20−6 初めてのお使い(in魔界)
「それはそれは……大層な御仁にお見送りいただいたな、ヤジェフ。使い、ご苦労であった」
かくかくしかじかと、出迎えてくれたコーデリアに事情を話せば。彼女の方も、それとはなしにヤジェフを心配してくれていたらしい。俺がくっついてきたのを見るなり、色欲の領域でしでかしたのかと真っ先に疑われたが……無事に誤解も解けて、ヤジェフは帰っていいという判断になったようだ。
しかし……この大人しいキュクロプスに、悪さする度胸はないんじゃないかな。ギノがいる時点で、そちら方面の経験はあるだろうけど。
「へい。コーデリア姐さん、お世話になりやした。それに……ハーヴェンさんも、ありがとうございました」
「おぅ、どういたしまして。気をつけてな」
「ヤジェフ、後はゆっくりと休むが良いぞ。……本来、今のキュクロプスは冬眠期間だ。無理に寝ろとは言わぬが、魔界に慣れるためにも少しは眠っておいた方がいい」
「まだ眠たくはないのですけど……そういうもんですかね? ま、まぁ、ちょいと運動もしましたし。……少し、横になってみます」
「そういうものだ、な。何事も慣れぞ。留守を預かる手前、代わりに出かけてくれたのは助かったが。お前が新入りであることを忘れるでない。……ここは年長者の言うことを、素直に聞くものだ」
なんでも、元々はコーデリアが届けに行く予定だったものを、眠る前の運動も兼ねてヤジェフに初めてのお使い(in魔界)をさせてみたのだそうな。しかも驚いたことに、ヤジェフが闇堕ちしてきて、まだ3日も経っていないのだという。……そりゃ、勝手も分からなくて当然だよな。俺だって、最初の1週間は魔界の魔力に慣れることから始めてたくらいだし……。
「さて……と。ハーヴェン様、少しお時間を頂戴しても、よろしゅうございますか?」
「あぁ、構わないぞ。……きっと、ヤジェフのことで話があるんだよな?」
「左様にございます」
冬眠にはいささか、納得していない様子だが。それでも、素直にねぐらに帰るヤジェフが飛び去るのを見届けて。艶やかな仕草でホホ……と、軽やかに微笑んではコーデリアが部屋の中に招き入れてくれる。
「散らかっておりますが、どうぞ、こちらへ。あぁ、ベルフェゴールは気にせんでもよろしゅうございます。今のアレはただのインテリアだと思っていただければ」
「インテリア、ねぇ……」
あろう事か真祖をインテリア扱いして、コロコロとコーデリアがさも嬉しそうに悪戯っぽく笑う。うん……まぁ、これは気心知れたナンバー2だからの反応だろうな。ベルゼブブと俺のやりとりも、これに近いものがあるし。
それにしても、真祖のお住まいだという割には、こちらも最低限の空間しかなさそうだ。狭い所が好きなマモンの屋敷とは違った意味で、コンパクトな作りになっている。ベルフェゴール(インテリア扱い)がスヤスヤと眠っているベッド以外は、僅かな家具しか見当たらない。しかし……。
「へぇ〜……この奥、工房になっているんだ」
応接間らしき空間の先には、火炉まで据えられている立派な作業場がくっついている。ズラリと並ぶ、ヤットコにハサミや金槌……はたまた、小さなピンセットや目打ちの類まで。ズラリと道具が手入れも行き届いた様子で、きちんと整列していた。
「こりゃまた、随分と綺麗にしているんだな?」
「掃除は私がしておるのですよ、一応。あの甲斐性なしに任せると、途中で飽きるのか……床で寝ている時もありますし。下手に風邪を引かれると面倒なので、掃除はしなくていいと申してあります」
……うん、なるほど。怠惰の真祖は伊達じゃないな。途中で眠っちまうとか、どんだけ怠け者なんだよ。
「それはさておき……ヤジェフは生前、打ち物職人だったようでして。こちらに連れてきた際も、真っ先にベルフェゴールの作業台に反応しておりました。ですので、彼をここから引き剥がす意味でも、気晴らしの使いを頼んだのです。……これを見ただけで激しい頭痛に襲われるのであれば、こちらに馴染むまでは怠惰の悪魔が何たるかも、説明するのはやめておこうという判断になりまして」
「……そっか。本当に、あいつは職人として生きていたんだな……」
《ようやく、職を見つけて迎えに行けると思っていたのに》
いつかの裏道で、ヤジェフは確かにそう言っていた。そして、盗賊から足を洗って、鍛冶屋見習いをしているとも。それなのに……悪魔になっているという事は、ヤジェフは人間としては死んでいるということになる。ギノもある意味で、人間としては死んでしまったことになるのだろうけど。……竜族に昇華したのと、悪魔に闇堕ちしたのでは、同じ「人間としての死」でも相当の違いがあると思う。
「……なんだかなぁ。ギノに会いに行くために、真人間になろうとしてたのに。はぁぁ……これは、どうギノに説明しようかなぁ……」
「そのご様子ですと、ヤジェフの子息にお心当たりがおありのようですね」
「うん、知ってる。よ〜く、知ってる」
いくら親の悪魔(この場合は代理だが)とて、配下の記憶に介入していい訳ではない。だけど、親玉が配下の事情を把握していなくてもいいかと、言われれば。……できれば把握しておいた方がいいだろうし、把握しておくに越した事もない、が答えになるだろう。
「ヤジェフがどうして息子……ギノを置き去りにして、出て行っちまったのかは知らないんだけど。ギノの方は孤児になっていたのを、ちょいと教会の奴らが悪さしてな。……ざっくり言えば、奴らの実験で竜族になっちまったんだ」
「なんと……!」
しかしながら、俺にはギノとヤジェフが再会を果たしているのかどうかまでは、分からない。それでも、コーデリアには説明しておいてもいいだろうかと、知っている限りの事情を話してみれば。どうも相当に思う所があるのか……袖の袂を目頭に充てて、コーデリアがヨヨヨと涙を零し始めた。
「そうか、そう……であったか。いや、なに。ヤジェフは怠惰の悪魔に連なっておるが、性根が怠け者という訳ではなさそうでございまして。……あれは、子息に対しての引け目による未練であろうと、踏んでおりまする」
「引け目による未練?」
「えぇ。もちろん、怠惰の悪魔が総じて怠け者なのは、紛れもない事実。しかして、生前さえも怠け者だったかと問われれば……全てが全てそうではないと、言い訳させていただきとう、存じます」
涙を拭いつつ、コーデリアが続けるところによると。怠惰の上級悪魔は、「するべき事をしなかった」ために闇堕ちする者が大部分を占めるのだそうだ。しかし、そこには「するべき事をしなかった」のではなく、「するべき事をできなかった」事情も含むとかで……その悔しさ故に、未練を残して悪魔になっちまう奴も一定数存在するとのこと。
「……ヤジェフは無論、後者のパターンでございまして。あれの闇堕ちはおそらく、子息に対して“何かをしてやれなかった”禍根によるものでしょうて。私共もあやつの死に際しか知らぬ故に、委細は存ぜぬ事ですが。……あれの死に目に立ち会った人間によれば、ヤジェフは子を迎えに行くために、鍛冶場で手に職つけると申しておったそうな」
「そっか。なんだか、遣る瀬ない話だな」
「ほんに、仰る通りでございますね。……しかも、死に際も運が悪いとしか言いようがないのですから、救いもない。……暴漢に襲われて命を散らしたとあらば、神を恨むのも当然というものです」
いや、待ってくれよ。それじゃ、あまりに理不尽すぎるだろ。親父さんは悪漢に絡まれて死んでました……だなんて。もし、ギノがヤジェフを知っていた場合……なんて説明すればいいんだ?
「いずれにしても、事情は理解したよ。ヤジェフの記憶について、手伝えることがあったら、いつでも言ってくれよな。あいつの息子……ギノについては、俺もよく知っているから」
「承知しました。最初から最後まで、ヤジェフが世話になり通しで、申し訳ございませぬ。今は無理をさせずに、静観を決め込むより他ございませんが……あやつが望むようであれば、その際はお力をお貸し下さると幸いでございます」
事を焦っても仕方がないのかも知れないし、コーデリアの言う通り、今は様子を見守るより他にない。だけど、2人を初対面のまま会わせるのは、ちょっとハードルが高いと言うか。それこそ、様子を見ながらになりそうだが……ギノには状況を見計らって、父親の存在と……彼が悪魔になってしまった事を説明しておいた方が、心の準備期間も用意できるかも知れない。
(しかし……いよいよ、ギノが不憫になってきたなぁ……。どうしてこうも、あの子の周りは悪魔だらけになっちまうんだろう……)




