19−37 狂騒の音源
夜に出歩くものは、そうそういないと聞いてはいたけれど。ルルシアナ相手にそんな常識が通用するのなら、自分はこんなに不安ではなかろうと……ヤジェフはまたも、力なく首を振る。
あまり穏やかではない、親方との歓談の後。話題に上がった嫌な予感を的中させてあげましょうと、先程から1階の表口のドアが乱雑にがなり続けている。あまりに物騒な騒音に、ヤジェフはいつもの日課……充てがわれた2階の1室で薄い茶を嗜みながら、商売道具でもあるヤットコの手入れをすること……の手元から、しかめ面の顔を渋々上げた。
(……やっぱり、来なすったかね。さぁて、どうなっちまうのかねぇ、この店は。……俺も武器を作らされるんだろうか)
狂騒の音源は間違いなく、ルルシアナの襲来によるものだろう。そろそろ夜だっていうのに、まぁまぁ、怖いもの知らずもいいところだとヤジェフは考え込んでしまうが。かつて、餌になりかけたところを可愛いお嬢さんに助けてもらったことも思い出し、仕方なしによっこらせと腰を上げる。
(何がともあれ、夜になる前に帰ってもらったほうがいいだろね。……店の前で死なれたんじゃ、縁起も悪い)
耳を欹てれば、ヤジェフと同じように騒音が気になって仕方のない同僚達の騒めきが聞こえてくる。しかして、昼間の騒動を皆も知っているのだろう。廊下で話をするばかりで、玄関に出てみようという猛者もいないらしい。
「どうしやした……は、聞くまでもないですかね」
「だろうな。全く……本当に迷惑な奴らだよ、ルルシアナっていうのは。こんな時間にまで押しかけてくるなんて、非常識過ぎるだろうに」
「仕方ないでしょ。相手はその非常識の塊みたいな奴らでしょうし。あっしらの常識が通じていたら、そもそも今日みたいな事にはならないでしょうに」
「あはは、それもそうか」
しかし、今は呑気に笑い合っている場合でもない。このまま扉を力尽くで破られても敵わないと、仕事仲間とで一致団結すると。ヤジェフ達は恐る恐る、1階に降りていく。
「中に入れろ! 入れろってんだ! 俺はあのルルシアナの幹部だぞッ! 逆らったらどうなるか……!」
(おやおや……本当に血の気が多い連中なんだね、ルルシアナってのは。こんなにも元気に、大騒ぎしていたら……)
噂の化け物に食われちまうだろうに。ヤジェフはそんなお節介にも程がある心配をしてやりながらも、どうにかして血気盛んなお客様にお引き取りいただけないかと考える。しかし、彼らがまごまごしているうちに……いよいよ無法な大暴れに扉の方が音を上げた様子。一際派手な破壊音と同時に、破られたドアの向こうから顔を出したのは……一人ぼっちの飲んだくれだった。
「……何と言いますか、お兄さん。一応、申し上げておきますと……もう、閉店時間は過ぎておりやして」
「あぁ⁉︎ 店主に向かってなんだ、その言い様は! 俺はこの店のオーナーだぞ! いいから、店主を出しやがれ!」
自称・店主が呼び出せと喚くのは、やっぱり店主。既に意味不明な言い回しに、相当よろしくない酒も回っているらしいと、顔を見合わせるヤジェフ達。しかし、たった1人だけでもマフィアの威圧感と存在感は別格というもの。特に、このゲルハルトと言うらしい大男は、頑丈だったはずのドアさえも強行突破してくる馬鹿力の持ち主である。店先で暴れられたら、それだけでも甚大な被害が出そうだ。
「と、とにかく……親方を呼んできますから。ちょっと、待っててください」
「ヘヘッ、最初からそうしとけばいいんだよ!」
血走った瞳に、真っ赤な顔。ゲルハルトのある意味で鬼気迫る様相に、怯えた職人の1人が素直に親方を呼びに走る。そうしている間にも、ゲルハルトは暴れ足りないとばかりに、店先の品物見定めては……こいつは面白そうだと、打ち出し鍋を手に取り、まるで棍棒のように振り回し始めた。
「ちょ、ちょっと! そいつは売り物ですよ!」
「店主が店の品物を乱雑に扱っても、いいのですか⁉︎」
「この程度の物、また作りゃいいだろ! これは店主命令だ! 今度から鍋なんて、つまんねー物じゃなくて……」
武器を作りゃいいんだよ。こういう、役に立つヤツを。
歪んだ口元から不穏な言葉を吐き出しつつ、自慢げにゲルハルトが取り出したのは昼間は活躍し損ねた、黒光りする拳銃。そうしてあろうことか、手にしていた打ち出し鍋に向かって銃口を向ける。しかし……。
「……」
景気のいい発砲音とは裏腹に、自慢の拳銃は「役に立たない」はずの鍋の底を打ち破ることもできなかったらしい。派手に凹みを作りながらも、彼の手にある打ち出し鍋は他の作品を守らんと言わんばかりに、銃弾に耐えて見せた。
「そいつはこの店でいっちばん、上等で頑丈なヤツでして。親方の技術の粋を集めた、アルミュラ鉄鋼の打ち出しモノですからねぇ……」
「いやぁ……しかし、銃弾にもビクともしないなんて、流石っすね〜」
凹みを作られて、傷物になっても尚……自分は役立たずではないと主張するかのような、鍋の勇姿を職人達が嬉しそうに褒めそやす。
なお、アルミュラ鉄鋼は人間界で手に入るアロイ(合金)の中で最も硬く、加工が非常に難しいとされる鋼の一種である。魔力への親和性は乏しいがその分、魔力による変質も抑えられるため、耐久面では優れていると言えるだろう。……ただの鉛玉には到底、無理を通せる相手ではない。
「この……クソッタレがぁ!」
しかし、手元の伏兵の健気さが非常に気に入らないらしい。ゲルハルトは乱雑にアルミュラの猛者を床に叩きつけると、虫の居所が悪いと新しいターゲットに銃口を向ける。そして、その銃口の先には……。
「へっ……?」
「そう言や……お前、昼はこいつにやられ損ねてたな。ケケッ……! その間抜けヅラァ……とっても、気に入らねぇなぁ……!」
白昼の屈辱も、ほろ酔いの意識から器用に拾い上げて。ゲルハルトが躊躇もなく、引き金を引く。
「……ギャっ⁉︎」
「ヤジェフ! だ、大丈夫か⁉︎」
「ははっ! 今度は大当たりだなぁ! いい気味だぜぇ!」
当初の「買い取る」という目的さえ……鉛玉と一緒に綺麗さっぱり吐き出したゲルハルトは既に、色々と吹っ切れていた。結果的に店を手に入れれば文句も出まいと、気分も改めて大きくしては。他の職人にも狂気の銃口を向けて、更に喚き始める。
「いいか! 俺に逆らう奴は、こうなるんだ! お前ら、よ〜く覚えておけ!」
「い、いくら何でも……」
「あんまりだ……!」
一方、着弾点が非常に悪かったヤジェフの命は、既に風前の灯である。左胸を抑えて、ドクドク止めどなく溢れる血潮を冷静に見つめている一方で……もう痛みも感じていない事に、焦りと安堵とを覚えていた。
(そう、か……俺は死ぬんだろうな……。まさか、こんなに……呆気なく、終わりだなんて。でも……)
最期の日に息子の無事を確かめられたのだし……もう、いいか。結局、彼に本当のことを打ち明ける勇気も、責任も拾い直すこともできなかったけど。意地悪な神様の計らいで、彼との再会だけは果たせたのだから。それだけでも、十分なはず……じゃないか。
(いや……! いや、ちっとも十分じゃ、ない……。俺はもっと、ジーノと……)
ここでお別れなんて、やっぱり嫌だ。まだまだ話し足りないし、未練もたっぷり残っている。いずれは自分が父親なのだと明かして、彼に置き去りにして悪かったと謝らなければならないのに。自分が一瞬たりとも彼への思いも愛も、忘れたこともなかった事を伝えたかったのに。
(……ここで、終わりだなんて、あんまりさね……。それなのに、俺は……きっと、ここで死ぬんだ……)
だけど、もう……命が持ちそうにない。そうして薄情にも消えそうになる意識の中で、自分の何かが変わり始めていることを自覚しつつ、まだ僅かに神経が生きていることを不思議に思うヤジェフ。そうして、彼の耳に届いたのは……妙に間延びした男の声だった。
「あぁ〜……おぢざん、だいじょうぶ? だいじょぶ……じゃ、なざそうだね、ごれは……」




