20−65 宣戦布告
何だい、ありゃ?
何だか、不気味だわ。
突如、太陽を遮るように現れた鉄の城を見上げて、人々は不安を口にする。純白で美しいはずの幹に、鐵の刃を茂らせる霊樹を、誰も神の居城とは露にも思わない。しかしながら、どこまでも皮肉なことに……その霊樹・グラディウスは新しい女神・グランディアの聖殿にして、何よりも獰猛な尖兵。居座る神も、彼女を据える城も。元々は正真正銘の「聖なる存在」だった、神界の申し子であったが……今は野望に塗れ、神聖性を失った邪神そのものだ。
《よく聞け、愚か者ども……私は女神・グランディア。新しい世界の神となる存在ぞ。今から、新しい世界に相応しい者と、そうでない者の選別に入る。もし、新しい世界に迎え入れて欲しいのなら……我が名を強く願い、崇めよ》
虚空から全ての人間に放たれる、荒唐無稽な命令。大気を震わせ、全ての相手に分け隔てなく……そして、容赦なく囁きかける。それは二重の意味で、世界の全てを震撼させるような宣言だった。続く「グランディア」とやらの申し出には、「今まで救いの手を差し伸べなかった天使など、忘れてしまえ」……という、迷言も含まれていたが。恐ろしい事に、彼女の提案を受け入れようとしている人間も多い。何せ……この世界は努力した者に報いることもない、極めて不条理な世界なのだから。この世界の神は……救う相手を選ぶ、極めて不公平な愚神でしかないのだから。
いつかの時に神父が心の中で喘いだ感情を、決して少なくない数の人間も抱いている。世界はいつだって、不公平。世界はいつだって……自分に優しくない。だったら、優しくしてくれる世界に飛び立ってしまいたい。自分に優しくしてくれる神様に愛されたい。
「クク……やはり、人間は愚かでか弱い。ほんの少し、希望を持たせてやっただけで……我が名を叫ぶのだから」
「……そのようですな。しかし、全ての人間を騙すにはまだまだ、何かが足りないように思いますが」
「減らず口を。まぁ……いい。お前が言いたい事なぞ、お見通しだ。要するに……こうすれば良いのだろう?」
プランシーの「言いたいこと」を曲解しながらも、グランディアが嬉々として手を挙げる。そうして、彼女が呪文を囁くと同時に鳴動する霊樹の鼓動。ドクンドクンと不気味に、悍ましく……それでいて、どこか狂おしい程に苦しげな様子で、グランディアを包む空気をビリビリと震わせる。そして、次の瞬間……!
「私の実力を信じられぬ者も、多い事だろう。故に……どれ、まずは1つ国を滅ぼして見せようか。……かつて、強欲の悪魔がそうしたように」
白亜の城を支える空中庭園の底から、夥しい数の砲台が無秩序に突き出す。そして、グランディアが嘯いて見せたように、あんぐりと開けた口という口から眩い光を放った。そうして、刹那の煌めきの後……かつてのヴァンダートは更なる荒野へと変貌しているではないか。
「どうだ、プランシー。……これで、私に恐れを成さないものなど、おらぬだろう? ロンギヌスを使って作り上げたラディウスを防ぐ手立てなど、ありはせぬ」
「かも知れませんな」
「……ふむ? かも知れぬ……だと? お前、何が言いたい?」
「いいえ。特に深い意味はございませんよ。ただ、あまり最初から暴れ過ぎない方が良いのではないかと、年寄りなりに考えた次第。天使は自分達以上に目立つ者が嫌いなのですよ。……油断召されますな」
それこそ、彼女達を崇めるリンドヘイム聖教は、拠点のありとあらゆる場所に天使のモティーフを刻み込んできた。最近は英雄・ハールの像に置き換えられている部分もあるが、重要な拠点となる聖堂の扉には漏れなく天使が舞っている。それはリンドヘイム聖教が彼女達に擦り寄ると見せかけて、天使を手段として利用してきたが故でもあったが。それを否定することもなく、正しく導かなかったのは……偏に、天使達もその扱いを受容してきたからに他ならない。そう、彼女達もまた……現状を知ろうともせずに、彼らの信仰を享受するだけの存在。
生まれたてのグランディアとは信仰の歴史や勢力の厚みが違う。ただ、それだけのこと。「今までの歩み」も「これからの歩み」もさして代わり映えしやしない。
「それもそうだな。油断は時に、挽回できぬ程の失敗を生む。……いくら私が完璧と言えど、邪魔者を駆逐するまでは気を引き締めるに越したことはないな」
「左様ですな」
目減りした魂につけ込まれたプランシーに、グランディアに歯向かう術はもう、ない。だからこそ、彼女と共倒れは御免だと……最大限に慎重になるように、促す。何せ……プランシーは知っているのだ。自分を最高神と称して止まない、女神が本当はまだまだ最高神になり切れていない事を。
(まだ……やはり、早熟としか言いようがない……。この程度の魔力では、“彼女達”には及ばぬ……)
プランシーが思い浮かべた「彼女達」……それは、他ならぬ大天使・ルシエルと彼女に与する悪魔や精霊達の事である。確かに、敵が天使だけであるのなら、そこまで苦労はしないかも知れない。だが、そこに魔界の住人達や、名だたる精霊達が加わったのならどうだろう。彼らはただの雑兵の集まりではなく、個々がそれぞれに強力な悪魔や精霊達。そんな精鋭達を前に……数でも実力でも、今のグランディアには抵抗手段すらないように思える。
「グランディア様。恐れながら、申し上げますが……」
「なんだ、プランシー。……まだ、何かあるのか?」
「えぇ。このままでは勝ち目がないと、思える部分がありましてな。……グランディア様はどのように抵抗なさると、仰るのですか? 大天使と悪魔……それに、トップクラスの精霊達を前に、あなた様はどのように世界を築こうと言うのです?」
「……ふん、何を言い出すかと思えば……そんな事か。まさか、私が無策で宣戦布告をしたと思っておったのか?」
プランシーの進言に「抵抗」という言葉があったのが、気に入らぬとグランディアは鼻を鳴らす。どうしてこちらが「抵抗」する側なのか、彼女には理解できなかったが……普通の感覚を持ち得ているのであれば、プランシーの指摘は常識の範疇である。
グランディアはこの世界では、詰まるところ「異端者」なのだ。いくら神を自称しようと、信仰の対象にはなりきれていない以上は、タダの新興宗教の教祖止まりだろう。この場合、グランディアの方こそが世界の覇権を握っている天使に成り代わろうとしているチャレンジャーであり、本来は諌められ、押さえつけられる側でしかない。そう、あくまで彼女は天使達に「抵抗」しようとしている罪人に等しいのだ。
「何のために、ラディウスを作り上げたと思っている。……あれは天使と悪魔とを黙らせるために、作り上げた最高傑作なのだぞ?」
「ラディウス……先程の砲撃のことですかな?」
そうだ……と、自信満々にグランディアが応じるところによると、ラディウスは神界の神具でもある聖槍・ロンギヌスを原料として作り上げた魔法武器なのだと言う。
「……ロンギヌスは強烈な光属性を放つ武具でな。闇属性を浄化し、光属性を吸収する性能を持つ。そして、このグラディウスはラディウスだけではなく、存在全てをロンギヌスにローレライの魔力を吸わせた素材で覆い尽くしている。私がこの聖なる天空城から出ない限り、奴らに勝ち目はないのだよ」
「しかし、私は現にここまで侵入できましたが? 彼女達にもそれが可能では……」
「ふふ、お前は意外と忘れっぽいのだな? ……果たしてその身は無傷のままか? 魂も魔力も……グラディウスの影響を受けなかったと言い切れるのか?」
「……なるほど、そう言うことですな? グラディウス自体が最高の武器であると同時に、最上の要塞。そして、無理やり潜入する者があったとしても……この悍ましい空気で正気を保つのも、難しい。そうして陥落した相手は、配下として取り込むことができる……と」
「そう言うことだ。しかも……クク。他にも色々と仕込みはあるのだが。お前程度に手の内を明かしすぎるのも、つまらん」
我が元までやって来る者があるのなら、特別に生かしてやってもいいかも知れんな?
そんなことを満足げに独り言ちながら……意味ありげな視線と一緒に、あからさまに蔑むようにプランシーをせせら笑うグランディア。慢心に酔いしれる女神を前にして、プランシーは世界の夜明けもまた、自分を照らすつもりはないのだと……既に落胆し始めていた。