19−33 姉妹の確執
麗しのデザートとお茶も行き渡り、心なしか朗らかな空気さえ醸し出した食卓に……安心していたのも、束の間。やはり、姉妹の確執というのはちょっとやそっとで拭えないものだったらしい。ルシファーの顔から困ったちゃんの表情が退散しないのを見ても、ミカさん相手にはそれなりに積もるものがあるみたいだ。
(……まぁ、その辺は仕方ないだろうな……)
俺が聞いているだけでも、彼女達の姉妹喧嘩(なのか?)は世界の秩序を崩すレベルの騒動だったわけで。ルシファーにしてみれば、天使長の立場からしても、姉の立場からしても……ミカさんの行いを易々と見過ごすこともできないのだろう。
「コンタロー達はそろそろ、寝る準備をする時間かな?」
「あぃ。その方が良さそうでヤンすね」
「確かに……そろそろ、俺は眠いかも。今夜の食事も美味かったですぜ、旦那」
「デザートもとても美味しかったです。ご馳走様でした」
「はいよ。お粗末様〜」
基本的に聞き分けがいい上に、揉め事が嫌いなモフモフちゃん達がちょっと重たげな腹を摩りながら撤退していく。妙に丸っこい3つのモフっとした小さな背中を見送りながら、俺は俺でいそいそとお茶を注いで回るものの。……う〜ん。こういう雰囲気は俺も苦手だったりする。こればっかりはどうしようもないのも、分かっているが。もうちょい、空気が軽くならないかとヤキモキしてしまう。
「……さて、ウリエル。まず、確認だが。……お前は自分が何をしたのかを、余すことなく承知している……で、良さそうか」
「無論、よくよく存じているよ。何せ……私自身が自分の意思でやってきたことだからな」
「……」
互いに冷静な雰囲気を醸し出しつつも。ミカさんの予想外の態度に、ルシファーの方は困惑顔が更に深まったように見える。きっと、ルシファーもここまでミカさんが素直に非を認めるなんて、思ってもいなかったのだろう。少しばかり意味ありげな息を吐いては、虚空を見上げて悲しそうに首を振り始めた。
「……後は、ミカエルが揃えば……我らもようやく元の輪に戻れると言ったところか……」
「それは……どういう意味だ、姉上。では、ガブリエルとラファエルは見つかっているのか?」
「うむ。ガブリエルとラファエルは幼児退行こそしているが、神界に帰ってきた魂を元にマナツリーが復活させてくれておる。そして……ミカエルも行方自体は何となく、分かっているのだが。おそらく、あいつの方はもう……手遅れだろう」
「……! ミカエルも復活していたのか?」
「なんだ、知らなかったのか? ……そちら側で相当に暗躍していたようだが」
うん? もしかして……ミカさんはミカエルさんが向こうさんのラスボスっぽいことを、ご存知ない……のか? この明らかに驚き、戸惑っている様子を見る限り……冗談抜きで、知らなかったっぽいぞ?
(あぁ、もしかして。ミカさんはそんな大切なことさえ、知らされない存在だったってことか……)
俺はてっきり、ミカさんは向こう側の幹部クラスの相手だとばかり思っていたのだけど。どうも、現実はそうでもないらしい。しばらく呆気に取られた顔をしていたかと思うと……今度は居た堪れないとばかりに、ミカさんが頭を抱え始めた。
「……そう、か。本当に……馬鹿みたいだな。私は始まりの大天使が4人揃えば、この世界……延いてはマナツリーに復讐できると思っていた。4人いれば、かつての栄光を新しい世界で作り直せると……思っていたのだ。だから、他の3人を探してもいたし……向こうも気付けば、喜んで私の意見に賛同してくれると思い込んでいた。……なるほど、な。ガブリエルとラファエルはともかく……ミカエルは私が近くにいるにも関わらず、敢えて無視していたということか」
かつての栄光を取り戻したい。私を愛してくれた姉妹達と一緒にもう1度、天使として神界に戻りたい。
そうお節介な旧友に吐露した渇望は、やはり最初から叶わないものだった。楽しい記憶がどんどん減っていく。美しい思い出がどんどん奪われていく。どんどん……落ちぶれに、落ちぶれて。しかも、呼びかけを敢えて無視されていたのなら……何のために、悪魔の誘いに乗って擦り切れたはずの自我さえも引っ張り出したのかさえ、分からない。
涙と一緒にそんな言葉をボロボロと溢して、いよいよミカさんが頭を抱えたままで泣き始める。最初はか細く……そして、最後は慟哭の大号泣。そんな人目も憚らずワンワンと泣き出した妹の姿に、居た堪れないものがあったのだろう。ルシファーがそっとミカさんの隣に移動すると、ヨシヨシと背中を摩る。
「何事も泣いてしまうと、存外スッキリするものだ。ここは思う存分、泣いてしまうといい。そうそう……私も自分の過ちを悔い、大泣きしたことがあってな。あの時は……ふん。それこそ、悪魔に慰めてもらったな」
「……姉上も……泣くことが、あったのか? 神界で……1番強く、正しいはずの……姉上が?」
「お前、私をどんな存在だと思っておるのだ。私はお前達が思っている程にまで完璧ではないし、失敗も数え切れないくらいに経験している。……翼の白が、正しさの証明ではない。翼の数が、強さの基準ではない。それぞれが個として存在している以上、絶対的な正義など有り得ぬのだよ。それは天使長とて、同じこと。……私も恥の多い天使生命を歩んできた、愚か者の1人に過ぎん」
自分にも弱い部分はある、自分は決して完璧じゃない。懇々といつになく優しい様子で、ミカさんを慰めるルシファーだったけど。しかし……俺としてはそれ以上に気になることがあって、ついお茶を注ぐ手が止まる。
(恐れ多いルシファーを慰めた悪魔って、一体誰だろうな。……まさか、ベルゼブブか?)
あっ、意外とあり得るな。無責任の権化みたいな親玉だが、あれでベルゼブブも相当に面倒見はいい方だ。それでなくても、暴食の悪魔は微妙に単細胞な奴の集まりなもので、簡易的なヨシヨシでもケロリとご機嫌を直す配下も多いらしい。それはそれでどうなのだろうと、暴食のナンバー2としては考えちまうけれど。……それでも領内をうまく回しているのだから、ベルゼブブはベルゼブブで紛れもない大物だろうとも思う。
「……ルシエルに、若造。今回もお前達に迷惑をかけたな。……今宵はこの位で、帰らせてもらおう。続きは向こうで話し合うことにする」
「続きは向こうで……? し、しかし、ルシフェル様。ウリエル様は堕天している身です。今の神界は翼が黒い者を置いてくれる程、甘くはなかったかと……」
「どうだろうな? あのマナツリーは人材不足を理由に、闇堕ちした傲慢の真祖まで天使として迎え入れたぞ? 無論、ウリエルがしたことを見過ごす事はできん。それなりの懲罰は想定されるだろうが……なに、神界に戻るくらいの希望は叶えてやれるだろう」
「姉上……それは、誠か……?」
「……ふん。私とて、伊達に天使長をやっている訳ではない。……マナツリーがどんな霊樹かくらいは、きちんと把握しているつもりだ。まぁ、見ておれ。それなりに上手くやってやろうぞ」
自分という存在の前例を下敷きにして。鼻息荒く、神界の霊樹を丸め込んでやるとルシファーが意気込む。
(伊達に天使長をやっている訳ではない……か。でも、それ以前に……)
ルシファーは天使長という肩書き以上に、ミカさんのお姉さんなんだろう。そんないつも以上に頼もしいルシファーの優しさを前に、ミカさんがもう1度嗚咽を漏らし始めるけれど。……あぁ。この涙は悔し涙じゃなくて、嬉し涙っぽいな。この調子であれば……俺がわざわざいらない心配をする必要もなさそうだ。