19−35 役が人を作る
「ほぉ……竜族とは、珍しい」
「えぇ。まさか、こんなにも近くに最高位の精霊がいるなんて、思いもしませんでしたわ」
しっとりと落ち着いたディープブルーのハイバックソファに身を預けて、ヨフィの報告に耳を傾けているのは……現在のルルシアナのトップでもある、ビル。元は殺し屋稼業、もといアズル会の荒事担当だったはずの暴れ者だったが。役が人を作るとは、よく言ったもの。かつてのビルを知る者であるならば、別人だと錯覚するくらいに、ドンに相応しい貫禄と知謀を持ち合わせている。
しかし……今のビルが別人だという周囲の直感は錯覚ではなく、どこまでも事実の裏事情に過ぎない。
「……それで? ゲルハルトは店の買収に失敗した上に、竜族の小僧を捕らえることもできなかった……と?」
ビルがヨフィに向ける声色は、トロリと柔らかかったというのに。同じ部屋で直立させられたまま、冷たい視線と一緒に急激にトーンダウンした声風を浴びせられれば。その瞬間、ゲルハルトの体がビクンと緊張で跳ねる。そして……後はただただ恐怖の冷や汗が吹き出し、止まらない。
「し、しかし……あの小僧は魔法を使いやがりましたぜッ⁉︎ チャカのタマも、アッサリと防ぎやがって……」
「だろうな。……現役の竜族ともなれば、ちっぽけな拳銃程度では敵うべく相手でもないだろう。だからこそ……あの工房を買い取って、新しい武器を作ろうってなったのだろうに」
「そうでしたよね……はは……」
単細胞とまで言われていたビルの口から出たのは、信じられないくらいに冷徹かつ、的確な指摘。いつからか手元に添えられるようになった不思議な雰囲気の武器を杖にするように、どっこいしょと……大きな体をソファから起こしては、ゆらりとビルがゲルハルトへ肉薄する。
「あ、あ……その……!」
「……もう1度チャンスをやろう、ゲルハルト。今から工房を“買い取って”こい。いいな?」
「へ、へいッ!」
鋭い双眸、猛る口元。彼は明らかに、ゲルハルトの失敗に怒っている。それでも……チャンスをやろうと、言ってもらえたことに命拾いをしたと誤解しては、ゲルハルトは脱兎の如く部屋を飛び出していった。
「……まぁ、刈穂様もお人が悪い。低能な猿に交渉で買い取るなんて、高等な真似ができるはずもないでしょうに」
「でしょうな。彼奴がどうせ失敗するのは、目に見えたこと。しかし……ここは何が何でも、駒を進めておかなければ。例の用心棒がカーヴェラを離れたとあらば、今度こそホーテンとやらに乗り移るいい機会。……小生の主人には、老獪な知謀者の方が似合いというものぞ」
「そうでしたわね。あぁ、そうそう……刈穂様。1つ、お願いしてもよろしくて?」
ゲルハルトが慌ただしく逃げ出した後、訪れた静寂にヨフィの言葉が落ちる。部屋に残るのが2人きりとなるや否や、ガラリと口調を変えてビル……いや、本体でもある陸奥刈穂が、彼女に応じるが。それこそ無能な猿だと見下していたビルを演じるのは、精神的にも堪えるモノがある。やれやれと疲労感にやるせないと、手元の自分自身を慰めるように紫の鞘を撫でながら……それでいてヨフィの変化にも、注意深く気を配る陸奥刈穂。
「お願い? なんだ、申してみよ」
「ゲルハルトが仕損じた時は、是非に私にくださいません事?」
「別に構わぬが……遊び相手はたくさん用意してやったろうに。まだ足りぬか?」
「いいえ、そうではありません。折角です……あいつの失敗を見届けたついでに、ほんの少し本当の自分に戻ってみようかと」
「あぁ、そういう事か。だったら、存分に遊んでくるが良かろうて。……夜こそ、お前の本領ということか」
「……そういう事ですわ」
彼女が頼りになる緊急避難先であることは、間違いない。今の持ち主に飽きて、殺めてしまった時は彼女に身を預ければ、手入れも恙なく遂行されるだろう。しかし、最近のヨフィは従順な態度こそ崩さないものの、やや自己主張が激しくなりつつある。
(確か……此奴はハインリヒが作り出した、新型の魔禍だという触れ込みだったはずだが)
本来は理性も知性も持ち合わせないはずの、食欲だけの下等な魔物。ただただ、相手の痛みに反応して喰らい尽くすだけの……忌避すべき怪異。しかし、彼女は驚く程に素早く自身の立場を理解し、ビルの側近という役目をしっかりと演じきっている。その上、ハインリヒや陸奥刈穂の指令も素直に聞いては、役割を全てを成功させてきた。
(だから、こうも人間を馬鹿にできるのだろうな。……ここまでの能力があれば、天狗になるのも無理はなかろうて)
そう言えば、故郷にはそんな妖怪がいたな……等と、今更ながらに郷愁に襲われては、陸奥刈穂は何かを拭い去るように微かに肩を揺らす。鼻高々に胸を張るヨフィを横目に、まだ素直なうちは問題ないかと判断するものの。あまりに見事すぎる役作りの手際に……陸奥刈穂はビルの体で、少しばかり困ったように眉を顰めていた。
***
感動の再会と、店の危機。何やら幹部らしい女がやってきてから、あっさりとルルシアナが撤退して行ったのはよかったものの。かつての息子ともう少しだけでもお話しできれば……というヤジェフの淡い希望は叶わなかった。
「ヤジェフ、今日は災難だったな。……大丈夫だったか?」
「これで、体だけは丈夫にできていやすから。命を取られなかっただけ、有難いというもんでさぁ」
「そうか。いずれにしても、痛む部分があったら、言えよ。無理はするな」
「へぇ、ありがとうございます、親方。……しかし、本当にこのまま安心しても、いいんでしょうかね? あのルルシアナがこの程度で諦めるとは、思えませんが」
「だろうな……。なにせ、俺が言うのもなんだが……この工房はカーヴェラでもちょいとした、老舗だからなぁ」
ヤジェフが身を寄せている工房はカーヴェラではそれなりの規模を持つ、中々に大きな鍛冶屋だ。創始者の大元は武器職人だったそうだが、今は主に打ち物の日用品を主力製品としている。しかし……。
「ここはかつて、武器屋でもあったみたいだから……まぁ、ルルシアナが目を付けるのも頷けるっちゃ、頷けるんだ。もし、奴らがもう1度来たら……その時は、武器屋に“逆戻り”も仕方ないかもしれん」
「……そうですか……」
今日の一幕で、親方は既に店も抵抗も諦めているようだ。相手はカーヴェラでは泣く子も黙る、マフィア・アズル会を擁する大物貴族・ルルシアナ。今のドンはルルシアナの正統な後継者ではないと聞くが……先代のドンよりも血気盛んかつ、貪欲な様子。ドンが代替わりしたらしいと噂されるようになってからというもの、以前のような大暴れは減った一方で……街の裏で不穏な活動をしていると、専らの評判だ。
(……もう、荒事はゴメンさね……。ようやく、真っ当に生きていけると思ったのに……)
自分の手に握られないとしても、自分の作った武器が人を傷つけるなら、同じこと。それこそ、短剣を握りしめては相当数の誰かを殺して、何かを奪ってきたヤジェフでも……逆戻りは勘弁だと首を振る。
抵抗しない事こそが、最善策なのかも知れない。だが……抵抗せずに、誰かを傷つける武器を作ることになってしまうのなら。それでは持ち直した意味がないと、ヤジェフは尚も項垂れる。
《一生懸命に働いている人はみんな、格好いい大人だと、僕は思うんです。僕もヤジェフおじさんみたいに、きちんと仕事ができるような格好いい大人になりたいです》
折角、そう言ってもらえたのに。折角、かつての息子にも胸を張って……父親だと名乗れないにしても、普通のおじさんとして接することができるかも知れないのに。
(……本当に、何もかもが変わっていくなぁ。カミさんの心も、ジーノの存在も……俺の境遇も。何1つ、昔のまんまじゃないし……元に戻りさえ、しねぇやね。……本当に……)
昔に戻れたのなら、どれだけいいだろう。せめて、家を飛び出す時にジーノを連れていれば……こんなことにはならなかったのかも知れない。
もし、あの時に戻れたのなら。誰しも、1つや2つ……いや、もしかしたら数え切れない程にやり直したいことがあるだろう。だが、それはあくまで結果論に対する希望的観測であり、タダの情けない言い訳。その時に最善だったかも知れない選択肢を選ばなかったのは、どこまでも自身の落ち度であり、考え抜くことをしなかっただけの怠慢だ。
人生はやり直しが利くなんて都合良くできていないし、そんな妄想で栄光を掴み取れるのなら、人は「懸命になるという事」を忘れていくだろう。やり直しができないから、人は最善を掴もうと努力をする。やり直しができないから、失敗を恐れてより良い未来を手繰り寄せようと足掻く。
だけど……ようやく、人生というものを懸命に生きようとし始めたヤジェフにとって、ルルシアナの横暴は受け入れ難い理不尽でしかなかった。そして、悔しいかな……今の彼には、ルルシアナに抵抗する力は何1つ、ない。
諦めは確かに、一種の怠慢ではあるだろう。だが……時にはどうしようもない現実を、なす術もなく受け入れなければならない事も、たくさん存在する。ただただ抵抗しない事を、果たして人生に対する怠慢だとせせら笑うとするのなら。それは紛れもなく、悪魔の高らかな嗤笑に違いない。




