠惰の悪魔達から頼もしい反応が返ってくる。そんな彼らの結束を前に、これなら思う存分力を奮えそうだと、ルシエルとハーヴェンも臨戦体制を取り始めた。