3−12 竜界の一大事
尻尾が生えてから、約2週間くらい経った頃。尻尾をぐるぐる巻きにしていた包帯がようやく取れた。でも包帯が取れて精霊になった僕は……少しヘンテコな種類になってしまうとのことで、竜族の中でもちょっと珍しいらしい。だから父さまは僕の「種類」について、エレメントマスターという偉い人達と話し合うために、朝から出かけている。
父さまからは精霊として生きていくことについて、色々教えてもらった。魔力の感じ方、使い方、そしてコントロールの仕方。それから、悪い魔力「瘴気」への向き合い方。
僕は父さまと同じように、「瘴気」を直接取り込むことができてしまうらしい。瘴気には毒がある。そして、実際に僕は「毒」のせいで……眠れないほどの悪い夢を見ることがあった。うなされる度に父さまが優しく頭を撫でて落ち着かせてくれたけれど、悪い夢を見た後は真っ黒に塗りつぶされたみたいな、握りつぶされるような苦しさがずっと残っていた。父さまは悪い夢はそのうち少なくなる、って言っていたけれど……僕はまだ、悪い夢にうなされる。
「ギノ〜、一緒に遊ぼう?」
「あ、エル。今日は早起きだね?」
「もう、エルノアはいつもお寝坊なわけじゃないもん。ね、コンタロー?」
「あい。お嬢様の場合は、お昼寝がくっついていますから。既に寝坊じゃないでヤンす」
「コンタローだって、お布団の中で同じくらいの時間まで丸くなっているくせに!」
「そんなことないでヤンすよ? おいらは坊ちゃんとお嬢様のお布団を交互に行き来して、見守っているでヤンす。まぁ、坊ちゃんには旦那様が付いていますから、心配する必要がないだけでヤンすよ」
コンタローのそれも立派な寝坊だと僕は思うのだけど、2人とも自分の寝坊は寝坊じゃないと言い合うものだから、いつも口げんかになってしまう。結局、コンタローが一方的にモフモフされるのだけれど、2人の言い訳と様子がおかしくて……僕は止めることも忘れてつい、笑ってしまっている。ここでの生活は苦労もあるけれど。苦しいだけじゃなくて、嬉しいことや楽しいこともあるから……僕は幸せなんだと思う。
「あらあら、どうしたの? みんなで大騒ぎして。母さまも混ぜてちょうだいな」
「あ、母さま! おはようなの!」
両手でコンタローのほっぺたをムニムニしながら、エルが母さまに遅めのおはようを言う。本当はもうそろそろお昼なんだけど、エルにしたら「早起き」なのだから、それでいいのかもしれない。
「ウフフ、おはよう? さてさて、みんな起きてきたことだし、お茶にしましょうか?」
「は〜い」
***
「と、言うわけでして……マスター・ルシエルからお預かりしていたデミエレメントの子が、無事に精霊として生きていくことができそうなのです。ただ……この子は今までにない種類になりそうなので、祝詞と精霊名についてご相談したくて、席を設けさせていただきました。お忙しい中恐縮ですが、お知恵をお貸しいただければ幸いです」
竜王城の一室。エレメントマスターが4人、顔を付き合わせて竜界の一大事について話し合っていた。
新しい竜族の誕生……しかもデミエレメントからの昇華とあれば、ウン百年という間竜界では久しくなかった事だ。その上、新しい竜族は闇属性のハイエレメントを持つことになりそうだともなれば、竜界の将来にとって貴重な存在になる可能性が高い。瘴気を直接取り込み、魔力として変換する能力は……場合によっては、ドラゴンプリエステスと同等価値に匹敵する。
大切な存在になるかもしれない、新しい竜族の存在。その実質の保護者である、ゲルニカが相談事の話を進める。ゲルニカはエレメントマスターの最年少ということもあり、いつも腰が低く丁寧な姿勢を崩さないが……それが却って気に食わないマハは、彼を苦々しく睨んでいた。
「フン。人間のデミエレメントなんぞ、受け入れなくてもよろしいでしょうに。大体、今時天使との契約も必要ないはずですよ? いくら娘の恩人とは言え、ルシエルとやらは……仮にもエレメントマスターのお前が、契約するほどの相手なのですか? お前はいつもいつも、見通しが甘いのです。その子供の事だって、天使なんぞと契約しなければ抱え込まなくて済んだのに。何故、器用に厄介ごとを運んでくるのですか。……あぁ。どうして、エスペランザ様はこんな未熟者に美しいテュカチア様を下賜されたのでしょう?」
竜界一美しい女性がテュカチアならば、美しい男性はマハになるだろうというのは、竜界の常識だ。
竜神・クロウクルーワッハを本性に持つマハは、神話の神々よろしく非常に整った容貌をしている。柔らかな金色の髪の合間から覗く、夕闇と夕焼けを混ぜたような絶妙な色合いの角。尾は豪奢な金色の鱗で覆われており、周囲の光を集め、常に輝いて見える。紺碧の青い瞳を覗かせる長い睫毛は中性的な印象に拍車をかけ、鼻筋の通った面差しはまさに完璧だが……マハは人一倍プライドも高く、高慢な部分が目立つ。そのせいか、エレメントマスター内では唯一独身貴族を謳歌している身であり、本人も若干の焦りを抱いている。そして、かつて妻にと切望したテュカチアが、下賜されたことを未だに根に持っており……何かにつけ、ゲルニカに突っかかるのだ。
「……」
色々と言い返したいこともあるのだろうが、この場で口論をすべきではないと理解しているらしい。ゲルニカは言いがかりにも近い、辛辣な嫌味に耐えるように黙り込んでいる。そんな様子を、見るに見かねたのだろう。ゲルニカに必要以上に食ってかかるマハを、横からラヴァクールが諌め始めた。
「ゲルニカに姫君を奪われたからと言って、私怨交じりに突っかからなくても良いではないか。別に、新しい精霊の誕生は厄介ごとではないだろう。むしろ、喜ばしい事だ。私は是非にでも、祝詞と精霊名を授けてやるべきだと思うが」
竜神・ヤトノカミを本性に持つ、水のエレメントマスター・ラヴァクール。海を思わせるロイヤルブルーの長髪を緩やかにまとめ上げ、数本の簪が洒脱な感じで添えられている。瞳はまるで、最上級のルビーのように燃えるような真紅の光を帯びており、尾は水色とも銀色とも取れる水の揺らぎのような、不思議な色合いを見せる。頭からは珊瑚のように鮮やかな朱色をした美しい角が繁茂しており、エレメントマスターの中でも2番目に古株とあって、話を纏めるのも手慣れている。
「ふむ、そうじゃの。ワシもラヴァクールに賛成じゃの。しかも、ギノ君は地属性の竜族になるとか。だとすれば、ワシとしても同じ属性の仲間が増えるのは、とても嬉しいぞ? それにな、あの子に会ったエメラルダもギノ君はそれはそれは、とてもいい子だと言っておった。年が近ければ、お婿さんにしたいと言うほどにな。……何も問題ないと思うがの?」
ラヴァクールの言葉を受けて、最後に長老様が意見を述べる。
竜界最長齢にして、ディバインドラゴンを本性に持つ老人は……いかにも長老と呼ばれるに相応しい姿をしている。長いヒゲは茶目っ気タップリな三つ編みにされており、角は植物が雄々しく生い茂るように絡み合う、複雑な緑色を湛えていた。浅葱色のローブから覗く純白の尾には、深い森を連想させるディープグリーンの豊かな毛房が付いており……青い瞳はとても暖かく、どこまでも優しい。
「3対1のようだな?」
ラヴァクールがやや威圧的にマハに言い放つと、渋々といった様子で了承するマハだったが。どうやらまだ納得はできかねる、と言ったところなのだろう。尚も、嫌味を振りまくことを忘れない。
「分かりましたよ、えぇ、分かりましたとも。だったら、成り上がりの子供にも精霊名を授けるがよろしい。しかし、エメラルダ様のご様子は聞き捨てなりませんね? いくら力を引き継いではいないとは言え、王族に連なる貴人が成り上がりの子供に対して、軽はずみなことを仰るとは。オフィーリア様はその辺り、何も感じないのですか?」
「うむ? 別にワシは良いと思うがの? じゃが、横恋慕をあのプリンセスが許すとは思えんし……この様子だとギノ君にも振られたエメラルダは、一生シングルになりそうじゃのぉ」
「プリンセス……? ゲルニカの娘のことですか?」
「そうじゃよ? エルノアちゃんが次世代のプリエステスになることは、ほぼ確定じゃし……それでなくとも様子を聞く限り、ギノ君はエルノアちゃんが初めて好きになった男の子みたいじゃしの。エメラルダが入る隙はないんじゃないかの?」
そのやりとりに、遠慮するように黙っていたゲルニカが慌てて口を挟む。
「お言葉ですが、オフィーリア様。エルノア……私の娘は未熟です。プリエステスになるには遠いと思いますし、あの子達はまだ子供です。婚姻の話も早すぎます」
「じゃが、今の所他に適格者もおらぬ。ワシはエルノアちゃんが女王の座に就くのが、良いと思っておるがの? それでなくとも……お主の娘じゃし、素質も十分じゃろ。婚姻の話だって、早いに越したことはなかろう? 現にエメラルダは色々わがままを申して、未だに未婚のままじゃ。あれと同じように女王に相手がおらず、子孫を繋げないということの方が……ワシは心配じゃがの?」
「し、しかし……とにかく、次の跡目はそれこそドラグニールがお決めになる事でしょう。それに……女王殿下は最近、体調も良いと聞いております。私達がこのような場で、勝手に判断するべきことではないと思いますが」
「ふむ……そうかの?」
話が変な方向に流れつつあることに、困惑気味で遠慮と配慮を示すゲルニカに……この際だから、ついでに決めてしまおうという腹づもりのオフィーリア。しかし、ゲルニカの謙遜さえも嫌味と受け取ったのだろう。マハが尚も食い下がる。
「私は反対ですよ。次のプリエステスには……フュードレチア様がなられるべきだと思うが」
そうして嫌味ついでに放たれた言葉に……明らかな困惑を示す、他3人。
「……フュードレチア様が適任であるならば、とっくにエスペランザ様がそのように命を出されているだろう。フュードレチア様では務まらないと判断されているから、未だに女王の座を譲らないのではないか?」
マハの意見に仕方なく、ラヴァクールが苦言を呈する。そう、フュードレチアには決定的に竜女帝になるための素質……他を思いやるということ……が欠けている。それがありさえすれば、エスペランザは女王の座をすんなり彼女に引き継いでいるだろうし、きっとドラグニールもとっくに遣いを寄越しているに違いない。彼女を竜女帝にできない理由を熟知しているからこそ、風前の灯火の命を引きずってでも……エスペランザは竜界の魔力の調整役としてその任を手放せないでいるのだ。女王の座に固執しているわけでも、意地悪をしているわけでもない。
「……ということは。フュードレチア様がお変わりになれば、代を継げるということでしょうか?」
マハの言葉を受けて、ゲルニカが何気なく呟く。何やら、フュードレチアの即位に思うところがあるらしい。
「ほぅ?」
「確かにエスペランザ様やエルノアには、苦しみや悲しみを感じとる能力があるのは事実でしょうが、別にそれがなくとも、私達でも相手の感情を多少は図ることは可能ですし……それ以上に、悪意を細かく読み取ることの方がとても難しいことだと思います。ですので、もしフュードレチア様に相手の気持ちを慮る気概があれば……竜女帝になられても、問題ないのではないかと思いまして」
「確かにそうなのだが……」
その言葉に、今度はラヴァクールが顔をしかめる。
「いや、ゲルニカの言うことは尤もだろう。能力に頼らずとも、気概さえあれば問題ないのかもしれぬ。だが、公平に魔力を分配する、ということに関して言えば……やはり気概で何とかできるものでもないと思うが……」
「ふむ、なるほどな。魔力の分配に関しては、我らエレメントマスターで考えれば良いのかもしれんの? ほれ、ワシらは自分達の所轄地の魔力を管理しておるじゃろ? だったら、魔力に異常があったり、不足があったりしたら4人で話し合い、結果を女王に進言すれば良いのではないか? それであればある程度、公平性も保てると思うが。それに、属性という枠に拘る理由もなくなってきてるしのぉ。そろそろ女王頼りで生きていくことを、見つめ直さなければならぬ段階に入っているのかもしれん」
竜族は魔力崩壊の少し前の時代から、自分達の世界に篭ったままだ。最近はその影響か、精霊であることを忘れ、「本性」を失った状態で生まれてくる者も出てきている。それは結果的に「本性」側で脱皮をすることで、「子供」から「大人」へと成長する竜族にとって「成長できない子供」が生まれているということに他ならず……延いては子孫を残せないという、種族としては致命的な問題を引き起こしている。器があり、魔法を使えるのに純粋に精霊として生まれてこれない者が出現している時点で、竜界のシステム自体が崩れ始めているのかもしれない。
とっくに来ているはずのドラグニールからの使者も、未だ現れないことを考えると……ドラゴンプリエステスに頼りきりの魔力供給を考え直す必要性があることは、エレメントマスター全員が肌で感じていることでもあった。
「でしたら、フュードレチア様も含めて……エスペランザ様にその提案をしてみたらどうです? 私もそういうことでしたら、異議ありませんよ」
マハが先ほどまでの斜に構えた態度とは打って変わって、今度はすんなりと同意を示す。彼も竜界に異変が起こっている事は、よく理解しているのだろう。
「ふむ、そうじゃのう。であれば、エレメントマスター全員の総意として……ワシから進言しておこう。で、ゲルニカ。ギノ君の精霊名と祝詞じゃがの」
「はい」
「ワシが明日、授けることにしよう。なにせ、ギノ君は地属性の竜族なのだろう? だったら、張り切って考えちゃうから、任せてくれんかの?」
「もちろんです。長老様に名付けていただけるのであれば、これ以上の贈り物もありますまい」
「ほっほっほ。そうか、そうか。ではワシ、頑張っちゃうぞ。エルノアちゃんにも喜んでもらえそうじゃし、明日お前の屋敷に出向くとしようかの? 無論、女王への報告も併せてやっちゃうから、そこんとこもヨロシクの」
「かしこまりました……ご面倒おかけ致しますが、よろしくお願いいたします」
「うむ。任せておきなさい」