20−56 英気を養うのも、仕事のうち(+番外編「幸せは入浴剤の香り」)
「ただいま〜」
「おっ、お帰り。……って、おぉ! エルノアにギノも一緒か。今夜は久しぶりに、賑やかな夕食になりそうだな?」
竜界からこうして安住の我が家に戻ってきたが……ギノは人間界に荷物があると言うし、エルノアも久しぶりにハーヴェンのデザートが食べたいと言い出したので、今夜は「特別に」2人も一緒にこっちに帰ってきていた。そんな私達を満面の笑みで迎えてくれるハーヴェン。今日は緊張続きだったせいもあるが……やっぱり旦那の顔を見ると、とにかく安心してしまう。
「しかし……エルノア、大きくなったなぁ。色々とあったのだろうけど……とにかく、今は脱皮達成おめでとうって言うべきかな? よく頑張ったな」
「うん! ふふ……どう? 私、大人になったかな?」
「うんうん、とってもお姉さんになったな〜。お兄さんもとっても嬉しいぞ〜」
再会の喜びもそこそこに、廊下を進むと……向こうからモフモフズもやってくる。そうして……すかさず、エルノアの腕に飛び込むコンタロー。
「あぁい! お帰りなさいでヤンす! お嬢様も元気そうで安心したですよ」
「ただいま、コンタロー! あぁぁぁ……! やっぱりコンタローを抱っこすると落ち着くぅ……!」
なお、エルノアのコンタロー依存症(末期)も健在だ。顔を合わせる度に、熱い抱擁を交わしているのを見る限り、デザートだけじゃなくてコンタロー自身の定期便も検討した方がいいかも知れない。
「お嬢様、俺の毛皮もいかがですか?」
「あっ、もちろんダウジャもいいよね! あぁぁ……こっちもいい感じ〜!」
「僕はハンナがいいな。抱っこしていいかな?」
「もちろんです、坊ちゃん」
いや……違うな。この場合、エルノアはモフ依存症だとするべきか。それに、私も彼らの手触りの凶悪さはよく知っている。特に、風呂上がりの威力は最凶だ。
「はい、それじゃ……今夜も張り切って、メニューの紹介をしようかな? 今宵はオイルサーディンのペペロンチーノに、付け合わせはカボチャとサツマイモの2色サラダ。スープはポルチーニとマシュルームのブイヨン仕立てを用意したぞ。メインはチキンの香草焼きとなっております」
「ねぇ、ねぇ! ハーヴェン」
「うん? 何かな、プリンセス」
「デザートは? 今夜のデザートは⁉︎」
「それ、聞いちゃう?」
ちょっぴり悪戯っぽい表情を浮かべるハーヴェンに、全力で首を振るエルノア。そんなに前のめりにならなくても、と思うけれど。実は私もデザートを心底楽しみにしているので、この流れに乗るのも賢い情報収集のやり方だ。
「ふっふっふ……我慢できないプリンセスには、特別に先行公開しちゃおうかな? デザートはチョコムース・3種のベリーソースがけとなっています! しかも、チョコムース自体もビターにミルク、そんでもってホワイトで3層仕立てにした自信作だぞ〜」
「わぁぁぁ……!」
「……ゴクリ……」
感激のあまり、手を合わせるエルノア……と、私。チョコムース・3種のベリーソース、しかも3層仕立て。ディテールを聞かされただけで絶品だと分かる内容に、思わず豪快に喉が鳴る。しかも、ハーヴェンのデザートなのだから……きっと、美しい仕上がりに違いない。
(問題は山積みだけど……難しいことを考えるのは、後にしよう。美味しい食事で英気を養うのも、仕事のうちだ)
ハーヴェンの料理はいつだって、罪作りだ。目の前に並べられた途端、悩み事も、面倒な事も……全部全部、忘れさせてくれる。……あぁ、今日の夕食もとっても美味しい。しかも、エルノアとギノと一緒に食卓を囲めるのが久しぶりとあって、ハーヴェンも嬉しそうだ。
「うんうん、お兄さんはお前達に美味しく食べてもらえれば、満足なんだな。……きっと、エルノアもギノもこれから忙しくなるんだろうけど。たまには遠慮なく、夕飯を食べに帰ってこいよな」
「はい……こんなに美味しいのですもの。僕、ハーヴェンさんのお料理が恋しくなりそうです」
「そか。ここはお前達にとって、第2の我が家でもあるんだ。逆ホームシックになったら、いつでもおいで」
「うん! 私、デザート食べに来るの! それでね……悩み事とかあったら、相談に来るね」
「悩み事?」
エルノアにしては珍しいキーワードに、ハーヴェンが首を傾げている。見れば……エルノアの両サイドに座っているハンナとダウジャも不思議そうな顔をしていた。
「お嬢様に……悩み事、ですかい?」
「脱皮も乗り越えられたのに、何かお悩みがあるのですか?」
「うん……ちょっと、ね」
パスタをモグモグしながら、真剣な表情を作るエルノア。エルノアがこんな顔をするなんて、相当に深刻な悩み……
「ギノがどうしたら正式にプロポーズしてくれるか、悩んでいるの。……ギノ、いつまで経っても自分から私のこと好きって言ってくれないんだもん」
……じゃなかった。本人には非常に深刻な悩みかも知れないが、正直なところ……私に言わせれば、彼女の恋路は安泰だろうと思うし、そこまで悩む必要はないように思う。何せ、エルノアとギノの「恋愛ゴッコ」は大主様と呼ばれていた霊樹公認だ。確かに、ギノの反応は今ひとつかも知れないが。別に嫌われている訳ではないのだから、大丈夫だと思う。
「そ、そんな! 僕、まだ結婚とか、考えられないよ……!」
「もぅ! ずっとそんな事言ってるじゃない! ……それでなくても、ギノはモテるみたいだし……私、不安だよ……」
「って、言われても……あれはみんなが騒いでいるだけと言うか……。あっ、でも……」
「でも?」
「アウロラちゃんにおめでとうって言われたのは、とっても嬉しかったよ。……あの位、さりげない方が僕は好きかも……」
なるほど、そう来るか。……ギノ、なかなかやるな。
理屈はよく分からないが、エルノアはどうも……恋愛感情をうまく図れていないように見える。謁見の間ではあれ程までに細かく私の心情を見抜いてきたのに、ギノ相手だとこの調子だ。そして……これまた、根拠は何もないのだが。ギノはギノで、その辺りをよく心得ているように思える。だからこそ、他の女の子を引き合いに出して、エルノアに「少し落ち着け」と遠回しに言ってみせたのだ。
「ゔっ……そ、そっか。押してもダメなら、ガッツリ引っ張ればいいんだっけ……。うん、私……負けないように頑張る」
「それ……押してもダメなら引いてみろ、じゃないの……? ガッツリ引っ張られたら、怖いよ……」
ギノの指摘は至極、正しいだろう。だが、ギノのように控えめ過ぎて引っ込み思案だと、ガッツリ釣り上げられるくらいの方が丁度いいのかも知れない。
「う〜ん……エルノアはやっぱり、ギノの気持ちをもうちょい考えた方がいいかもな? 世の中には、振り回されるのが苦手な男子もたくさんいるんだぞ〜」
「そうなの⁉︎」
むしろ、振り回されるのが平気な男子の方が少ないように思う。身近に散々誰かさんに振り回されている真祖様がいた気もするが……。どちらかと言うと彼が奇特なだけで、あの関係性は旦那側の達観と互いの信頼の上で成り立っているとするべきか。
(何れにしても、ギノとエルノアが「夫婦」になるまでは、まだまだ時間がかかりそうだな)
ハーヴェンが運んできたデザートにギノそっちのけで夢中になっている時点で、エルノアの恋愛観は詰めが甘い……とか、思いつつ。私もいざ目の前にデザートを並べられたら、雑多な事は忘れてしまいそうだ。何せ……。
(今日のデザートも綺麗……! 食べるのが、もったいない……!)
予告通り、3層になったムースは見事なグラデーションで彩られていて、果肉感を残した赤いソースがツヤツヤと表面に更なる色彩を加えている。しかも……見た目だけではなく、味わいも芸術的。上からホワイト、ミルクチョコレートに一番下がビターのようだが、掘り進めるたびに違う味わいが楽しめるのも、憎い演出だ。
「美味しい……! 今日のデザートもとっても美味しい……!」
「そか、そいつは何よりだ。そう言ってもらえると、腕によりをかけた甲斐があったよ」
そうして、やっぱり優しくニッコリ微笑むハーヴェン。今夜も色々と相談しなければならないことも、あるのだけど。……それも後回しにしよう。この味わいを上の空で堪能するなんて、勿体なさ過ぎる。
【番外編「幸せは入浴剤の香り」】
美味しい夕食もデザートも余すことなく、堪能し。1日の終わりにゆったりとお湯を頂くと、雑多な疲れが綺麗さっぱり洗い流されていく。しかも……お気に入りの入浴剤で、気分もリフレッシュ。
「おぉ、お湯がほんのりライム色。……うん、香りも柑橘系か」
「相変わらず、いい鼻してるな……。もちろん、入浴剤はフレッシュライムで正解」
あっさりと私が選んだ入浴剤も嗅ぎ分けて、ハーヴェンもザブンと浴槽に身を滑らせてくる。しかし、互いに見慣れているとは言え……一緒に入るのが久しぶりなものだから、妙に気恥ずかしい。
「お? なに、モジモジしてるんだ?」
「い、いや……なんだか、ちょっと恥ずかしくなってしまって」
「えっ? 今更……?」
そうだよ、今更だよ。そんなの、自分でも分かっている。だけど、エルノアとギノの初々しさを見つめていたら……何となく、ハーヴェンと出会った頃のことも思い出してしまって。……自分にも初めての時があったと、変な記憶をほじくり返してしまった。
「……なんだ、その顔は」
「ふっふっふ……別に〜?」
しかも、ハーヴェンは何故か「そちら方面」の鼻も利く。私の照れ隠しさえもしっかりと嗅ぎ分けては、意地悪な顔でニヤニヤし出したではないか。
「……まぁ、いいか。……ハーヴェンに敵わない事は、ずっと前から分かっていた事だし」
「うん? それ……どういう意味だ?」
「……色々と、ね。こうして一緒にいると、やっぱりハーヴェンには頭が上がらないと言うか。……出会えてよかったなって、改めて思って」
思いの外、青臭いことを言ってしまった気がするが。それでも……どうしても鼻が利く旦那のこと。私が言いたいこともしっかりと察してくれたらしく、今度は茶化すこともなくそっと抱きしめてくれる。
「何はともあれ、お前が幸せそうなら……俺は文句もないさ。こうして一緒にいられるのなら、それ以上を望むつもりもない」
「……相変わらず、無欲な奴だ。本当に、悪魔とは思えないな?」
「アハハ、よく言われる」
しかも、この反応だ。……悪魔らしくないのも自覚済みらしい。だけど……。
(この「悪魔らしくない」ハーヴェンじゃなかったら、今頃……私は生きてすらなかったかも。出会えたのがハーヴェンで、本当に良かった)
これ以上、変な事を溢すのも癪なので……無言で甘えるように思いっきり、背中を彼に預ければ。少しも嫌がることなく、受け入れてくれるのが嬉しい。この幸せがいつまでも続きますように。……この幸せを守るためなら、明日からも目一杯頑張れる。