21−14 杜撰な子供騙し
意外と堪え性がないのだから。自らが包み込んでいたリッちゃんが何かに反応していたのにも、気づいてはいたが。まさか、潜入から30分もしない内に爆発するなんて、リヴァイアタンとて予想だにしていなかった。しかし、彼女の「譫言」に捨て置けないフレーズもあった事に気づいては……リヴァイアタンは視線だけで周囲にポッカリと開いた大穴の数々を認めては、進退を決めかねている。
(さっき、リッちゃんは僕のこと……愛しい弟、って言ったかい?)
彼女が口走った「真意」は爆発の大音響で途切れたまま。……続きを聞くことも、もう叶わない。しかしながら、今までリヴァイアタンを「弟」等と呼び習わす者は魔界にはいなかったため、リッちゃんの紡いだ言葉は間違いなく彼女のものではないだろう。
リヴァイアタンは魔界の通念では、真祖の「長子」である。彼を「弟」と認識している者はいないだろうことから、おそらく……リッちゃんのそれは、グラディウスの魔力に感化されたが故の発言に違いない。
(……どうしようかな。僕1人であれば、もう少し進むことはできるけど……)
リッちゃんの「暴発」は驚く程に強烈だ。グラディウスの内部に巣食う尖兵ごと、リヴァイアタンが漂う周辺を大胆に吹き飛ばしては……進入経路だけではなく、横穴の勝手口まで作り上げている。そうして、意図せず開けてしまったお勝手口から、外の景色を感覚だけで見やれば。青い空を背景に、悪魔と色とりどりの竜族と思しき神獣が激戦を繰り広げていた。
(ここは一旦、帰ろうかな。……奥までは潜入できなかったけど、ある程度の突破口は作れたと見て、良さそうだ)
それでなくても、この状態のまま単独で進むのはリスキー過ぎる。確かに、本気を出したリヴァイアタンはフィールド効果扱い……魔力という「特殊な空気」と化すため、他の魔力の干渉を受けなくなる。だが、特殊能力の発動には他ならぬ、自前の魔力を消費する上に……外気としての「他の魔力」との競合が発生するため、魔力の補給そのものができなくなるのだ。故に、このまま単独で進軍するのは賢い選択ではない。
(それに、さっきの言葉……嫌な感じだった。なんとなくだけど……特に、“愛しい”の響きが胡散臭い気がしたんだ)
言葉だけなら、どこまでも優しく聞こえるが。リッちゃん越しの譫言は、リヴァイアタンにはどこか耳障りな雑音にさえ、聞こえたのだ。明確に「何が、どう嫌なのか」を説明することはできないが、本能が強く訴えかけてくる。この先にいるのは、決して自分の縁者ではないだろうし……「彼」の言葉に耳を傾けてはならない、と。
***
「みなさん、無事ですか? ふむ……流石、精鋭揃いの我が軍。欠員どころか、怪我1つないとは。お見事です」
遠くでモクモクと煙を上げるグラディウスを見上げながら……ヤーティは部下達を気遣い、労う。
彼らアドラメレクは最奥の防衛ラインにして、最後の砦。憤怒の首魁・サタンを激戦の最中に見送った後……ヤーティが指揮するアドラメレクの部隊は、ヴァンダートとローヴェルズの国境上空で見事な防衛線を張り巡らしていた。その鉄壁加減は、「本来であれば」鼠の子1匹たりとも侵入を許さぬだろう緻密さである。
「当然ですよ、ヤーティ様。我らは魔界最強の憤怒の軍勢。この程度で、凹まされるはずもないでしょう」
「そうですわ。アドラメレクを置いて、守備に長けたものは他におりません」
「左様ですか。いやはや……皆さんが頼もしくて、このヤーティは感激しきりですよ」
軍員1人1人の士気も非常に高い上に、彼らはまだまだ余力を残してさえいる。しかも、怠惰の悪魔によるバックアップも万全ならば、後方の防衛戦は難なく切り抜けられる……はずだったのだが。
「しかし……何やら、カラスが1羽迷い込んだ様ですね。今更、何をされようと言うのです……カイムグラント」
「おやおや……この姿でも見破られてしまいますか。きちんとアドラメレクに化けたつもりでしたのに」
「ご冗談も程々になさい。カラスがいくら着飾ろうとも、孔雀にはなれないのですよ。そもそも、カラスにはカラスならではの美しさがあります。……それを無理に着飾るから、無様に見えるのです」
それに……とヤーティがさも面白くなさそうに、言葉を続ける。自身は「指揮官」である以上、アドラメレクはおろか、ガーゴイルやシャックスにカイム、それこそ主人でもあるサタンに至るまで……全員の個性と名前を把握しているのだ、と。それなのに、このような「杜撰な子供騙し」を仕掛けるなど、馬鹿にするにも程がある。
「……ご存知の通り、憤怒の悪魔は中級悪魔以上しか存在しません。故に、全員が最初から名前持ちの悪魔でしてね。私はそんな皆様をサタン様から預かり、的確に導く役目を仰せ付かっております。故に……家令たる者、全員の顔と名前を覚えずして何とするのです。しかも、貴方が借りているその姿……見忘れる訳がないでしょうに」
「なるほど、なるほど。……これはちょっとした女神様からのプレゼントの様でしたが……やはり、あまりいい選択ではなかった様ですな」
「当然です。……悪ふざけで先代の姿を借りるなど、言語道断。恥を知りなさいッ!」
憤怒の悪魔に相応しく、激情を露にするヤーティ。周囲を漂うアドラメレク達にしてみれば、彼がそこまで怒り出す理由は分からないが。おそらく、この場にサタンがいたらば、いくらその脳が筋肉まみれで物忘れが激しくとも……プランシーが化けた相手を見た瞬間に、同じように怒り狂うに違いない。
そう、プランシーが化けた相手はあまりに悪趣味すぎる。
ヤーティの言う「先代」、かの名はスウィフト。彼は魔界で1番最初に追憶越えを達成した悪魔であり、ヤーティ自身が今尚尊敬して止まない、かつての執事長。そして……当時、本当の意味で子供だったサタンの前に降り立った、厳格ながらも、優美さも兼ね備えたアドラメレクであった。
「あなたのそれは……おそらく、メタモルフォーゼでしょうか?」
「えぇ、もちろん。わざわざメタモルフォーゼかどうかを確認してくるとなると……ヤーティ様も、この魔法に隠された意味をご存知と見える」
わざと煽るようなプランシーの受け答えに、ヤーティはもとより……周囲のアドラメレク達からも、凄まじい怒気が立ち登る。それでも、ヤーティはどこまでも冷徹に手を挙げては周囲を鎮めると……プランシーがここまでの挑発をしてくる意味を、入念に探ろうと努めて興奮を抑え込む。
「メタモルフォーゼが発動している時点で、先代が死亡している事実も知らしめる事になる。これ程までに相手の心を抉るやり口はないでしょう。しかしながら……先代が亡くなったのは、1500年も前の事なのです。今更、姿を見せつけられなくとも彼の死亡は知れております。だからこそ……不可解なのです。どうして、あなたがこの様な馬鹿げた真似をして、わざわざ我らの怒りを煽るのか……が」
「おやおや。ヤーティ様ともあろうお方が、これを馬鹿げた真似……とおっしゃるのですか。……ふむ、やはり女神様の真意は色んな意味で偉大ですな」
「……」
結局、プランシーが言わんとしている事がヤーティには分からない。それと同時に……プランシーの不可解な余裕に、明らかな違和感を感じる。なぜなら、プランシーも本来はよくよく、心得ているはずなのだ。憤怒の軍隊の中でも、アドラメレク部隊がいかに強力で、冷徹な軍勢であるかを。
(その我らを前に……単身でのこの余裕。やはり……裏があると見て、良さそうですね)