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天使と悪魔の日常譚  作者: ウバ クロネ
【第3章】夢の結婚生活?
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3−19 君には勝てる気がしない

 今夜は悪い夢を見なくて済むらしい。悪夢の頻度が減ってきたところを見ると……予想以上に、瘴気と上手に向き合えているようだ。

 ゲルニカはいつも以上に深い眠りに落ちているギノの頭を軽く撫でてやったところで、部屋内で焚いている香の残量を確認する。数種類のハーブと銀の氷原産の岩塩を燃料に、ダマスクローズにダークベリーを混ぜた香りを発しているそれは……華やかな高揚感の中にも、気分を落ち着かせる効果がある。夜通し焚いておくには残量が心許なかったので、香と岩塩を追加して部屋を後にする。


(……今夜は付いていなくて、大丈夫そうだな)


 最近はギノにほとんど付きっ切りで、自分の寝室に戻る時間が短くなっていた。そのせいで、ゲルニカに対するテュカチアの不満がちょこっと溜まっていて……しかし、それに気づけないほどゲルニカは鈍感でもない。むしろゲルニカは好意や嫌悪に関しては、とても敏感な気質を持ち合わせている。気持ちを読み取る具体的な能力こそないものの、幼い頃は両親の顔色を窺うのに必死だったのだ。

 父親の機嫌を損なえば、躾と称した体罰が待っている。母親は機嫌を窺う以前に、彼に愛情らしい感情を向けてくれたことはなかった。


(テュカチアは……眠ってしまっただろうか?)


 こっそり寝室に戻って見れば……テュカチアはまだ起きていた。淡い桃色のネグリジェに着替えて、ベッドに横になっているものの。緑の瞳は少し不機嫌そうに、ゲルニカを見つめている。


「……すまない、起こしてしまったか?」

「いいえ。起こすも何も、まだ眠っていませんわ」

「……そうか」


 少し棘のある返事ではあるが、ゲルニカ分の幅をベッドの上に残していることから、一緒に眠りに就くことは許してもらえるらしい。見れば、彼女は右手で隣をポンポンと誘うように叩いている。その様子にゲルニカは「分かったよ」と肩を竦め、シャツ以外の服を脱ぐと彼女の隣に収まる。そうして彼が床に入ったのを見計らうと、テュカチアが首に腕を回して、甘えるように抱きついてきた。


「……しばらく構ってやれなくて、すまなかったな」

「もう、本当ですわ。とっても寂しかったんですから。だから腹いせに……子供達にあの手紙のことを、お話してしまいましたからね。……悪く思わないでくださいまし」

「手紙って……まさか、あの時の?」

「えぇ。今でも大切に取ってありますし、あなたが構ってくれなくて寂しい時は、読み返してトキメキを思い出しているんですの。お陰で一言一句、暗記していますわ」

「それは……参ったな……」

「でも、あのお手紙を貰えた時、私は本当に嬉しかったのです。……それでなくとも、本当は私のことが好きだったわけではない事は、何となく分かっていましたし……」

「どうして、そんな風に思うんだい?」

「だって、私の気持ちを分かっていたはずなのに……すぐにお返事を下さらなかったじゃない」

「あぁ、まだ君はあの時の“無礼”を気にしているんだね。……すまない、別にそういうわけではないんだよ。正直なところ、怖かったんだ。……結婚する、ということが。だから、すぐに返事をすることができなかった。その先にあるかもしれない……自分が“親になる”ということが、信じられなかった」

「信じられなかった……?」

「あぁ。知っての通り、父……バスクは理性を失った挙句に、処刑されるという惨めというより他ない最期を遂げ……そして、その原因は母の浮気だった。……私の両親は情けないことに、両方理性を失うという最大の罪を犯して死んでいったんだ。父は浮気に走った母とその相手を殺し、そして気が狂れてしまった後は他のエレメントマスターに処刑されて……これ以上の汚辱は、そうないだろう」


 テュカチアは今まで自分を放置していたゲルニカを詰る事もなく、静かに彼の言葉に耳を傾ける。当然ながら、彼女も事情はよく知っている。それこそ、当時最大のスキャンダルだったのだ。

 子供だったテュカチアの前でさえ、顛末は隠される事なく、戒めとして常に話題に登っていたが、一方で……両親の死を受け入れる間も無く、幼かったはずのゲルニカはエレメントマスターとして仕事をこなさなければならなかった。大人の中に混じって、好奇と侮蔑の視線に晒されながら。……それがいかに屈辱的なことかは、想像に余りある。


「私を産む前……母には父ではなく、他に好きな相手がいたらしくてね。とても酷い話だが、何度も何度も母に婚約を拒まれた結果、父は母の思い人を体良く亡き者にして……母を無理やり手籠めにしたらしい」

「そんなことが? でも……それ、本当ですの?」

「母がそう別の“恋人”にこぼしていたのを、聞いたことがあって……証拠も確証もないけれど、おそらく事実だろう。父は横暴だったからね。そんな事もあって、私を母が愛することができなかったのも、無理はなかったのかもしれない。物心つく頃から、母は父ではなく……他の相手と楽しそうに出かけることが多くて。私は1人で過ごすことが多かったんだけれども……正直、その方が気楽だったかな。両親が顔を付き合わせれば、子供には辛い光景が繰り広げられていたから。だから、私は一生1人でいいと思っていた。結婚して親になった時、自分も誰かに苦しい思いをさせてしまうのではないかと……本気で悩んでいた」

「……」

「だから君の気持ちに気づいた時は……嬉しかったけれども、素直に踏み出す事もできなかった。それでなくとも、君は綺麗でいつも魅力的だったから。必要以上に一緒にいると、間違いを犯してしまいそうで……怖かった」

「まぁ、そうでしたの?」

「一応、私も思春期というものは経験しているんだよ。……大目に見てくれないか」

「フフ、そういう事ならよろしくてよ、ニカちゃん?」

「……本当に敵わないな。その呼び名で呼ばれると、君には勝てる気がしない」

「そう? 可愛らしくていいでしょう? だって、初めて私のアップルパイを食べてくれた時、あなたの笑顔は……本当に忘れられないほど素敵でしたもの。だから、ニカちゃんですの。ですから……これからもよろしくお願いしますわ、ニカちゃん?」

「分かっているよ。こちらこそ、よろしく……私の愛しいプリンセス」


 テュカチアの機嫌はしっかりと、直った様子。嬉しそうに彼に頬ずりすると、満足そうに瞳を閉じて眠りに就く。彼女の方も、連日の子供達の世話と留守番で疲れているのだろう。ゲルニカはベッドサイドのランプを消し、既に寝息を立てている妻を抱きかかえ直して……瞼を閉じる。

 窓から覗く綺麗な月が、暗くなった部屋を優しく照らし続けていた。

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