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天使と悪魔の日常譚  作者: ウバ クロネ
【第19章】荊冠を編む純白
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19−36 悪党の禁制品

 どうして、俺がこんな事をしなければならないんだ。つい最近まで、同格だったはずなのに……どこで、あいつと差がついたんだ?

 ゲルハルトは心の裡でビルへの嫉妬と悪態とを募らせながら、陽が落ちかけたカーヴェラの目抜き通りを早足で歩いていた。夜の街がいかに危険なのかは、彼も重々承知している。いくら、街中で魔禍の目撃例がないとは言え……夜間の移動に“撒き餌”が必要な事情は変わっていない。ほんの少し、変化があるとすれば……。


(今のこの街には、天使と悪魔がいるってハナシだったな……。悪魔はともかく、天使には会ってみたいかも……)


 きっと、別嬪さん揃いに違いない。

 ある意味での大一番だというのに……あらぬ方向に妄想を辿らせては、卑下た笑みに口を歪ませるゲルハルト。場合によっては、救いの女神になるかも知れない彼女達の姿を想像して。信心深き事もこの上なしとばかりに、間に合わせで「おぉ、天使様!」と空を仰ぐ。

 しかし、残念なことに……天使達は積極的に人間を助けることは、あまりない。天空から人間の行いを見ている……のは、あくまで神界の霊樹・マナツリーであって、天使達ではないのだ。天使が人間に干渉する事があるのなら。……それは罪人に対する、苛烈な拷問くらいのものだろう。


(と……そんな事を考えているうちに、着いたな。……まぁまぁ、デカいのは良い事だが、妙にしみったれた店構えだな)


 脳内で天使様と思われる、翼の生えた美女のあらぬ姿を想像していたゲルハルトも、流石に店の前に辿り着ければ気持ちを切り替えられるというもの。それでなくても、彼も店を手に入れられなかったら、自分の命の方が危うい事を理解している。いや……失敗した場合、死ぬよりも悲惨な末路が待っていると考えた方がいいだろう。何せ……。


(俺は知ってるんだ。……ビルとヨフィがオトメを使って、ウチのモンを作り替えていることを)


 オトメキンモクセイから作られる麻薬、レッドシナモン。軽微な麻酔薬としてではなく、本格的な麻薬として生成されたレッドシナモンは、人の心を壊す悪党の禁制品である。レッドシナモンを摂取し続けた重度のたシナモン中毒者は、自我を蝕まれ覚醒状態が続くようになるという。そして……最終的には自分の意思かどうかに関わらず、凶暴化する傾向があるのだ。


(俺はあんな風にはなりたくない……! ここはいっちょ、景気付けと行くか! この店を手に入れて……噂の天使様とやらも手に入れるのも、いいかもなぁ……!)


 人間の身に、どうやって天使を手に入れる算段を持たせるというのだろう。店を手に入れることと、天使へのアプローチは全くもって、別次元の話である。しかし、出世欲も所有欲も旺盛なゲルハルトには、そんな事を理解してしまうなど、それこそ馬鹿馬鹿しい。何せ……そんな風に勘違いでもしなければ、失敗の先に待っている惨たらしい未来への恐怖を払拭できないではないか。


 ゲルハルトは知っている。ヨフィが「人間ではない」事を。そして、それを口にした瞬間に自分の身が危うくなることを理解できる程に、彼は愚かではなかった。しかし一方で、ゲルハルトには致命的な欠点がある。……実はあまりに臆病すぎるが故に、から威張りをしては自分を必要以上に大きく見せてしまうという、欠点が。ただ、今まではそれでも「運よく」なんとか乗り越えられてきたため、一応は幹部にまで昇進しただけだった。更に本人が誰よりも「実力不足」と「運の良さ」を理解しているのだから、余計にタチが悪い。


(……さて、と。ひとまずは、話し合いでも……って。話なんか、できる……のか?)


 とうに夕刻を迎えているため、既に店の門扉は固く閉まっている。建物の大きさからしても、ここで相当数の人間が暮らしていると思われるが……昼間の騒動に加えて、押し入ったのでは穏便に話し合うことなどできないだろうし、運が悪ければ逆に取り押さえられてしまうかも知れない。それに、ドンのオーダーはあくまで「買い取ってこい」なのだ。しかも、それが当初からのオーダーでもあるため、買収資金はきちんと渡されてもいる。現にゲルハルトの懐には白銀貨3枚が預けられているし、店を丸ごと買い取るにしても……十分な額だろう。


「……」


 足が竦む。体が震える。

 渡されている資金は十分だ。そもそも、押し入らずともドアを叩けば誰か出てくるに違いない。きちんと、話し合いの席にさえ着ければ、勝率はグンと跳ね上がる。だが……話し合いの席に辿り着けなかったら、どうなるんだ? 第一、彼らが易々と自分を招き入れるとは到底、考え難い。


(畜生めッ! ここは一気に……畳み掛けるしかねぇか!)


 腹を括れ、覚悟を決めろ。

 色々と策を巡らせたが、手中に穏便な手札が残っていないことに気づくと、今度は自暴自棄になるゲルハルト。何かに吹っ切れたようにスキットルを取り出すと、一思いにウィスキーをクイと呷る。尻ポケットで程よく温まった酒は、気付け薬にするにもホットな効き目だが。ポッポと体に熱と酔いが巡ると同時に、気分と体温の高揚を味方につけて、いよいよ店の戸を乱雑に叩き始めるゲルハルト。

 だが、ゲルハルトは知らない。そんな破れかぶれの背中を、ひっそりと影から見つめている者がいる事を。そして……この世界には天使や悪魔だけではない、人間の想像を遥かに絶する「本物の化け物」がいる事を。その弓形の口元が、彼の首こそを刈り取ってくれようと……今か今かと待ち望んでいることを。ゲルハルトには……知るチャンスさえ、与えられなかった。

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