19−60 エレメントマスターの後継
思い切って、瞼を開けば。そこに映るのは、見慣れているはずの光景だったの。だけど……あぁ、私……別人になってしまったみたい。よいしょと首を上げると、パラパラと古い銀色をした破片が溢れていくのだけれど。それにも構わず、グルリとあたりを見渡して、誰もいない部屋で……寂しく、深呼吸をするの。
「あれ……? 私の鱗……色が違うかも……」
確か、銀色だったはず。だけど、今の色は……私が知っているモノじゃないみたい。足元の銀色でキラキラ光っているだけだと思っていたけど……ウゥン。やっぱり、白くなってる。しかも、翼も……変わっている気がする……?
「わぁ! すごい、すごい! ルシエル様とお揃いみたい!」
あれっ? 私……ルシエル様なんて呼び方、してたっけ。
声の出し方も忘れているかも知れないと、わざとらしく浮かれてみたけど。そうやって飛び出した言葉は、確かに私の声だけど……自分のものじゃない気がして。何もかもに慣れなくて、クラクラしてきた。
「……とにかく、お父様とお母様に報告しなくちゃ……。これ、きっと……」
私も脱皮を乗り越えられたんだ。ちゃんと、ちょっぴり大人になれたんだ。
自分が自分じゃないみたいなのは、きっと大人になったせい。うん……きっと、そう。
***
(……おや、お前がこちらにやってくるなんて……珍しいの。どうされた。……何か、困り事か?)
「ドラグニール……そうか。そなたも喋れるまでに、回復されておったか」
ようやく痛みの引いた腰を摩りながら、白の樹海の最奥に姿を表したのは……竜界最長齢を誇る竜族にして、地属性のエレメントマスターでもある、オフィーリア。大昔は恐れ多くも、この大樹によじ登っては……父親に怒られたことも思い出して。長老様はフフ、と……寂しげな笑いを漏らす。
(お陰様で……私はこの通りだ。化身を遣わせるまでに回復できたのも、お前達がきちんと留守を預かってくれたからだ)
「いいや。それは違うぞ、ドラグニール。……お主の重荷となっていた魔法書を引き取ってくれたのは、悪魔の友人でのぅ。……情けないことに、ワシは何も気づけんかったし……何も、できなかった」
しかし、今はそんな事で気落ちしている場合ではないと、オフィーリアは持ち前のポジティブさで思考を切り替える。それでなくても……いつも連れているはずのエメラルダにも内緒で霊樹のお膝にやってきたのには、当然ながら、それなりの理由があった。
「ワシの不甲斐なさはここは一旦、考えないことにして……お主に1つ、相談があるのじゃ」
(……分かっておるよ。エレメントマスターの後継について、だろう?)
「なんじゃ……分かっておったのか。つまらんのぅ……」
竜族に主だった寿命は存在しない。ドラグニールの魔力をきちんと受け取ることができれば、少しずつ歳をとることはあっても、命までは衰えたりしない。しかし、オフィーリアは自分の死に際が近いことを……なんとなく、予感していたのだ。だから、「エレメントマスターの後継」という話題が飛び出すのだし、故に……オフィーリアはエメラルダに余計な心配をさせまいと、彼女を置いてきたのだった。
「……ワシがここまで長々と生き恥を晒してきたのは、純粋に地属性のエレメントマスター候補がいなかったから、でもあるのじゃが。だが……きっと、この役目のために生かされていたのだと、最近は思うようになっての。それで……エレメントマスターの任を、ワシの血脈以外からでも擁立できないか、相談しにきたのじゃ」
(……悲しいことを言うようになったのだな、オフィーリア)
「そうか。お前はワシの覚悟を、悲しいことと言ってくれるのだな。……ワシはほんに、愛されておるの。涙がちょちょ切れちゃいそうじゃ」
それでも、互いに「そうするしかない」と悲しいまでに理解している。もう……そうすることでしか、人間界に帰還する手立てはないだろう。
(ユグドラシルは着実に力を取り戻しつつあるようだ。エルノアの鱗を糧に、少しだけ浄化が進んでおったようだが……どうやら、天使達がユグドラシルの膝元を押さえたようだの。……先程、彼女から反応があった)
「おぉ! そうか、そうか。……ユグドラシルちゃん、頑張っておるようじゃの」
(そう、だな。なんでも、天使長と大天使の2名体制で、本格的に浄化が進んでいるとのことで……後は、使者さえ居ればなんとかなりそうだと、申しておった)
しかし、ユグドラシルの使者の降臨には時間がかかりそうだと……ドラグニールは霊樹の姿で嘆息する。人間界の霊樹であるユグドラシルの使者の礎は、どうしても人間界の住人であることが前提となる。精霊でも、天使でも……まして、悪魔でも器になり得すらしない。それに、もし候補が見つかったとしても。現在のユグドラシルの衰弱を考えれば、例え外界との架け橋になる使者がいたところで、ユグドラシルが単独で人間界を潤すことができるようになるのは、数百年単位で先のことになるだろう。
(……お前は、ルートエレメントアップの真意を使うつもりなのだな?)
「そういう事じゃ。……そして、後継にはべへモスを推そうと考えておる」
(べへモス……か。確かに、彼であれば資質だけは十分であろうな。しかし、ルートエレメントアップはディバインドラゴンでなければ、行使はできない。要するに……お前の死は竜界にとって、最終手段の放棄をも意味するのだぞ? 属性の縛りがある以上、闇属性のべへモスにルートエレメントアップを使うことはできぬ。そして、私はそれを容認するわけにもいかぬ……いや、違うな。そう……だな。そろそろ……その考え自体を、捨てねばならんのかも知れん)
すぐさま言いかけたことを否定し、ドラグニールが恥入るようにさざめく。
いつまでも、愛し子達に甘えるわけにはいかない。いつまでも、最終手段と称して犠牲を作るわけにはいかない。そんな前提、自らの強い意志で乗り越えなければ。だからこそ……これで最後にしなければならない。
(……そなたの真意と決意……しかと承知した。この先はユグドラシルの返事次第だが……彼女が融合を是とするならば、私はこれより、ユグドラシルと根を結ぶ準備に入る。だから、オフィーリア。まずは、べへモスをここに連れて参れ。そして……)
「分かっておるよ、ドラグニール。その後はワシの身をもって……そなたの糧となり、そなたらの架け橋となり。最後には、そなたらを神へと昇華させる純白の王冠となることを、誓おう」
(お前に王冠を編んでもらえるなんて、思いもせなんだが……卑怯な我が身に、荊の冠はさぞ似合いだろうて。……すまぬな、オフィーリア。私の決断が間違っていたばかりに、お前にまで犠牲を強いることになって。本来であれば……あの時、抵抗してでもお前達を守るべきだったのかも知れん)
「それはどうじゃろうな? ワシはあの時も今も、お主の選択は間違っていたとは思わんよ。竜族は世界の守護と調律を務めとする、誇り高き精霊。ワシらの本領は蹂躙にあらず、調和にあり。ワシは最後まで、領分を違えなかったお主こそを誇りに思っちょる。……そして、ワシもその領分に従うまでのこと。この世界に調和を齎せるのであれば、魔力の調律を任とするエレメントマスターの本望でもあろう」
本望……か。本当に、悲しいことを言うようになったな。
互いに歳を取り、互いに長い年月を共に歩み。かつては自分の枝にぶら下がってやんちゃしていた少年が、今や竜界の覚悟を背負う長老となっている。その確かな時の流れと、確かにやってくる別れとに想いを馳せて……ドラグニールはそれ以上の無駄な言葉を発することもなく。柔らかい風にそよがれては、雄々しい緑を揺らすのみである。