20−16 野望があるのはいい事だ
本題に入る前に、珍妙すぎる光景を目の当たりにして……俺は何をどう理解すればいいのか、とうとう考えるのも放棄していた。事あるごとに遭遇する皆様の事情がディープで濃ゆすぎて、てんこ盛りなもんだから。もう、難しいことを考えるのはやめておこう。
「ベルゼブブ。ちょっと、話いいか?」
「うん? もちろんオッケーだよん。……今の僕は、暇だからね」
「……」
かつての派手で無駄に色が渋滞していた衣装とは異なり、今日のベルゼブブはとってもシックな紺色のガウンを着込んでいる。装飾も控えめなら、色味もまとまっていて、目には優しい大悪魔になったものの。どうも、はっちゃけ加減も鳴りを潜めている様で……急に寂しそうにされると、以前の親玉の姿が懐かしく……。
(いや、ないな。洋服の趣味はこっちの方が断然、いい)
ベルゼブブの傷心の理由はなんとなく、理解できなくもないが。しかし、それはお嫁さんに超多忙なルシファーを選んだのだから、仕方がないと思う。それでなくても、神界側はローレライの事で大騒ぎになっているみたいだし。
「それじゃ、例の人間界の拠点作りについてだけど。聞いた話によると、料理を自動で作ってくれる装置を拵える予定なんだって?」
「そう、そうなんだよ。だけど、さ〜……僕、料理した事ないし。材料とか、何をどう組み込めばいいのか、分からないんだよねぇ。一応、メニューの読み取りが出来るところまでは考えてるんだけど。肝心の調理方法がテンで分からなくってぇ……」
「そか。だったら……俺が書き溜めているレシピ、使う? もし良ければ、譲ってもいいけど」
「えっ? ホント⁉︎」
「うん、構わないよ。最近はレシピを見なくても、慣れで料理できるようになっちまったし。嫁さんが用意してくれるのが高級品揃いだから、失敗も少ないし。レシピに頼る頻度も減ってるから、こっちで有効活用してもらった方がいいだろ」
しかし、やっぱりそこは暴食の大悪魔。食を豊かにするアイディアを惜しげもなく、提案すれば。ちょっと沈みがちだった表情を忽ち、嬉しそうにして見せる。
「そうと決まれば、ベルちゃん、頑張っちゃおうかな。ハーヴェンのレシピを元に、バッチシ料理を再現できるようにキッチンを作っちゃう★ それと……ほら、君達も出番だよ。料理と言えば、火が命! 折角だし、僕と一緒に人間界でひと汗かかない? と言っても、悪魔は汗はかかないけどね〜」
「はいでしゅ。僕達も美味しい料理、食べれるようになりたいです」
「だけど、お頭的には痩せろって事だよな?」
「はぅ……美味しい料理、食べたらまた太る……」
「それはそれ。人間界は魔力が薄いから、向こうにいるだけでも痩せられるだろうし、ちょうどいいかもな。みんなもベルゼブブのお手伝い、しておいで。それと……ヒスイヒメ、お願いがあるんだけど」
「えぇ、もちろん、分かっております。留守は私がお預かりしますわ。そちらの拠点が出来上がりましたら、改めてお伺いする事に致します」
「うん、それで頼むよ。つまらない仕事を押し付けて、悪いな」
ヒスイヒメはクロヒメと比較しても、ややほんわかしている女の子だと思っていたけれど。彼女がいない穴埋めなのか、はたまた、同僚の様子を見かねて使命感を燃やしているのか。いずれにしても、こうして物分かりがいいと……。
「いえ、その方が好都合です。私には、ダイナマイトボディを目指す目標があるのですからッ! リッテル教官みたいに、ボンッ! キュッ! ボンッ! な魅惑のボディを手に入れるためにも、食欲に負けてはいられません!」
「うん……?」
あっ。ヒスイヒメのこれは、物分かりがいいだけじゃないっぽい。明らかに個人的な欲望を優先した結果みたいだぞ。暴食の領分さえも吹き飛ばすくらいに、ヒスイヒメを洗脳するなんて……リッテル教官、恐るべし。
しかし……ウコバクの時点でダイナマイトボディは無理じゃないかな……。足の長さは変えられないだろうし、胸は望み薄だろうし……。大元の素材そのものの次元が違う気がするけど……。
(ま、まぁ……野望があるのはいい事だ。理想に忠実なのも、悪魔的には間違っちゃいないし)
そんなことを考えながらも、お約束のレシピをベルゼブブに渡す。何にしても、子分達の元気そうな様子を確認できて、一安心と言ったところか。まぁ、うちの親玉はいい加減でチャランポランだけど、面倒見だけはいいからな。俺が無駄に心配する必要もないんだろう。
***
ハーヴェンからレシピを譲ってもらって、「とりあえずは」ホクホクと顔を綻ばせるベルゼブブ。そうして、ヒスイヒメに留守番をお願いし、他のウコバク達を連れて人間界へ降り立つ。
(だけど……うん。ここに来ると、やっぱり思い出しちゃうな。君のこと)
ルシフェルに「この区画を使うといい」なんて言われたスペースは、バビロンと一緒に辿った白い空間の1つ。廊下の脇を入ったところにある部屋には、中央にテーブルと椅子があるのみで、他に生活感らしい生活感は残っていない。いや……この部屋だけではなく、「ラボ」と呼ばれるこの場所には、誰かが暮らしていた痕跡も、誰かが息をしていた気配さえも残されていない。ただただ、気持ち悪いくらいに曇りのない真っ白な光景が続くだけである。
「あぁ……なーんて、つまらない場所なんだろ。ウキウキもワクワクも、一欠片もないねぇ……」
「なんだか、味気ないですね」
「ベルゼブブ様、どうするですか?」
「もっちろん、決まっているじゃない。……これから、この空間を僕達色に染めるんだよ」
「はぅ?」
今は思い出を蒸し返して、気落ちしている場合じゃないか。
子分達の目もあってか、努めて陽気に振る舞うベルゼブブ。それでなくても、人間界の拠点を整えれば、他の悪魔達も大喜びだろう。ここは真祖として腕を振るわなければ、暴食の大悪魔の名が廃る。
「と、言うことで……ジャジャーン★ ベルちゃん特製・クッキングシステム召喚ッ!」
「おぉ〜!」
「これ、魔法道具です? 魔法道具ですよね?」
「そのとーり! ハニーからお許しももらってたし、こっそりコツコツと魔法道具を構築していたんだよん。早速、設置と設定を済ませてみようかな。えぇと……まずはハニーからもらった接続先アドレスを入力して……」
ルシフェルから提供があったのは、カタログリストのメインシステムと思しき接続情報。それを手慣れたように、自作の魔法道具のパネルに入力しては……表示された「接続成功」の文字にニンマリとベルゼブブはほくそ笑む。
「よっし、材料の提供元とはコネクトはできたみたいだね。次は……ここにハーヴェンのレシピを差し込んで……と」
「よく分からないけど……」
「ベルゼブブ様、頑張れ〜!」
「うんうん、みんな待っててね。これが上手くいけば、美味しい料理を好きなだけ食べられるようになるからね〜」
ハーヴェンの文字がまだ綺麗で助かったかも、とベルゼブブは自分の達筆具合を自省しては、今度は苦笑いしてしまう。システムのスキャンニングの精度は上げてあるとは言え、ベルゼブブの文字を解読できるレベルまではとうとう、作り込むことはできなかったのだ。それに比較して、ややこなれた癖があるとは言え……全体的に難なく読めるハーヴェンの文字が相手であれば、楽勝ということなのだろう。適当にレシピを放り込んだにも関わらず、スキャン部分の読み取り結果を元に、パネルには次から次へと魅惑的なメニューが羅列され始める。
「さて……最後に、君達! 出番だよ。ここのエネルギー補充部分に、ちょっと火種をもらえないかな?」
「はーい」
「ここでいいんですよね?」
「うん。そこに思いっきり、火を頂戴。ベルちゃんは地属性だから、火は出せないんだよん」
それも本当は魔法道具を作れば何とかなるけれど……なんて、意地悪は言わないでおこうと、内心で舌を出すベルゼブブ。折角やる気を取り戻したウコバク達の働き口を取り上げるのも、面白くないし……何より、ハーヴェンの懸念が効いてもいるのだろう。我先に油匙を振り始めたウコバク達の姿に、この調子であればプニプニボディがモフモフボディに戻るのも近そうだと、顔を綻ばせる。そして……。
「あっ! ほらほら、みんな! お料理1号が出てきたよ!」
「わぁぁぁぁ! 本当でしゅ!」
「これ、なんて言うお料理ですかぁ〜?」
「う〜んと……メニュー名は“ルシエルのリゾット”、って言うらしい……」
「そう、ですか……」
「お頭、なんだかんだで……姐さんとラブラブなんですね」
「うん……みたいだねぇ。ちょっと、悔しいかもぉん」
クッキングシステムの「取り出し口」ユニットからずずいと現れたのは、見るからに幸せ色をした黄色いリゾット。そうして現れた料理第1号を皮切りに、どうやらレシピを投入した分が全て処理されたらしく……次から次へと、バリエーション豊かでカラフルな料理が暴食の悪魔一行に提供される。
「それはそうと……す、すごいです、ベルゼブブ様ぁ!」
「みんな美味しそうでしゅ……!」
「うんうん、どれもとっても美味しそうだね。……ふふ。魔法道具の生成は成功ってところかな。これをベースに、いろんな部屋にシステムを増設して……みんなでパーティも楽しいかもね」
「そうですね!」
そうして一頻り「世紀の瞬間」の喜びを噛み締めたのも、束の間。ウコバク達が恨めしげに、料理を示してはベルゼブブをウルウルと見上げ始める。
「あぅ……でもぉ、ベルゼブブ様」
「このいい匂いを前にしたら……俺達、我慢できないですよ……」
「これじゃ、生殺しですぅ……」
「そうだよね、そうだよね。ベルちゃんも、お腹ペコペコ。もぅ、我慢できないかも〜。と、言うことで……ここはみんなで……」
「いただきま〜す!」
一仕事後のご飯は格別に旨い。そうして、消費した魔力(もとい、カロリー)もあっという間に補填して。一足早い人間界ライフを堪能する、暴食の悪魔達なのだった。




