1−9 天使にしてみれば美味しい相手
計画通りの夕食を平げ、満腹になったところで……船を漕ぎ始めるエルノア。そんな彼女を、とりあえず休ませることにしたが。俺達のピリピリした空気が確実に伝わっているのに、少し申し訳ない気分になる。
きっと、原因が自分も無関係ではないことを自覚しているのだろう。エルノアも心配そうな顔をしてはいるが……それ以上に、彼女の瞼は完全にくっつきそうだ。魔力が薄いところで魔法を発動したせいもあるだろうし、疲れているに違いない。明らかに熟睡数秒前状態の彼女を、ルシエルが寝かしつけてリビングに戻ってくる。
「……で? 今日の夕食も相変わらず、非常に美味しかったわけだが。それとは別に、昼間は何をしたんだ?」
妙に不機嫌そうなルシエルは案の定、俺達の「やらかしたこと」に気づいているらしい。アップルパイの時に使ったりんごのコンポートで作ったシャーベットをお召し上がりになっても、ご機嫌麗しくない。ブルーの瞳がいつも以上にクールな色味を帯びている……気がする。
それも無理もないか……。何せ、俺が付いていながらエルノアは魔法を3発も発動している。しかも、後の2種1組はどう考えても、ちょっとやそっとの事態で使う魔法じゃない。ルシエルは感情的になるタイプではないが、誤魔化しも利かない、ある意味でタチの悪い相手だ。……仕方ない、正直に話すか。
「実は、さ。町に一緒に行ってきてな。で、悪いおじちゃん達に目を付けられた……と」
「だが、使ったのは回復魔法だろう? まさか、お前が怪我でもさせられたのか?」
「いや、そんなヘマはしねぇよ。このままでも、圧勝できる相手だった」
「では、なぜ?」
「あの子は相手の気持ち、というか……感情をそれとなーく、読み取る能力があるみたいでな。俺が足を切り落とした相手が可哀想だからと、回復魔法をダブルキャストで発動してみせた」
「……ほぅ?」
「アハハ、悪りぃ。あの子がそんなに魔法を使えるなんて思いもしなかったし……人間の目にどんな風に映るか、考えてもいなかった。俺の詰めが甘かったせいなんだ。エルノアは悪くない」
「いや、別に怒っていない。ただ、魔法の種類が少し特殊だったので……どうしたのかと思っただけだ」
「お? もしかして、心配してくれてた?」
「……調子に乗るな」
「うわ、怖っ!」
ルシエルはやれやれといった様子で疲れたように首を振ったが、そこまで怒ってはいないらしい。寧ろ、心配してくれていたなんて意外だ。
「……ところで、ハーヴェン。お前に伝えておかなければいけないことがある」
「ん? なんだ?」
そう言って、彼女は1冊のちょっと大きめな手帳をテーブルに置いた。これは確か……?
「私の精霊帳だ。天使が精霊を把握するために利用するデバイスなのだが……今日、私が契約した内容を公開してきた」
「公開?」
「こいつには、記憶台という親になる大元の装置がある。そこにエルノアとお前の精霊情報を登録したんだ」
「俺の精霊情報……?」
「そうだ。記憶台は晴れて、お前を精霊として認めたらしい。ほら、このページに登録されているだろう」
「おぉ、本当だ! ……でも俺、こんなにブサイクだったか?」
「まぁ、お前を初めて見たときはこの姿だったな。大体合っている」
「……俺、この姿のままでいよう……。どう見ても、ヤバいだろ……これ」
「自覚はあるんだな」
「それ、マスターのお前が言うことか⁉︎ そこはフォローするところだろ〜⁉︎」
俺が少しおどけてみせても、「そうか?」と素っ気なく答える彼女は、相変わらず難しい顔をしている。こういうところで一緒に笑えたらいいのかもしれないが、彼女には笑顔というものがないと思える程に、表情はいつも硬い。……実際に俺はこの3年間、ルシエルの笑顔を一度も見た事がなかった。
「まぁ、それはいいとして。問題はエルノアの方だ」
「……と、言うと?」
「あの子の魔力レベルは6。……竜族とはいえ、強制契約を拒否をできるレベルじゃない」
「うん? それって、どういうこと?」
「天使側の基準で申し訳ないことではあるのだが……精霊帳ではある程度、精霊の魔力と行使可能な魔法数から登録した相手をランク付けしていてな。大凡の基準ではあるが、魔力レベルは最大値が10まで存在する。で、お前はレベル9。全体で見ても、最強レベルに近い」
「おぉ! 俺、スゲー‼︎」
「そうだな。だから、私もお前のことに関してはある程度、放って置いても問題ないと判断していた。こちら側での自由行動を許していたのには、お前が悪魔にしては温厚な性格だったのと、他の天使がちょっかいを出さないだろうと踏んでいたからだ。……とは言え、お前の情報自体も今日初めて登録したから、ちょっかいを出されようもなかったんだが」
俺は意外と、ルシエルに信頼されていたらしい。留守番はちょっと寂しいこともあったが、相容れない種族である以上、仕方ないと思っていたし、きちんと食材を調達してきてくれるだけありがたいと思っていたが。まさか、そんな風に思ってくれていたなんて。だが……俺の浮かれ具合とは対照的に、ルシエルはやっぱり難しい顔をしたままだ。他に気がかりなことでもあるんだろうか?
「……で、エルノアのレベルは6。全体の平均よりは高いが……子供ということもあるんだろう。竜族の割にはレベルはおとなしい方でな。彼女の派生元のヴィーヴルが竜族の中でも、低級に該当するせいもあるかもしれないが。何れにしても、このレベルの竜族は、天使にしてみれば美味しい相手だ」
「それ、どういう意味だ?」
「竜族は契約が異常なまでに難しい種族でな。お前も知っての通り、普通の天使では会うことすらできない。我々天使の中でも、上級天使になって目通が叶うかもしれない、幻の存在でな。しかも、目通り叶っても契約が成立するかは分からない。竜族はそれだけ珍しく、そして強力な種族なんだ。実際、最新状態の精霊帳にも竜族はエルノアの情報を含めても、たった5種類しか記録がなかった。要するに、竜族は契約できただけで簡単に箔が付く、希少種でもあるんだよ」
箔が付くだって? それ、何のための箔なんだ? 精霊との契約は、箔付のためにするもんじゃないだろ。
そんな事を悶々と考えていると……思いの外、俺は難しい顔をしてしまっていたみたいで。ルシエルは俺がそんなことを考えているのにも、気づいたのだろう。ため息交じりに話を続ける。
「嫌な言い方をしているのは分かるし、少なくとも、私はエルノアをそんな風に扱うつもりもない。契約はあくまで、両親の元に返すまでの一時的なものだと理解している。……しかし、こういう考え方をするのは悲しいことだが、天使の中では少数派でしかない」
「俺には、お前の感覚が正常に思えるが?」
「そうか。……話を戻そう。ある程度の目安とはいえ、精霊の力を推し量るには、精霊帳の情報はほとんど正として判断される。で、その判断基準でいくとレベル6というのは……ある程度の力を持った天使であれば、強制契約が成り立つレベルなんだ」
「そういや、強制契約って何だ? 俺の全幅契約とは違うのか?」
「似て非なるもの、だな。全幅契約は天使側に全てを預けているとは言え、全てを失う契約じゃない。簡単に言えば……天使側に負担をかけない契約、といったところか。呼び出しに応じようとそうでなかろうと、魔力の負担が全て精霊側にかかるだけで、天使側が必要以上に干渉することはない。それに天使側から能力の発動を命令されない限り、それ以外の自由は精霊側にある。そのため、一定レベル……魔力レベル8以上の者であれば、全幅契約であろうとも呼び出しを拒否する事もできるし、精霊側からの契約解除も可能だ」
「……それってつまり、俺はお前との契約をいつでも解消できる、って事か?」
「そうなるな。……なんだ、この期に及んで、野良に戻りたいのか?」
「いや、そうじゃないけど……。それ、契約の前に言っておいてくれても良かったんじゃ……?」
「初めから悪魔を全面的に信用できるほど、甘くはないんでな」
なるほど。おそらく、彼女は俺を「管理」する意味で、敢えて伏せていたのだろう。と、いうことは……今の俺は信用されているってこと?
「ま、いいや。俺も今更、悪さするつもりもないしな。それじゃ、強制契約はどんな契約なんだ?」
「目安で行くと、魔力レベル7以下……下級精霊から中級精霊に対して、名前を奪う事で隷属化させる契約でな。場合によっては碌に魔力を渡さず、魔力を使い果たすまでこき使うことも可能だ」
「は⁉︎ なんだそれ⁉︎ おかしいだろ‼︎」
「もちろん、倫理上も絶対にしてはならない行為だ。……だがな、実際に起こりうる事態でもあるんだよ」
「でも、お前はそういうことはしない訳だし……エルノアは大丈夫なんじゃないか?」
「無論、私はそんなことはしないし、エルノアとの契約は彼女の同意の上で行った対等契約だ。あの子の魔力が尽きる時は私が可能な限り補填するし、状況次第では、お前の魔力を分けてもらうことにもなるかもしれない」
「それは別に構わないよ? 俺もあの子の両親に会わせてやるって、約束しちまったし」
そうか……と、ルシエルはちょっと安心したように答えたが、どこかバツが悪そうに更に言葉を続ける。
「ただ、強制契約には……もう1つ、理不尽な特性があってな。問題は、この契約は自分より低級の天使の契約は無視して行える……という部分なのだが」
「オイオイオイ、それってまさか……」
「……そうだ。私以上の上級天使があの子をねじ伏せ、イエスと言わせた時点で強制契約が成立してしまう。で、私は知っての通り、最下級の天使だ。私より上位の天使の方が圧倒的に多いだろう。まぁ、私よりもあの子を早く両親に会わせてくれそうな適格者がいれば、エルノアを託すことも考えて登録したんだが。……レベル6がその範囲であることを考えると、そういう輩も出てくるかもしれない」
「要するに、だ。お前が留守の間は、俺が面倒を見てやればいい……と?」
「……そうなるな。まぁ、そんな暴挙に出る者はいないと思うが。いざという時はすまないが、あの子を頼む。場合によっては、魔力解放も構わない」
「そんなこと、言われなくても分かっているよ。それに、あの子は意外と強情だぜ? 多分、力尽くは通用しないんじゃないかな」
「そうなのか?」
「あぁ。俺の言うことはすんなり理解するし、基本的には素直な方だと思うが……なんだろうな。勢いで行動する部分があるみたいだし、あの子なりの基準があるみたいなんだ」
「基準……か」
「そ。あの子、俺が魔法を勝手に使うのはやめろと忠告したそばから、魔法を使って人助けしやがった」
「別に人助けは悪いことじゃない。それに……性根が腐っているよりは、遥かにマシだろう」
「ま、まぁな」
……性根が腐っている、か。ルシエルの普段の言葉遣いからすると、少々荒い言葉な気もする。……何かあったんだろうか? 明らかに、特定の相手を思い浮かべての発言だったような気がするが。
そんなことを際限なくグルグルと……自室のベッドに横になりながら、考える。
それでなくても、ルシエルは自分自身も含めて天使自体を嫌っているフシがある。自分を下級天使だとか言う割にはかなりの実力もあるし、あの冷静な判断力はちょっとやそっとのことで身につくものでもないだろう。いや、冷静なんてモノじゃない。ルシエルは時折、何もかもを悟ったように「諦めた」顔をする時がある。
詮索がよくないのは、分かっているが。ツレの過去に何があったのかを、知りたいとも切に思う。人間界の時間でたった3年かもしれないが、その間は一緒に居たんだ。もう少し、俺にも話してくれてもいいんじゃないか。