19−14 一人ぼっちじゃ、虚しいだけ
お茶のおかわりを用意した方が、いいかしら?
……なんて、目敏くティデルの様子も察しては、俺を引き止めたくせにアーニャが「そろそろ向こうへ行ってやれ」と合図を出してくる。うん……まぁ、そうなるよな。ちょっとした世間話の割には、アーニャの相談事は妙に複雑な内容だったけど。ティデルが抱えているコンタローから本格的な「あうぅ(助けて)!」が聞こえてきたもんだから、これ以上の放置はマズい気がする。
「はーい、ご機嫌いかが? ティデルも久しぶりだな」
「ご機嫌? そんなの、悪いに決まってるでしょ。見て分かんない? ま、いいわ。……今のところ、あんたに恨みはないし。お陰で、こっちではそれなりにやってるわよ。だけど……どうして選りに選って、こいつがいるの?」
無愛想なお顔に更なる不機嫌を乗せて、ティデルが改めてミカさんを睨みつける。同じ堕天使同士で仲が悪いのかと思いきや、どうやら……ティデルを唆して堕天させたのは、ミカさんご本人だった様子。意外と冷静なもので、ティデルも深いところまで話を蒸し返して、ほじくるつもりもないみたいだが。ちょっとやそっとじゃ、ご機嫌は直らなさそうだな、これは。
「……あんなに偉そうにしてたのに、結局はあんたもハーヴェンに拾われたの? マジでウケる。ホント……ざまぁ、ないわね」
「それも1つの事実だろうな。どうとでも、言えば良かろう。今更、言い訳するつもりも、許してくれだのと言うつもりもない。私がお前を引き込んだのは、純粋に利用できそうだっただけの話。特別な意味もなければ、明確な理由もない」
「何よ……それ」
ミカさんもこの場で詳しい事情を公開するつもりはないみたいだが。彼女が冷たいまでに平静を保っているのが、気に食わないんだろう。ティデルの表情が更に険しくなった。
「……で、あんたは何しにきたのよ? 言っとくけど、ここの子達は渡さないからね」
「ほぅ。改造狂いのお前が、そんな事を言うようになったか。……フッ、別にそんな事も企んでおらんよ。いや……違うな。もう、そんな事をする目的も権威もなくなった、とする方が正しいか。今の私は、叩き落とされた惨めな堕天使に過ぎぬ。かつては新しい世界を作って、神になるなんて……大それた野望も確かにあったのだがな」
近くに子供達の息遣いがあるせいか、はたまた、純粋な罪悪感の顕れなのか。ミカさんの弱腰の弁明には、ティデルを下手に刺激せずに、事を荒げないようにという配慮がちらほらと見える。……きっと、彼女もティデルがどんな思いで「堕天したのか」を理解しているのだろう。
「お前と同じにするな……と、言われそうだがな。私とて、分かっているのだ。……私もお前も。誰かに認めてもらいたくても、認めてもらえずに……夢敗れただけなのだ。堕天使とは鯔のつまり、鼻摘まみ者でしかない。……神界から見限られ、天使でも悪魔でもない。ましてや、精霊でもない。この世界が示す秩序に適応できずに、爪弾きにされただけの……愍然な敗北者なのだ」
苦しそうにそこまで呟いて、顔を伏せるミカさん。そんな彼女の痛ましい様子を慰めるように、ネッドが隣から彼女の背を優しく摩っている。自分自身で器用に哀れな敗者の烙印を押しながら、かつての誇りも「翼の白さの意味」と一緒に失くした彼女に……もう、名誉挽回の余地はないんだろうか。
「……フン。よく、分かってるじゃないのよ。私はね。あんたと一緒にされるなんて、真っ平御免だわ。言っておくけど、そもそも私……夢敗れてないから。だって、私には最初から夢なんてなかったもの。夢なんて……人間だった時から全部奪われてたし、壊されてきた。……だから、あんたと一緒にしないでよ。私はこれから、きちんと夢を見つけるの。……よく分からないけど、私はこのまま生きていていいみたいだし。神界も昔みたいに、ギスギスしているわけじゃなっぽいし。……だったら、今からやり直してもいいんじゃないかって。苦しい思いをしてまで……誰かに勝たなくてもいいじゃないかって、思うのよ」
だから、一緒にしないで……と、念押しをするようにティデルがちょっとだけ表情を和らげて、話を続ける。
「いつか、生意気な女の子に言われたことなんだけど、サ。そいつが言うには、誰かを傷つけたら最後は1人ぼっちになっちゃうんだって。そんな事を言われた時は、分かったような口を利くんじゃないわよ……って、思ったけど。今なら、何となく分かるのよ。……それが正しかったって事も、1人ぼっちは辛いんだってことも」
「ティデルの姉ちゃん、それって……」
「……そうよ。あの時に、エルノアに言われた事だわね」
ダウジャとティデルが共有しているらしい「あの時」がいつなのかは、俺には定かではないが。エルノアは突発的に核心を突くような事を言う時があるからなぁ。今のはきっと、ありがたいプリンセス語録の一節なのだろう。
「勝手に僻んで、勝手に羨んで。戦う相手さえ分からないのに、独りで負けたつもりになって、卑屈になって。……本当、バッカみたい。誰かを蹴落として、偉くなったところで……一人ぼっちじゃ、虚しいだけなのにね」
何かが吹っ切れたように、一気に畳みかけるように言葉を吐き出すティデル。多分だけど、こっちでの生活は彼女にとって、一人ぼっちを忘れられるものだったのかも知れない。ミカさんを睨むことは忘れられないみたいだけど、コンタローへの八つ当たりの手が緩んだのを見ても、これ以上は喧嘩腰になるつもりもないらしい。最後は諦めたようにフンッと鼻を鳴らしては……穏やかにコンタローのほっぺをムニムニし始めた。