3−20 精霊名は《べへモス》
エルノアとコンタローも連れて、嫁さんと一緒にゲルニカの屋敷にお邪魔する。今日はギノの晴れの日という事もあり、出かけずに待っていてくれたらしい。ゲルニカと奥さんが、揃って出迎えてくれた。
「よぅ! 約束通り、嫁さんも連れてきたぞ〜」
「あぁ、いらっしゃい。オフィーリア様もお見えになっているから、一緒にギノ君を見守ってやってくれないか」
「もちろん。な、ルシエル?」
「あぁ。……先日のことといい、ギノのことといい。何もかもお世話になり通しで、申し訳ない限りです。本当にありがとうございました」
「いえいえ、とんでもないことです。私も妻も楽しい時間を過ごさせていただきました。それでなくとも……テュカチア、泣くのは後にしなさい。感極まるには、ちょっと早すぎるだろう?」
「うぅ……だって、あなた。ギノちゃん、本当に頑張ったんですのよ? たくさんの酷い目にあったのに、こうして無事……私、もう胸が一杯で……」
さめざめと涙をこぼす奥さんに、ハンカチーフを引っ張り出して差し出すゲルニカ。そうして、差し出されたハンカチーフを素直に受け取ると……何かのタガが外れたらしい。彼女の小雨が大雨に変わる。
「うぅ、母さま……私も、分かるかも。ギノ、本当に頑張ってたし……」
「お、お嬢様。あの、これ、ハンカチ……」
コンタローが涙を流し始めたエルノアのために、次元袋から妙にコンタローそっくりの犬の顔の刺繍がされた小さなハンカチを取り出して渡す。これまたそれを素直に受け取って……母親に見事に感化されたらしいエルノアも、盛大に泣き始めた。母娘共々、開幕早々に号泣するゲルニカファミリー。当主のゲルニカは、とっくに何かを諦めた様子で……彼女達に構わず、話を進めてくる。
「とにかく、オフィーリア様達もお待ちかねです。こちらにどうぞ」
「あ、あぁ、そうだな。にしても……長老様達? エメラルダも来てんのか?」
「いや、今日は興味本位で、もう1人エレメントマスターがお見えになっていて。ルシエル様にお目通り願いたいらしい」
「私に、ですか?」
相変わらず、長い廊下を渡った後に通された部屋は……今までの部屋とは、比べ物にならない広さの部屋だった。ゲルニカ曰く大広間兼、会議室とのことで……中央の円卓の上座に長老様ともう1人、見慣れない伊達男が座っている。そして長老様の右手少し離れたところに、ギノが座っていた。
「おぉ、ルシエル様、それにハーヴェンちゃん。久しいのぅ!」
「長老様もお久しぶり。元気にしてたか?」
「もちろん。ワシはいつでも、バッチリじゃよ?」
フレンドリーに手の平を差し出す長老様に、ハイタッチで応える。つい2人で「イェ〜イ」とか悪ノリしたもんだから、すかさず、嫁さんから厳しいお言葉が飛んで来た。
「ハーヴェン、相手は竜界の重鎮だぞ。敬意を払わんか」
「お? そういうもんか?」
「そういうもんだ! 長老様ご本人が良しとしても、礼節はわきまえろ!」
「ま、ま、ルシエル様。別にワシは構わんよ? むしろ、ハーヴェンちゃんみたいに人懐っこい方が好みじゃよ?」
「し、しかし……」
そんな様子を初顔の伊達男が苦い顔で睨んでいるが、何か怒っている? 俺、やっぱり……悪ノリしすぎちゃったかな?
「……ゲルニカやエメラルダ様が契約した相手と聞いて、見に来て見れば……随分と貧相な天使ですね? しかも、たった四翼で我ら竜族と契約を交わしているのですか? 竜族が契約をするのは、釣り合わないにも程がありますし……何より、危険ではないかと思いますが」
しかし、矛先は俺ではなくルシエルの方だったようで……初対面でいきなり食ってかかられて、面食らうが。それはルシエルも同じらしい。彼女の明らかに驚いた表情を見るに、まさか全否定されるとは思ってもいなかったのだろう。
にしても……なんだ? こいつ。俺の可愛い嫁さんにケチつけやがって……。
「何だ、お前? 黙って聞いていれば……人のマスターをバカにしやがって。言っとくが、ルシエルは下手な上級天使よりも強いぞ?」
「ハーヴェン、よせ。……彼の言う通り、私が中級天使であることに変わりはない。もともと、竜族との契約資格はないのだから……仕方なかろう」
「でもよ……?」
少し驚きはしたものの、そういうことは言われ慣れているらしい嫁さんが俺を宥める。とても悔しいが……ルシエルはこの場を荒げるつもりはないようだ。そういうことなら、彼女の意思を尊重するしかないが。……いつかギャフンと言わせてやると、心に誓う。
しかし……怒りを覚えたのは、どうも俺だけではなかった模様。この場でギャフンと言わせるのを諦めた俺の代わりに、さっきまで泣いていた奥さんが珍しく攻撃的な口調で伊達男を詰る。
「まぁ、マハ様は相変わらず横柄でいらっしゃるのですね? いくらエレメントマスターだからといって、主人やエルノアのマスターを悪く言うなんて。私、見損ないました」
その言葉に、強気な態度を見せていたマハ様とやらが急に慌てて言い訳をする。あ、そうか。こいつが例のナルシストだったのね。
「テュカチア様、私がいつ、横柄だったとおっしゃるのです? 私はただ、竜界の未来を案じて、ですね……」
奥さんにそんな風に言われたのが、よほどショックだったのか……伊達男の勢いがみるみる萎んでいく。そして追い討ちをかけるように、今度はエルノアが伊達男を詰り始めた。
「本当! いっつも、いっつも、最低! そんなんだから、全然結婚できないでしょ? 性格が悪すぎるからなんじゃない?」
「……⁉︎」
幼いエルノアからも痛恨の一撃を喰らい、見事に撃沈する伊達男。そして、綺麗なお顔が苦渋の表情に歪んでいくのにいい気分になるのだから……俺も相当、意地悪なんだろうが。……ま、俺は中身は悪魔だし。彼女達の仕返しにスカッとするのも、別に問題ないよな?
「お、お前達、少し落ち着きなさい。それでなくとも、今日はギノ君の目出度い日なのだし……。えぇと、オフィーリア様……」
慌ててゲルニカが止めに入った上で、長老様に話を振る。納得しかねている2人をよそに……長老様も彼の意見には賛成らしい。
「そうじゃの。テュカチアちゃんも、エルノアちゃんも、喧嘩は後にしなさい。ゲルニカの言う通り、ギノ君に祝詞を授けるのが先じゃよ。ほれ、とにかく座るのじゃ」
「ムゥ〜……爺やがそう言うなら、仕方ないな。……そうだよね。今日はギノの大切な日だもん。我慢する」
「そうそう。エルノアちゃんはいい子じゃの〜」
「私も我慢します」
「テュカチアちゃんは……ふむ。もう少し、大人にならないといかんの?」
「まぁ、オフィーリア様ったら! 私にはいい子って、言ってくださらないの?」
「それはゲルニカに言ってもらいなさい」
妙にむくれている奥さんを、うまく躱す長老様。そう言われて……奥さんが真っ直ぐにゲルニカに向き直る。どこか気押されるように、仕方なくいい子いい子と……頭を撫でるゲルニカに、満足そうにしている奥さん。
「あ! エルノアも、エルノアも!」
乗っかるエルノア。
「ほら、とにかく座って。2人とも……いい子だから」
そう言いつつ……結局、両手で妻と娘の頭を撫でる羽目になったゲルニカに女難の相を見たのは、俺だけではないはずだ。そんな調子のゲルニカファミリーを尻目に、ギノの隣に腰掛ける。隣にルシエル、膝の上にコンタローを座らせて、ようやく本題に入れるようになったが……。なんだか、主役のはずのギノがさっきから怯えた顔をしているので、申し訳ない気分になる。
「ギノ。なんだか、ごめんな」
「いいえ、大丈夫です。僕のためにたくさんの人が集まってくれたんですから、こんなに嬉しいことはありません」
そんな彼からは、妙に空気を読んだ殊勝な言葉が返ってくる。……ギノの方は心なしか、かなり成長したというか。きっと訓練の成果もあるのだろう。同年代のはずのエルノアと比べても、大人びた印象を受ける。
と言うよりも、この環境で過ごせば空気を読むのも上手くならざるを得ないのかもしれない。「父さま」に似た雰囲気を見事に纏った、彼の気遣いは……きっと、女難の相が出ているゲルニカの影響に違いない。
「さて、と。まず報告じゃが、竜女帝様もギノ君の仲間入りを心より喜んでおった。彼女も君を竜族として迎え入れるのをお許しくださってな。精霊名もバッチシ、承認済みじゃ」
長老様がまず始めに、ギノの仲間入りが承認されたことを説明してくれる。竜族の仲間入りがどんなものかは分からないが、少なくともトップが認めてくれたということは……ギノは精霊として生きていくことを拒否されなかったということなのだろう。俺がそんな事をぼんやり考えていると、長老様が更に言葉を続ける。
「での、ギノ君の精霊名についてだが。第2の闇属性持ちということもあって……バハムートの別名から取ることに決めたよ」
「バハムートの別名、ですか?」
長老様のお言葉に対するルシエルの何気ない質問に、今度はゲルニカが丁寧に答えてくれる。
「バハムートは古来の神話に登場する、大陸を支える竜魚に准えた精霊名なのです。深淵の地に潜む漆黒の鱗を持つ精霊……という意味で名付けられたのですが、バハムートには別の言語で違う呼び名があるのです。おそらく、ギノ君はそちらの別名を賜ることになったのでしょう。そういうことでよろしいでしょうか、オフィーリア様?」
「うむ。その通りじゃ。なので、ギノ君の精霊名は《べへモス》に決定した。出来立てホヤホヤの新種じゃからの。う〜む、カッチョいいのぅ!」
「べへモス……それが、僕のもう1つの名前……」
「そうじゃ。ほれほれ、ギノ君。こっちに来て、右手を出しなさい」
「は、はい……」
相変わらずハイテンションの長老様に呼ばれて、ギノがおずおずと右手を差し出す。
「さて。これは長老としてのワシの役目じゃの。ギノ君、目を閉じて……ゆっくり深呼吸しなさい。今から竜言語による祝詞を、君に刻むとしよう」
差し出されたギノの右手に……長老様の右手が重ねられたかと思うと、ゆっくりと聞き覚えのない言葉で呪文が紡がれる。それと同時に、淡い緑色の光があたり一面を優しく包み込んだ。
「ディング デル インダー エンデ ワールツェルト シンデ ヘレン、シー オウフ ダイ ヴォート デス アダープラセス。ダイ ロビュシュテン グライエダー シンデ ヴェクター デス ドラケンスタメス……」
まるで一瞬、深い森で深呼吸をしているような清々しさを覚えたかと思うと……いよいよ、竜族としての祝詞がギノに授けられたらしい。見れば……ギノが涙を流して、長老様にお礼を述べている。
「……本当に、素敵なお言葉をありがとうございます……。僕も父さまや長老様みたいに、みんなを守れる立派なドラゴンになりたいです」
「ホッホ。ギノ君は本当に、いい子じゃの。地属性の竜族は防御に長けておる。本来、守護を担うはずの我らの特長を、最も発揮できる属性でもあるのじゃよ。祝詞通りに、大切なものを守れる雄々しい竜族になる事を……ワシも心から、祈っとる。さて。今度はルシエル様の番かの?」
「えぇ、そのようですね。……ギノ。人間界に戻るならば、瘴気を取り込める体質とはいえ、天使との契約は必須だと思う。そこでまず確認だが……私は中級の天使であるため、本来は君達竜族と契約する資格すら持ち合わせていない。それでも、私との契約で……ギノの方は問題ないか?」
「はい、もちろんです」
「そうか。であればまずは、対等の契約を結びたい。君の強みのどれを私に捧げてくれるか……教えてもらえるか?」
そこまでルシエルが説明したところで、ギノが何かを否定するように首を大きく振る。
「僕の方こそ、まだまだ未熟な子供でしかありません。対等ではなく……全幅の契約を望みます。僕はあなたがその契約に相応しい相手である事を、よく知っています。だから、お願いです。僕はあなたに拒まれない限り……あなたにずっと付いて行きたいんです」
「……そういう事であれば、私は構わないが……」
祝詞とやらをもらったせいか、ますます大人びた反応を示すギノ。こう短期間で目に見える成長を目の当たりにすると、少し寂しい気がした。どうやら、寂しいのは俺だけじゃないらしい。……奥さんとエルノアがまた、視界の端で号泣している。
「では、改めて。僕はギノ、と言います。契約名べへモスの名において我が牙、我が咆哮、我が翼。我が身全てをマスター・ルシエルのために捧げることを誓います」