20−50 最後まで愛されて
竜女帝・エルノアから叙勲を受け取り、晴れて地属性のエレメントマスターになったギノ。そんなギノやエルノアと一緒に、私は誘われるがまま……今度は大樹・ドラグニールのお膝元に来ていた。
白の樹海の最奥には、相変わらず神々しいまでの白い幹に、瑞々しい若葉を纏ったドラグニールが聳えている。その姿は……雄大なだけではなく、ただただどこまでも美しい。このご時世にあって、ここまでの迫力を維持しているのは、流石は最上級クラスの霊樹と言ったところか。
「そうか、そうか。……ギノ君は、ワシの跡を継いでくれる事になったのじゃな?」
「はい……長老様。でも、僕は……僕は……!」
そんなドラグニールのお膝元で繰り広げられるのは、先代のエレメントマスターと、新米のエレメントマスターとの今生の別れ。きっと、これから起こることをありありと理解してもいるのだろう。最後まで言葉を紡げずに、ギノが堪えきれずに涙をこぼし始める。
「……そんなに悲しい顔をしないでくれんか。もぅ、これじゃぁワシ……旅立てないじゃないの。愛されとる者は辛いのぅ」
皆から最後まで愛されて、本当に幸せな一生だった……なんて、長老様が優しく微笑むけれど。既に泣きそうになっているギノの肩にポンと手を置いては、これは定めなのだと穏やかに諭す。
「ギノ君、よく聞きなさい。ワシは何も、犠牲になるわけではない。竜界だけではなく、この世界の全てのために、ワシは竜族代表として役目を全うできる機会を与えられたのじゃ。これ程までに栄誉なことはなかろうて」
「……」
「それに……最後にエルノアちゃんが立派になったのも、確認できて一安心じゃ」
「うん……爺や、私……ちゃんと竜女帝になりました。しばらくはお祖母様にも手伝ってもらうけれど……きちんと、自分1人で頑張れるように精進します。だけど、爺やはもう側にいてくれないのね……グスッ……!」
「あぁ、もう……エルノアちゃんまで泣かないでちょうだい。ほんに、みんな泣き虫じゃのぅ……」
そう言いながら、2人の子供達を優しく抱きしめる長老様だったが。ご自身もボロボロに泣いている時点で、説得力はないと思う。もちろん……私も泣いている。これはもらい泣きというよりは……やはり、別れが悲しい故の涙だ。
「お願いじゃから、笑ってくれんかの。の、のぅ、エメラルダからも……ほよ? なんじゃ……お前も泣いておるのか……」
「……自分も、泣いている癖に……何を言っているのよ。大好きな誰かがいなくなるのは……悲しいに決まっているじゃない」
「そうか、そうか。お前もワシのこと、大好きって言ってくれちゃうのね? ふふ……ほんに、ワシは幸せ者じゃな。あぁ、そうじゃ。最後に……2人にはこれを渡しておこうかの」
ポロポロと涙をこぼしながらも、尻尾を手繰り寄せて……長老様が自ら鱗を毟る。
「さ、手をお出し、2人とも」
「爺や……」
「長老、様……」
「よしよし、いい子じゃな。……大丈夫じゃよ。ワシはこれから、このドラグニールそのものになるのじゃ。その鱗を通じて、2人をいつまでも見守っておる。どこにも行かぬし、ずっとずっと、ここにおるよ。ただ、ちょっとお喋りができなくなるだけじゃ」
「……」
ずっとずっと、一緒に。
ずっとずっと、この世界に根を下ろして。
ずっとずっと、みんなの幸せを祈っている。
「そうじゃ……ルシエル様」
「はい……」
「思えば、そなたと初めて会ったのは、人間界じゃったのぅ」
「そうでしたね……」
「ワシ、ね。最初に会った時から、ルシエル様じゃったら信用していいと、勝手に思っておったの。ほれ……あの時は何せ、ハーヴェンちゃんもおったろ? あんな風に、精霊……まぁ、ハーヴェンちゃんは蓋を開ければ、悪魔じゃったけど……と一緒にお茶を飲んでいる天使なんて、ワシ、知らなかったし。驚いたと同時に、とっても嬉しかったんじゃよ」
「ふふ。私はこれで神界でも変わり者でしたから」
それこそ、人間界で暮らしている天使なんて、竜族からしても前代未聞だったろう。しかも、悪魔と1つ屋根の下。これを変わり者と言わずして、何と言うのか。
「でも……思えば、不思議なご縁でしたよね。エルノアとの出会いも、皆様との出会いも」
「そうじゃな。じゃけど……ワシはこうして巡り会えた天使がルシエル様で良かったと、心から思っておるよ。じゃから……じゃからワシから、切にお願いじゃ。……折角、こうしてもう1度手を取り合えたのじゃから、もう2度と手を離さないでおくれ。繋いだ手を、離さないでほしいんじゃ。……頼めるかの?」
「もちろんです、長老様。……大天使の名にかけて、お約束を守り切ってみせます」
「それと……この子達のことも、よろしくの」
「えぇ、言われずとも」
私の答えに、満足したように長老様が大きく頷く。そうして、一頻りエルノアとギノの頭を撫でた後……ゆっくりと彼らから距離を取る長老様。エメラルダに目配せをすると、いよいよドラグニールの根元へと進んでいく。
「……さて。待たせたの、大主様。このオフィーリア……お借りしていた祝詞と器を貴方様に返すため。最後の魔法を使いたいと存じます」
(ディバインドラゴン・オフィーリア。……そなたの意思、確かに受け取った。ルートエレメントアップの真意を持って、我らが架け橋になることを望もう)
「承知した。……大主様、ワシのワガママを聞き届けてくれて、ありがとうの」
(……違うな、オフィーリア。これはワガママなのではない……お前の世界に対する、愛の形であろう。……使者を一足先にユグドラシルへ向かわせておる。きっと迷うことなく、我らの根を繋ぐ事ができるであろう。それこそ……皆が手を取り合ったように)
さざめきに混じって確かに聞こえてくるのは、長老様が「大主様」と呼んでいる、霊樹・ドラグニールの声らしい。掠れていても、しっかりと通る穏やかな声色。女性のものでありながら、ややハスキーボイス気味の響きは、白い空間を余す事なく包み込む。
「……それでは、詠唱に入らせていただこうかの」
(あぁ、そなたの祈り、決意……何もかもを私に委ねよ。そして……私はその全てを未来永劫、受け入れる事を誓おう)
そうして、いよいよ「最後の魔法」の詠唱に入る長老様だけれど。……でも、確かルートエレメントアップには契約主が必要だったと言われていた気がするが……。
「エメラルダ、1つ聞いてもいいだろうか」
「はい、何なりと」
「この場合、ルートエレメントアップが発動された後のコントロールは、誰が握ることになるのだろうか?」
「あぁ、その事ですか。……お祖父様はルートエレメントアップの真意側を発動させるつもりなのですよ、マスター。ルートエレメントアップには霊樹を純粋に正常化するための構成の他に、霊樹同士の根を繋げるための構成も存在します。そして、根を繋げる側の魔法を私達は“紲”の本当の意味も込めて、真意側と呼び習わしているのです」
「真意側……ですか。しかし、ルートエレメントアップは本来契約主があってこその魔法、と聞き及んでいましたが……まさか?」
「えぇ、そのまさかです。……ルートエレメントアップは確かに、誰かと契約して初めて意味を成す魔法です。ですが、契約主は何も、絶対に天使様である必要はありません。……お祖父様が発動しようとしているルートエレメントアップは、ドラグニールそのものを契約主として見立てて、発動するのです。それはつまり……」
「……ドラグニールにコントロール自体も一任する、という事でしょうか」
私の反応に、「その通りです」と小さく答えて、涙の跡を残したエメラルダが請け負う。そうして、再び視線を一心不乱に詠唱を続けている長老様の背中に戻すと……どこか誇らしい表情で、見守っている。
「輝かしい大地に根を下ろせ、豊かなる未来に種を託せ。我が純血を捧げ、我が魂魄を奉らん。遥かなる聖地へ、根を下ろせ、帰還せよ……ルートエレメントアップ・コネクト!」
真意側のルートエレメントアップ……発動。長老様の足元には燦然と輝く、美しい文様の魔法陣。更に、長老様の魔法陣から一筋の光が伸びると、ドラグニールの根元にも同じような魔法陣が展開される。そして……。
「……それじゃぁ、みんな。元気での。ワシは霊樹として、みんなをちゃんと見守っちゃうから、これからも頑張ってちょうだいね」
最後の最後まで、長老様らしい茶目っ気を振りまいて。光の向こうで微笑む長老様の姿は、一層強く輝いた後……ドラグニールへと迷わず吸い込まれていった。