20−48 ローレライへ連れて行って
契約主からとにかく離れたかった。それだけが、ヴァルプスの足を動かす原動力。魔法を使った割には、意外と魔力は残っているが。この残量では、目的地まで飛ぼうにも……途中で墜落してしまうのも目に見えている。
(そう言えば……ローレライは非常に遠いではありませんか……!)
ヴァルプスがとぼとぼと歩いているカーヴェラは、ルクレスの首都であり、ゴラニア大陸の北東に位置する大都市である。片や、今のローレライは西方・ヴァンダートに聳えており……残りわずかな魔力で到達出来る位置には存在していない。勢いで飛び出してみたはいいが、今のヴァルプスにはローレライへの移動手段さえ存在していなかった。
(しかし、今更戻ったところで……ローレライには連れて行ってもらえないでしょう……)
魔力不足を理由に、神界に留め置かれるのが関の山。それでなくても、いくら認めていない相手とは言え……マスターでもある大天使に暴言を吐き、ステータス攻撃の魔法を発動したのだ。それがいかに重大な反逆であるかくらいは、ヴァルプスとて理解している。しかし、彼女は頑なに後悔はしていなかった。
「もし、そちらのマダム。……あなたの行き先は、ローレライで合っていますかな?」
「……! だ、誰ですか……?」
「あぁ、突然のご挨拶にて、失礼をば。私はプランシーと申しまして。……今はグラディウスと呼ばれる、ローレライの主人から命を受け、参上した次第。つまりは、あなた様を迎えに来たのですよ」
裏道の陰鬱な空気も相まって、弱気になっているヴァルプスの前に現れたのは……純白のローブを纏った、どこか影のある老人。しかし、あからさまに禍々しい魔力を纏っているのを感じるに……彼は人外の存在でもあろう。そうして、予断なくヴァルプスは僅かな魔力で稼働していた検知システムの数値に、神経(正しくは電気信号)を巡らせる。
「この魔力の感じ……まさか、あなた様は悪魔ですか?」
悪魔と言えば、神界最強の大天使・オーディエルの口からも「瘴気や数多の敵をもものともせずに、お前を守ってくれるだろう」と言わしめる程に、頼りになる存在らしい。それに、さっきまで唯一自前のデータに「正しい興味」を示してくれたのも、大物悪魔であったと思い出しては……ヴァルプスは愚かにも、警戒心を緩め始めていた。
確かに「今の悪魔」には、無害な者も一定数存在する。しかし、全ての悪魔に対して警戒しなくていいとは、誰も言っていない。真祖達の理解や天使達の態度も軟化したこともあり、大多数の悪魔は「フレンドリー」ではある。だが……それはあくまで、協力することに旨みがあるが故の反応であり、悪魔を手放しで信用していいことにはならない。
「ご名答。私は紛れもなく、悪魔でしょうな。……あなたと同じように天使に裏切られ、闇に魅入られた者です」
しかも、今のヴァルプスに寄り添うこの反応だ。天使に失望し、後戻りができないヴァルプスにとって……目の前の悪魔の方がよほど頼りになる。
「でしたら、是非に私を……。あ、あぁ……こんな時に、魔力切れ……? い、いいえ……違いますね。これは、まさか……!」
「どんなに自由意志を持とうとも、あなた様はどこまでも機神族のようですね。……きっと、私がお預かりしている聖剣に機神族の本能が反応しているのでしょう。ご安心なさい。私はよくよく、存じていますよ。あなた様が、ローレライの元へ馳せ参じたいのだろうことも」
「……!」
もう既に言葉を紡げない口をハクハクと動かしながらも、ヴァルプスは懸命に同意を示す。首を最大限に振り、縋るようにプランシーを見上げては、私をローレライへ連れて行ってと態度で懇願する。
「承知しました。でしたら、善は急げ……ですな。それに、急がないと……飛んだ邪魔が入りそうです」
「……ja、mぁ……?」
皮肉なことに、最大の邪魔者は自分の中に居座ったままだ。どういうつもりかは知らないし、甚だ馬鹿げていると……コランド側のプランシーは考えるものの。「彼」はまだ……救済を諦めていないのを見るに、かの大天使に「本当の意味で」頼るつもりらしい。
(今はお前がしゃしゃり出ていい場面ではありません。さっきはあれ程までに、大天使への繋がりを拒んだのに……今更、もう遅いのですよ)
プランシー……いや、コランドとて、分かっている。さっき「彼」が素直に契約主に連絡を取ろうとしなかったのは、コランドの魂胆を見透かしたからだ。彼女との繋がりを、ただただ利用されるのを否としただけ。だが、非常に悔しいことに……コランド側のプランシーでは、契約主に報せを飛ばすことができない。契約主である大天使・ルシエルと契約したのは、コンラッド側のプランシーであって、コランド側のプランシーではないのだ。それ故か……頑として、プランシーに残されたはずの契約は、コランドの嘆願を無視しつづける。それなのに……。
(ここで大天使を呼ばれたら、却って不都合です。……ここは、とにかくこの機神族を回収するに限ります)
それでなくても、ヴァルプスはローレライに連れて行ってくれる相手であれば、誰でもいい様子。おそらく、魔力が枯渇しかかっているのも、彼女の判断を鈍らせることに拍車をかけているのだろう。「今のローレライからの使者」という自己紹介だけでも、プランシーは信頼に足らない相手であることは明らかすぎるのに……ヴァルプスは、盲目に彼に従おうとしていた。
「……ふむ。レディのこのようなことを申し上げるのは、失礼かも知れませんが……意外と、重たいですね」
「smいまse……ん」
言葉とは裏腹に容易くヴァルプスを抱き上げては、プランシーは「主人」から預かった聖剣に意識を向ける。そうされて聖剣が放つ、眩いながらもどこか影のある輝きに……ヴァルプスの電子回路はようよう、反応さえできなくなっている。
(それでも……構いません……。騙されていようとも、この先にスクラップになる未来があろうとも……私は、ローレライの正常化を……)
ローレライの正常化を成し遂げるためには、何を犠牲にしても構わない。ローレライの正常稼働こそが世界の平和に繋がるはず。
ヴァルプスのプログラムには、それ以上の情報はない。いくら精神が成長する様に作られていたとしても、経験していない事に対して「判断して行動する」までにはヴァルプスは古くもないし、まだまだ未熟でもあった。故に、彼女は常に「自分に与えられた任務」を最短でこなそうとするし……付随する事象を含めて、周りのことには比喩的な意味で盲目になりがちである。
今頃ラミュエルは視界を取り戻しているだろうかと、心配ついでに考えながらも……自身の視点があまりに狭いことさえも、気づけないままだ。




