20−55 なけなしの親心(+番外編「幸せはコーヒーの香り」)
「やぁ〜っと、帰ってこれたなぁ……」
「お疲れ様でした、パパ……」
「うん、お疲れ。えぇと……いい子だったお前達には、おやつをやろうな」
「パパ、おいら達、いい子できてました?」
「うん、とってもいい子だったと思うぞ。それこそ……リッテル以上にな」
「……パパが遠い目をしてるでしゅ。これは結構、重症でしゅ……」
そうだな。相当に重症だろうな、今回も。心の傷が疼くぜ。
因みに嫁さんは報告があるとかで、一旦神界に帰っている。そうして鬼の居ぬ間に……ならぬ、天使様の居ぬ間にコーヒーブレイクに勤しんでは、何だかんだでお疲れちゃんなクソガキ共と一緒に平和なお留守番を楽しむものの。……あんな光景を目の当たりにしたら、ベルゼブブがリルグ行きこそを避けた理由もよく分かると、出るものはため息ばかりかな。
(結果的には丸く収まったのかも知れないけれど、な〜んか……スッキリしないんだよなぁ……)
ベルゼブブのお願いで、バビロン達をリルグへ送り届けてみたものの。正直なところ、俺としてはベルゼブブが自分でお見送りしてやればいいじゃんと、軽く考えていた。ポインテッドポータルの楔は術者じゃなくても基準点として使えるし、共有もできる。だから、俺が持っているポータルの楔を教えてやればいいだろうと、勝手に思っていたのだけど。……ベルゼブブは頑なに、リルグ行きの楔を共有することさえも拒んだ。
理由は簡単。ベルゼブブはバビロンがアケーディアを慕っている事を知っていて、彼女達の再会の光景を目にしたくなかったからだ。まぁ、相変わらずバビロンの態度は掴みどころがなくて、フワフワとしていたけど。それでも……アケーディアが無事だったことを喜んでは、ほんのりと笑みを浮かべていた。それはベルゼブブやジャーノンを前にした時の無関心をブレンドしたドライさとは、明らかに違う反応だったように思う。彼女のために色々と手を尽くしてきたベルゼブブにしてみたら、ここまで決定的な失恋はキツいに違いない。
しかしながら、アケーディアは各方面で散々悪さしてきた問題児。人間界以上に……魔界に帰ってくることはできないだろう。何故なら、あいつはあろう事か天使と手を組んで、本来は魔界に流れるはずの魂を損なった経緯がある。その上……かなりの人数分の魂を「真祖として生き延びるため」に啜っただろうことも、予想に難くない。真祖の悪魔としてはとっても正しい反応だろうが、魔界の冥王的には魂の横取りは最大級のお仕置き対象になる。……俺が言い繕ってみたところで、腐っても魔界の主であるヨルムツリーの決定を覆すことはできない。
(そういう意味でも、この仮面は重要なツールなんだろうけど……)
今回は幸運にも、こいつを使っての怪盗ゴッコはせずに済んだけれど。そもそも、この仮面はヨルムツリーがなけなしの親心から持たせてくれた、威厳を人間界で目減りさせないためのお守りだ。一応、人間界に「お仕事」に行く時に必ず着けるように言われていたのには、丹精込めて作った真祖を失わないため……らしい。
俺達は「真祖」なんて、妙ちくりんな名称で呼ばれていたりするけれど、本当は「大悪魔」が正しい呼称になるそうな。それがどうして「真祖」と呼ばれる事が多いのかと言えば……純粋に、ヨルムツリーが神界の真似をするのが気に食わなかっただけと言う、非常にアホらしい理由がある。
本来、真祖とは「吸血鬼の始祖」を指す言葉だ。だけど、神界では八翼の天使を「大天使」と呼んでいることもあり、雰囲気がカブるのを我らがヨルムツリー(失笑)が気に入らなかったらしい。そんでもって、ゴラニアには吸血鬼らしい吸血鬼がいなかったこともあり、「始まりの悪魔」を漠然とそう呼び習わしては、ヨルムツリーが悦に入っているだけだったりする。
(それに、吸うのが血じゃないとは言え……魂を啜っている時点で、「吸血鬼」ならぬ、「吸魂鬼」とでも言ってやれば、辻褄は合う……ワケないな。どっちにしろ、「真祖」は微妙だよなぁ……。でも、「大悪魔」より語呂もいいし、こっちの方が断然、格好いい気がする)
うん、俺も大概だな。意外と「真祖」と呼ばれる事に、違和感なく優越感を感じている時点で、ヨルムツリーの思うツボな気がする。……そう考えると、妙に悔しい。
「威厳」なんざ、気分次第でどうにでもなると言ってしまえば、それまでなんだけど。ただ、真祖にとって「威厳」は最低限保っておかないと配下にナメられる……イコール大悪魔としての大幅な失点と考えられるフシがある。そして、配下に見限られた大悪魔は状況を改善できない場合、ヨルムツリーから「失敗作」の烙印を押されて……最終的には「最下落ち」に落とされ、何よりも惨めな思いをする羽目になるらしい。……俺はギリギリのところでリッテルに出会って、なんとか持ち直したけれど。あのまま暴れ回るだけだったら……今頃は大悪魔として存在できていなかったか、人間界で魂を手当たり次第に啜っていたかも。
(……そう考えると、ハニーって呼んでやるくらいは我慢せにゃならんか……)
俺が立ち直れたのは、リッテルのおかげだしな。彼女の功績を否定するつもりは、これっぽっちもない。
「パパぁ……僕、眠たいですよぅ……」
「おいらも……」
そんな風に俺がぼんやりと考え事をしていると、おやつで腹一杯になったクソガキ共がゴシゴシと瞼を擦っている。何と言いますか。ここまで全員同じ反応だと、分かりやすいっちゃ、分かりやすい。
「ハイハイ。だったら、このまま寝てていいぞ。……しばらくしたら、寝床に運んでやるから」
「はぁぁい……それじゃ、おやすみなさい〜」
「あふぅ……アチシはパパの膝枕で満足でしゅ……」
「……」
この状況も真祖的には無様かも知れないし、威厳もへったくれもないように思うけれど。それでも……配下(若干1名、領分が違うのはキニシナイ)の小悪魔に懐かれるのも、こうして平和に物思いに耽られるのも、悪くないと思っている俺がいる。
(親心って、こういう感覚なのかな……)
ガラにもないことを考えつつ、もう一度こっそりと仮面を見つめては、どことはなしに息を吐く。仮面を着けている時はヨルムツリーに縛られている気がして、窮屈で大嫌いだったけど。それでも、あいつに放り出された後でもこうして手放せなかったのは、息子としての繋がりを捨てたくなかったからかも知れない。
この仮面はヨルムツリーが自分以外の存在に対して、魂を啜ることを許可した証とされている。手当たり次第に魂を食い散らかすのは、完璧に論外だろうけど。ちょっとの補充は許されていることを考えると、奴が「真祖の悪魔」はそれなりの試行錯誤と苦労を重ねて作った自信作だと豪語していたのも、妙に納得できてしまう。そして……そんな自信作をみすみす失うくらいなら、多少のオイタは許容範囲としておいた方が喪失感も面倒も少ないと、判断した結果がこの仮面というワケだ。
(バックアップ方法はこの上なく、悪趣味だけどな。……まぁ、悪魔はそもそも、存在自体が悪趣味みたいだし。意地汚いくらいが、「らしい」のかもな)
魔界の住人にとって、魂とは一種の糧だ。
とは言え、「真祖の悪魔」と「普通の悪魔」では魂に対する思い入れの度合いが、大きく異なる。普通の悪魔は魂を啜って、魔力を吸収すると同時に相手を征服したという達成感を得るが、真祖の悪魔にとって魂を啜る行為は自身の「領分の肯定」をも意味する。真祖にとって、悪魔の頭目であるという自我と威厳は何がなんでも死守せねばならない、存在意義。傷ついた自我が乗った魂は、他者の魂を啜ることで補填するしかない。
その行為をよしとするか否かは、各人の魂に対する考え方と接し方でも変わってくるが。俺達にとって、魂の捕食は最終手段である以上に、「自分が弱いが故に、存在意義が傷ついたこと」を公表するに等しい。だからこそ、悪魔はヨルムツリーの目もあることもあり、基本的には人間界でしか魂狩りをしない傾向がある。しかし、人間界に出たら出たで、天使ちゃん達に狩られる悲劇もくっついてくるもんだから……半端者の未来はどっちにしても悲惨なのは、変わらない。
(弱い奴はどこに行っても、弱いまんまだ。……環境が変わったからって、強くなれるワケじゃない)
果たして……俺は強い奴になれたのだろうか。純粋な武力じゃなくて……周囲も「バッチリ認めるような強い奴」になれたのかは、まだまだ疑問の余地がある。力に任せて威張ることが、強者じゃない。地位にモノを言わせて従わせることは、本当の強者がすることじゃない。……何も言わずとも、畏怖と一緒に尊敬を集められる奴が真の強者なんだと、俺は勝手に考えていたりする。
(男は黙ってなんとやら。憧れのクールダンディは、それが自然にできる奴なんだよな……きっと)
それにしても……どこかに丁度いいお手本、いないかな。どうも、俺が目指している「理想の真祖」のモデルが周りにいないんだよなぁ……。
【番外編「幸せはコーヒーの香り」】
「ただいま〜……あら?」
「あっ、お帰り。……えぇと、静かにしてくれよ? こいつらも疲れているみたいだから」
バビロン達を無事にリルグへ送り届けたことを報告し、リッテルが屋敷に帰ってみると……何故か、小悪魔を抱えて廊下を彷徨いているマモンに遭遇する。見れば、彼の腕に抱かれているクランはちょっぴりクタっとしており、スヤスヤと寝息を立てていた。
「……ふふ、そう。疲れて眠ちゃったのね?」
「そんなところだな。……ちょっと待っててな。こいつを寝床に転がしたら、コーヒーを淹れるから」
「コーヒーは私が淹れておくわ。あなただって、疲れているでしょう?」
「う〜ん、そこまでじゃないけど……。ま、折角だし、お言葉に甘えてコーヒーはお願いしようかな」
確かに魔力状況からしても、彼はまだまだ余裕を残している。しかしながら、意外と人間界での滞在時間が長引いてしまったこともあり、それなりにマモンも消耗しているのも感じては……せめてコーヒーくらいは淹れましょうと、リッテルはフンフンと陽気にコーヒーミルを回し始めた。
(ふふ……ブラッディリザードにしようかしら? あっ、でも……新しいのを試してみるのも、いいわね)
報告ついでにご褒美も抜かりなく用意するのは、「デキるハニー」の証。何気なく増えていたお品書きの中から、ルビーブレンドという銘柄をリッテルは交換してきていた。そんな「新作」を早速試す事に決めると……マモンがどんな反応を示すのか楽しみで、リッテルは調子はずれの鼻歌を漏らし続ける。
「やれやれ……おネムにしては、早い気がするんだが……」
「もしかして、みんな寝ちゃったの?」
「そうなんだよ。おやつをやったら、腹一杯になったみたいでな。揃いも揃って、グッスリ寝ちまったぞ。それにしても……全く。俺に寝床まで運ばせるなんて、いいご身分だよな」
ボリボリと頭を掻きながら、呆れ顔のマモンがリビングに戻ってくるが。律儀に全員を運んでやっている時点で、嫌がっている様子はない。いや、どちらかと言うと……。
(本当はみんなが可愛くて、仕方がないのね。パパも満更じゃないって感じかしら?)
最初は嫌がっていたのに……いつの間にか「パパ」が定着している彼を盗み見ては、リッテルはついつい微笑んでしまう。しかも、丁寧に淹れたコーヒーを手渡せば。忽ち嬉しそうな顔をするのだから、リッテルは彼こそが可愛くて仕方がない。
「やっぱり、コーヒーの香りはいいよなぁ〜……なーんか、落ち着く。だけど……あれ? これ……どの銘柄だ? なんだか、いつものと違う気がする……」
「あら、もう気づいちゃったの? 実はね……新しいブレンドが増えていたから、交換してみたの。どう? 美味しい?」
「これは酸味が強めなんだな。……うん、新鮮味があって悪くない。意外とスッキリしてて、飲みやすいな」
「そう? あなたが気に入ってくれたのなら、私も満足よ。……これからも、新しいのがあったら交換してくるから、楽しみにしててね」
リッテルの提案に、パァッと幸せそうに「とってもいい笑顔」を見せるマモン。コーヒーでここまで喜ぶなんて、ちょっと単純な気がするけれど。こんな「ダーリン」とのささやかなひと時も、「ハニー」には何よりも愛おしくて仕方なかったりする。