20−46 存在意義の曲解
「どうしたの、ヴァルプスちゃん?」
「……マスター、そろそろ限界なのです」
ベルゼブブがルシフェル相手に「華麗な推察」を披露している、その頃。カーヴェラの小道では……まさに、ベルゼブブが懸念していた事が現実になりつつあった。明らかに剣呑な空気を醸し出す、ヴァルプス。一方で、キョトンと首を傾げては……何1つ、不都合に気づけないラミュエルはまたも見当違いの反応を示してしまう。
「あっ……魔力が足りないのね! だったら、すぐに神界に戻りましょう!」
「神界に戻りましょう」……それは、この場で最も言ってはならない禁句。ヴァルプスの失望を確固たるものにする、失言である。
「そうではありません。これ以上、あなたの精霊でいるのは……ウンザリなのです」
「えっ……?」
ラミュエルがサンクチュアリピースを取り出すと同時に、ヴァルプスの険悪な視線が突き刺さる。そして次の瞬間、迸る閃光。
「闇黒なる虚空に光の啓明を示せ! 我は情景の庇護者なり! イルミネートフラッシュ!」
「キャッ……⁉︎」
「……所詮、この程度なのですね。大天使とやらも。……本当にガッカリです」
「ヴァ、ヴァルプスちゃん……?」
ヴァルプスのエレメントは風属性である。しかしながら、ラミュエルの水属性とは相性がいいとは言え、ヴァルプスには攻撃魔法は使えない。更に下級精霊でもある上に、魔力も枯渇している状況では使える補助魔法も高が知れている。それでも……今の彼女にとっては、目眩しが出来れば十分だ。
「ご存知の通り、イルミネートフラッシュはただの目眩しの魔法です。しばらくしたら、視界は元に戻りますし……間違っても死にはしませんから、ご安心を」
「だ、だけど……ヴァルプスちゃんは、これから……」
「ですから……ウンザリなのだと、申したでしょう? 私はすべき事を迅速に実行する事にしたまで。……それが私自身のプログラムとアイデンティティによる判断となります。いくら大天使とは言え……これ以上、私の存在意義の曲解を許すわけにはいきません。例え、この身がスクラップになろうとも。私は本来の目的である、ローレライの浄化を直ちに実行します」
突然の事に、ラミュエルの頭は理解が追いつかない。だが、ヴァルプスの語気に明らかな軽蔑と嫌悪が仕込まれていることくらいは、頭で理解はできなくとも、肌で感じることはできる。そして……すぐさま、悟るのだ。ヴァルシラが自身を主人として認めてくれていても、ヴァルプスは違うのだと。ヴァルシラとヴァルプスとを同列に考えていたこと……彼女達を一緒くたにして、個々の性質や思想を考えてやらなかったことが、最大の過ちであったことを………視界を奪われた一時の闇の中で、ラミュエルはまざまざと理解するのだった。
***
(ほぅ……面白い事になっているな)
自身(正しくはコンラッド側)が契約している大天使に、偽りの「救難信号」を送ろうとしていた最中。内なる邪魔者のせいで上手くいかないことに、プランシーは苛立ちを隠せないでいた。だが……暇潰し紛れに、屋根の上から見下ろしていた小道では奇妙でありながら、あまりに好都合な仲違いが繰り広げられている。この好機を利用しない手はないだろう。
(これこそ……神の思し召し、でしょうかな。……もう、いい。お前は引っ込んでいろ)
今まさに膝を折り、クラリと体制を崩している方が……おそらく、契約主側の天使だろう。翼を隠していても溢れる神々しい空気に、手に携えられた杖は明らかに特殊な魔法道具。青髪は流水のようなうねりを見せ、白のローブ姿はさながら、美しい水の精のよう。だが、彼女は底抜けに間抜けで警戒心も薄いらしい……いや、この場合はその限りでもないか。
(……それこそ、慢心というやつなのでしょうな。……天使は絶対に正しいという……)
無情にもその場を立ち去ろうとしているヴァルプスを目で追いながら……天使という存在について、思案するプランシー。示されたターゲットと思しき機神族を見失わないように、抜かりなく屋根の上を移動しながらも……天使を悪様にできる判断材料に、口元の歪みを抑えることができない。
(天使は嫌われるはずがない、天使が裏切られるはずがない……心のどこかにそんな驕りがあるから、精霊から見限られるのです。……ふん。やはり天使や神というのは、自分勝手で傲慢だ……)
プランシーの考察は、あいにくと非常に正しいと言えるだろう。少しずつ変わり始めているとは言え、天使が高慢なのは根本的に変わっていない。表向きは大様にして、柔和になったものの……契約を主従関係に当てはめては、精霊は「使役するもの」と考えている者も未だ多い。そこに悪意があるかないかは、天使個々の思想に依存するので、全員が全員、奢っているとは言い難いが……天使が総じて精霊に対するアドバンテージを保持しているのは、紛れもない現実である。
だが……純粋な悪意はなくとも、鈍感なのはもっとタチが悪い。特に、ラミュエルのようなタイプは精霊側にしてみれば、最も厄介なのだ。悪気はなくとも、相手の真意に気づけない。精霊の主張や希望さえも、理由をつけて退け、積極的に叶えようとしない。鈍感な善意は無自覚な分、明確な悪意よりも遥かに救いようがないのだ。無自覚であるということは、相手を意図せず追い詰めていることにも気づけない上に、お門違いな親切さえも装って見せる。迷走した親切は時に、何よりも相手を深く傷つける事さえにも……気づこうとしない。
(それに気づけなかったのは、ただの怠慢でしかない。……つくづく、同情の余地もありませんな)
往生際悪く、一時的に盲いた大天使は尚も、縋るように精霊の名を呼び続けているが……一方のヴァルプスと言うらしい機神族は、背後から響く声さえも無視を決め込んだ様子で、僅かに振り返ろうともしない。ここまでの嫌われようは……冗談抜きで、類を見ない程である。