19−29 喧嘩をするのは、本当に嫌いだ
「おんや? ……何だろうな。こんな昼間っから、喧嘩かねぇ……」
「そう、みたいですね……回り道、した方が良さそうでしょうか?」
「うん、そうだね……と、言いたいところだけど。……ありゃ、もしかして……ウチの店かい?」
「えっ?」
グリーン・ストリートとブルー・アベニューの交差路から、更に少し進んだところで……隣を歩いているヤジェフさんが、彼としても見慣れないらしい人集りに首を傾げている。だけど、その中心地が働いているお店だとかで、慌ててヤジェフさんが人集りへと走り寄っていく。……なんだろう、ちょっと嫌な予感がする。
「親方ぁ! どうしやした?」
「あぁ、ヤジェフか。いや……その……」
「……うん? このおっかなさそうな人達は……ギャッ⁉︎」
「あぁん? お前……この店の奴か? いきなり、人のことをおっかないだなんて、失礼な奴っちゃなぁ。喧嘩売っとんのかぁ、ワレェ!」
「い、いいえ……そ、そういう訳では……」
見た目通りの感想を漏らしたヤジェフさんの首元を、強面のお兄さんが掴み上げてはユサユサと揺さぶり始めた。見れば、ヤジェフさんは苦しそうに首元を抑えて、離してくれと頼んでいるけど……。
「……グハァッ⁉︎」
「失礼な奴には、きっちりと分からせてやらにゃ、ならんなぁ? あぁ? 俺達、ルルシアナに逆らったらどうなるか……分かっているんだろうなぁ⁉︎」
「おっ、おじさんっ!」
だけど、お兄さんは懇願するヤジェフさんを離すどころか、お腹を一方的に殴りつける。そうされて、ドサリと足元に崩れ落ちたヤジェフさんの頭を、今度はグイグイと踏みつけ始めた。
「や、やめっ……」
「お前……その汚れた格好を見る限り、職人かぁ? まぁ、いい。ビルの兄貴がこの工房を買い取ってくださると言ってんだ。お前も今日から、ルルシアナのために精を出すんだぞ!」
「ルッ、ルルシアナ……?」
どうやら、強面のお兄さん達はルルシアナの一味らしい。だけど、ルルシアナと言えば……。
(ジャーノンさんもルルシアナだった気がするけど……)
孤児院にお菓子を持ってきてくれるという、やっぱりちょっと怖い見た目のお兄さん。だけど、ジャーノンさんは実際に話すと、とっても礼儀正しくて優しい人だった。多分、こんな風に一方的に殴りかかったりなんて、乱暴な真似はしないと思う。それに……。
(そう、か。そう言えば……ルルシアナのドンが変わって……)
それで、ビルって人が陸奥刈穂を持っているって話だったと思う。だとすると……今、このお兄さん達が工房を買い取ると言っているのは、ビルさん……じゃなくて、彼を乗っ取っているらしい陸奥刈穂の命令なんだろうか。
「あのっ! お兄さん達はどうして、こんなに乱暴な事をするんですか⁉︎ いきなり殴るなんて、酷いじゃないか!」
「あぁん? なんだ、このクソガキは……って、おぉ?」
「ゲルハルト兄、こいつ……人間じゃありやせんぜ? 見たところ……」
「噂の精霊落ちって奴か? それとも……」
いずれにしても、今はそんな事を考えている場合じゃない。目の前で、理不尽に痛めつけられている人がいるのだから……僕がするべきことは、ただ1つ。ヤジェフおじさんを守る事だけだ。
「……言っておきますけど、僕は精霊落ちじゃありません。大天使・ルシエル様と契約した、歴とした精霊です。お兄さん達になんか、負けませんから……!」
「ほぅ? 精霊かぁ……って、はぁっ?」
「精霊って、兄貴。まさか、あの……?」
「……天使と契約って、例の悪魔勇者の仲間か、こいつ?」
悪魔勇者……? あぁ、そうか。それはハーヴェンさんの事だろうな、きっと。
ハーヴェンさん本人曰く。「カーヴェラで悪魔と握手!」……なんて、よく分からないイベントの後、この街では大々的に天使と悪魔が認知されることになったらしい。だから、孤児院のザフィ先生やネッドさん、そしてアーニャさんも「精霊落ち」じゃなくて、最近は堂々と天使や悪魔であることを明言するようになったんだって。前はコソコソとしていた分、開放感があっていいなんて……アーニャさんは言っていたけど。僕としては、そんなにも大胆でいいものだろうかと、ちょっと心配になってしまう。だけど……。
「……そうです。僕はハーヴェンさん達と同じ、現役の精霊なんです。……悪いことは言いません。お兄さん達が全員でかかってきても、僕に勝つことはできないと思います。だから……」
「ウルセェ! そう言や……ヨフィの姐さんが使えそうな精霊落ちは、ついでに連れてこいって言ってたっけな」
「そうでしたね。でしたら……」
「おぅよ! お前ら、やっちまいな!」
……折角、警告したのにな。やっぱり、こうなるんだ。精霊であることを明言すれば、揉め事は避けられると思ったのに。この人達、そんなに暴れたいのかなぁ……。
「オラァ! ……って、ブワッ⁉︎」
「こ、このっ! 尻尾を使うなんて、反則だぞ!」
「反則も何も……刃物を持っているお兄さん達の方がよっぽど、反則だと思いますけど……」
「あぁ⁉︎ ふざけた事、抜かすんじゃねえぞ! このクソガキがぁッ⁉︎」
そう言って宥めてみても、お兄さん達は攻撃の手を緩めるつもりもないみたい……かな。もういいや。ちょっと痛い思いをしないと、お兄さん達は分かってくれなさそうだし……今度はもうちょっと、強くしてみよう。そうして、懲りずに殴りかかってきた元気そうなお兄さんを、更に尻尾で思いっきり薙ぎ払ってみる。
僕の尻尾には父さまの尻尾みたいに、棘はない。父さまは僕の尻尾にも、もう少ししたら棘が生えてくると思うなんて、言っていたけれど。意識的に引っ込められるらしいとは言え、今の僕には棘がなくて良かったのかも知れない。だって……。
(……どうしよう。このお兄さん達……本当に弱いかも……)
「普通の人達」相手に魔法を使うまでもないとは、薄々思っていたけれど。ここまで差があると、逆に必要以上に痛めつけてしまわないかを気にしなければならないから、却って煩わしい。こんな状況で尻尾に棘なんか生えていたら……きっと、思いがけずひどい怪我をさせてしまうだろう。だから、今は自分の尻尾にまだ棘が生えていないことに安心しつつ……やっぱり、こういうのは好きじゃないと、ため息が出る。僕はどんなものであれ……喧嘩をするのは、本当に嫌いだ。




