19−57 悪魔は侮れないし、底知れない
セイント少女達が去った後の静かなリビングで、夕食を待つ間に仕事を進める。細かい報告書のチェックに、精霊データの精査……ここまでは日常業務なので、手早くこなせるものの。新たに届いた2つの報告書を見つめては、私は盛大にため息をついていた。
「お疲れ。そんなに深々と眉間に皺を寄せて、どうしたよ? あっ、もしかして寂しくなっちゃったのか?」
「……そんな訳、ないだろう。これで、ルシフェル様が迎えに来てくれて、助かったと思っているんだぞ?」
何よりおやつの取り分が減らないし……なんて事は思っていないからな? ただ、純粋に静かで仕事が捗ると言う意味だぞ?
それは、さて置き。報告書の片方は妹達(+化石女神)を保護者よろしくお迎えに来た、ルシフェル様が提出されたものだった。なんでも、ルシフェル様は向こう側の拠点でもあったラボの改築計画を練ると同時に、ユグドラシルの浄化作業に出向いていたらしい。普段ならセイント少女達の世話を焼いているミシェル様の姿が見えなかったのも、2人がかりで浄化作業に当たっていたからで、その甲斐もあって、ユグドラシルの土台部分の浄化は完了しているとのことだった。
「うん? そうだったの? 俺はてっきり、波長の合うお友達が帰っちゃってつまらないのだと、思ったのだけど」
「そんな訳ないだろう? と言うか……波長が合うって、どう言う意味だ?」
「もちろん、お子ちゃまレベルが一緒って意味だけど?」
このピーマン男め。人の苦労も知らずに、カラカラと茶化しおって。
「ハーヴェンの意地悪。私は仕事で悩んでいるんだぞ?」
「もちろん、そんなの知っているって。……ふっふっふ。俺はルシエルさんにお茶を差し出すのと同時に、意地悪したくなっちゃう悪魔なのだ。もぅ〜。俺の嫁さんは膨れっ面も、とっても可愛いんだから〜」
本当に……旦那は意地悪と同時に、私のことをよく分かっているのだから、手に負えない。可愛いと言われて、お茶を出された上に……アプリコット入りのシフォンケーキ(フワフワホイップ付き)を添えられたら、許すしかないじゃないか。
「それで? ルシエルさんは、何をそんなに悩んでいるのかな?」
「うん……1つ目は、これなんだけど」
「えぇと……ナニナニ? ユグドラシル浄化状況の報告に……おぉ? 悪魔の居住拠点作りについて……?」
そうして、彼が差し出したお茶を頂いては、フゥと一息つく。もちろん、ルシフェル様の報告書の中身は非常に喜ばしい内容だ。まだまだ完全と言えないが、ユグドラシルが持ち直す土台を作れたのは大きい。だが……問題は当然、そちらではない。おまけにしては、あまりに本格的なラボの再利用計画の方だ。
「……随分と大層な計画案だな、コレ。まぁ、あの真っ白けっけな場所は広さだけは、確かにあったからなぁ。だけど、こうも色々と揃っているとなると……」
「うん。こっちに定住する悪魔も出てくるだろうな。別に札付きであるのなら、そこは問題ないのだが……」
「もしかして、ルシエルが懸念しているのって……悪魔側がハメを外す方じゃなくて、天使様達のはしゃぎ加減の方だったりする?」
「……情けないが、その通りだ」
計画書によれば……悪魔が人間界に出る場合、天使との全幅契約が必須とのガイドラインが設けられている。しかし、先日のゴブリンヘッド達の様子を見ていても、彼らにはきちんと対価ないし、ご褒美を用意すれば悪さはしなさそうだと、私も理解していた。
だからこそ、こちら側の弾け加減が心配なのだ。特積みチケット所持数の多少はあれ、天使側はカタログリストから相当の品物を用意できる。そんなアドバンテージで足元を見るように、悪魔達に無理難題を押し付ける者が出やしないかが、何よりも気がかりだ。
「契約を盾にして、悪魔達に無理強いをする者が出ないかが心配で。それに契約も全幅ともなれば、悪魔には何をしてもいいと勘違いする者もいるかも知れない。……契約は恋愛のためにするものではないし、まして悪魔も含む、精霊達に言うことを聞かせるものでもない。もちろん、天使の契約に対する意識も変わってきてはいるが……どうも恋愛が絡むと、天使というのは冷静ではいられないみたいなんだ……」
天使達が出題をしでかすであろう、無理難題。私が懸念しているのは、悪魔達に任務で無理をさせる(もちろん、それはそれで、問題だが)事以上に、疑似恋愛を強要しないか……である。
お見合い会場が魔界であれば、まだまだ天使側のハードル(瘴気的な意味で)が高かったため、制限時間も節度も守られていたフシがある。だが、お見合い会場が気軽な人間界に移ったともなれば……節度も制限も乗り越えて、暴れる者が出るかも知れない。
「恋愛を自由に謳歌できる事が、素晴らしいのは承知している。……でも、一方的な関係はただの片思いであって、愛じゃないと思うんだ。エルノア曰く、“愛してる”は片方がそう思っているだけなのは、よくない関係になるらしい」
そんな事を初めて言われた時の私は、エルノアが言わんとしていたことにもピンと来なかったのだけど。今となっては、彼女の言い分が何よりも正しかったことも理解できる。片方が思い詰めているのは、ただの独りよがりだ。その恋愛形式が片想いだと言えば、まだ可愛いのかも知れないが……天使達の異常なまでの貪欲な姿勢を見る限り、片想い程度では済まないだろう。
「それでなくても、悔しいが……悪魔は人間界探索の面でも、頼りになる。先日のグランティアズ城調査の達成速度からしても、瘴気領域内の探索に悪魔の手助けは必須だ。故に……私も悪魔達との契約や交流は仕事の上でも不可欠だと、強く思うのだが……」
「……うん、言いたいことは分かるぞ? 天使様達はみんな、あの調子だからな。……俺もナーシャで突然もみくちゃにされて、ビックリしたっけなぁ……」
そんな事もあったな。あれには、私も驚いたのだが……今となっては、天使の生態としてはデフォルトなのにも気づいて、更に頭が痛い。
「でも、さ。……それって、今から悩んでいても仕方なくない?」
「えっ?」
「いつも思うんだけど。ルシエルはコトが起こる前から、悩みすぎだと思うぞ? もちろん、ルシエルの心配は悪魔の身からすれば、嬉しいよ。だけど、好いたの惚れたのは、当人同士の問題というか」
「それはそうかも知れないが……」
「それに、ルシエルはちょっと悪魔をいい方向に捉え過ぎてない? 忘れたのか? 俺達悪魔はトコトン、欲望に忠実なんだよ。全幅契約だろうが、主従関係があろうが。悪魔はやりたくない事は基本、進んでやらないし。そもそも、全幅契約って互いの了承がないと、ダメなんだろ? いくら餌をぶら下げられたところで、自分の欲望を曲げてまで契約する悪魔はいないと思うけど」
そうだった。悪魔は最終的には欲望に忠実であることに、変わりはない。そもそも、悪魔との契約の難易度は依然、高いままなのだ。一応は仲良くなったとは言え、悪魔側の天使への警戒心は完璧には抜け切っていないし、私もこの間(非常に不服だが)上級悪魔にまで怯えられたばかり。余程の条件が揃わない限り、一般的な契約はともかく、全幅契約は難しいかも知れない。
「人間界に出たがる悪魔も一定数いるだろうし、そのために契約しようって奴も出てくると思う。でも……言っちゃなんだが、嫁さん候補が魅力的じゃなきゃ、恋愛方面の契約成立はないだろうな。俺だって、相手がルシエルじゃなかったら、契約してないし」
「そ、そうか……」
私が悪魔の理屈に妙に納得し始めたところで、ハーヴェンがサラリと焦ってしまう事を言うではないか。
それって、私は魅力的ってことで……合ってるのか? ハーヴェンはちょこちょこ、軽めに私を持ち上げてくるから、つくづく意地が悪い。
「ふっふっふ……契約と一緒に、そっち方面の旨みも狙うのが悪魔ってもんさ。だから、却って刺激になっていいんじゃない? よっぽど魅力的じゃなきゃ、悪魔は振り向かないぞとでも言っておけば、天使の皆様も嫌われないように頑張るだろ? ……相手のために頑張れるんだったら、優しくこそすれ、嫌がることはしないと思うけど」
なるほど。一理ある……かも知れない?
「なぁ、ハーヴェン」
「うん?」
「……前から不思議だったのだけど、ハーヴェンはどうして、そんなに前向きでいられるんだ?」
「と、言われても、なぁ。別に俺だって、努めて前向きな訳じゃないよ。これはどちらかと言うと、悪魔の性分……みたいなもんかな。悪魔ってのは、ウジウジ悩むのも苦手なもんでな。諦めも早いし、楽しいことを考えるのが得意なんだよ。それこそ、欲望に忠実になった結果だろう」
「そういうもの……なのか?」
「そういうもんだな。だから、悪魔が悩んでいる時は相当レベルで深刻だと思うぞ。と言っても……どこぞの真祖様はいつもいつも、悩みっぱなしみたいだが」
「あぁ、そうだな……。いや、彼の悩みに関しては、申し訳ないと言うか……申し開きもないと言うか……」
強欲の真祖様の悩みのタネは、明らかにこちら側が原因だしな。最近はリッテルからのお願いだけではなく、神界側のお仕事にも巻き込まれては、眉間に皺を寄せているそうな。
「ルシエルが申し訳なく思う必要はないだろ、それは。あいつの悩み癖は、生粋の親玉気質のせいだろうし」
そういつもの調子でカラリと答えては、お茶のお代わりを注いでくれるハーヴェン。しかし……ハーヴェンは気付いているんだろうか。彼の前向きさもそうだが……こうして話を聞いてくれて、お茶まで用意してくれる気遣いに、私がどれだけ救われているかという事を。
(……この様子だと、気付いていなさそうだな……)
この優しさがどこまでも自然体なのは、驚異的だ。それはある意味で、余裕がある証拠でもあるだろうし、精神的な成熟があってこそだろうと思う。やっぱり……この悪魔は侮れないし、底知れない。