3−11 爽やかな酸味とバニラ風味
「あぅ〜、これがハーヴェン様の特製ビーフシチューですか〜。とろける様な食感、たまりません〜」
「本当ですね。これが食事をする喜び……‼︎ 複雑な余韻の虜になってしまいそうです……!」
お仕事を頑張って、いただく夕食。招かれたゲスト2人はハーヴェンが腕を振るった料理を、いたく気に入ったらしい。それこそ目をキラキラと輝かせて、ビーフシチューに舌鼓を打っている。
「美味いか〜?」
「はい! 美味しいです!」
「本当、お仕事頑張ってよかったですぅ〜」
「そか、それは良かった」
そんな同僚の様子に……ハーヴェンもいつになく、嬉しそうだ。そうか。彼はこうして、素直に喜んで食べてくれる相手がいると嬉しいのか。だとしたら、私の反応は物足りないのかもしれない。
「……」
「ん……? ルシエル、どうした?」
どうしてだろう。人の目を必要以上に気にしては……2人がいるせいで、うまく伝えられない。本当はとても美味しいと言いたいのに、なぜか言葉が詰まってしまう。それでも、ハーヴェンは私が言いたいことをそれとなく、察してくれたらしい。
「ルシエルもよく頑張ったな。デザートもあるから、楽しみにしとけ」
「……はい」
頭を撫でてもらえると……なぜだろう、いつもは子供扱いするなと怒りたくなるのだが。……今日は不思議と、そんな気にもならない。
(あぅぅ、デザート以前に頭ナデナデ、羨ましすぎです〜)
(そうですね。もう、こうなったら……私も悪魔の旦那様を是が非でも見つけないと……‼︎)
「ん? お2人さん、どうした? デザートはもちろん2人の分もあるから、心配するなよ〜?」
「私達の分もデザート、あるんですか⁉︎」
「おぅ。最近は少し多めで作ることにしているから。ちゃんとあるぞ」
「いやっふう〜‼︎ わーい、デザートぉ!」
「マディエル、ちょっとはしゃぎすぎだ。とにかく、落ち着け」
「いや、ルシエル様、落ち着いていられませんよ〜」
「そうですよ。ルシエル様はいつも、美味しいお料理をいただけるのかもしれませんけど!」
「私達はぁ、こういうの初めてなんですよぅ? しかもデザートですよ、デザート! 天使には無縁の、至福の1品〜!」
「本当に……いつも旦那様の手作りデザートを食べられるなんて、どれだけ幸せ者なんですか?」
「え、あ……あぁ。なんだか、色々とすまない……」
勢いを諫めたつもりが、怒涛の如く反論され……仕方なしに謝ってみたが。私にしてみれば、大げさもいいところのテンションで一頻り騒ぐ2人の前にも、予告通りデザートが提供される。
「は〜い。今日のデザートはパッションフルーツソースのババロアでーす。どうぞ、召し上がれ〜」
目の前に並べられたのは……綺麗に三日月型に抜かれたババロアにフルーツソースがかけられた、いかにもおしゃれなデザートだった。おそらく月型に合わせたのだろう、スターフルーツの輪切りが見た目にも可愛いアクセントになっている。……ハーヴェンのこういうセンスは正直なところ、ベルゼブブ譲りじゃなくて本当に良かったと思う。
「きゃ〜! なにこれ! すごく可愛いですね!」
「あぅぅ、今日という日をマディエル、一生忘れません〜」
「そんな、大げさな……」
とか言いつつ……ひと匙口に運ぶと、爽やかな酸味とバニラ風味のババロアがなんとも言えない、奥行きのある優しい味を表現している。今夜のデザートも……とにかく美味しい。
「では、これ以上はご迷惑でしょうし、私達は帰ります」
「うぅ、名残惜しいですけどぉ、ちょっと人間界に長く居過ぎてしまいましたし……とにかく、ごちそうさまでしたぁ」
「おぅ、今日は色々とありがとな。また、一緒に何かすることになったらルシエル共々、よろしくな」
食事を存分に堪能し、嬉しそうに帰っていく天使2人。今夜は泊まるとか言われたら、どうしようと思っていたのだが……彼女達はきちんと節度を守ってくれているようだ。
「さて、と。俺は後片付けをするから、ルシエルは先に休んでいろよ」
「あ、いや。今日は私も片付け、手伝うよ」
「そか? じゃぁ、お願いしようかな?」
「で、その」
「ん?」
「一緒にお風呂に入れたら、と思って……だな」
自分なりに素直に伝えたつもりだが……ちょっと、はしたなかっただろうか。しかしハーヴェンは私の気持ちを知ってか知らずか、茶化すことなくすんなり受け入れてくれる。
「うん、そうだな。折角だし、一緒に入ろうか?」
「……」
無言で頷く。いつになったら、私は素直になれるのか分からないが。とにかく少しずつでも、距離を縮められれば……と思っていたりする。
***
「……姉様、ごめんなさい。アーチェッタの目障りな蝿を、叩き潰すことができなかったみたいなの」
手持ちのチェインドベリアルの応答がなくなったことに気づいたダッチェルが、申し訳なさそうに姉に顛末の報告をしている。その報告を聞いて、爪かじるノクエル。
「仕方ないとは言え……本当に、あの悪魔は目障りですね……⁉︎ どうしてこうも、私の邪魔をするのでしょう?」
「ね、姉様?」
先ほどまで歯噛みしていた親指の爪がそのまま、パキリと乾いた音を立てて割れる。相当に力がかかったらしい親指からは……黒い血がポタリポタリ、と流れ始めていた。
「本当に忌々しい! ルシエルとかいうアバズレも邪魔ですが、それ以上に……あの悪魔さえいなければ、さらに上質な材料が手に入ったかもしれないのに!」
「姉様、落ち着いて? あの方にも報告はしたのだけど……材料集めはアーチェッタ以外でもできるのだから、次は目立たないようにやった方がいいかもね? それに……ほら。例の病院でも、確実な研究成果が上がったし……」
「仕方ないですね。まぁ、いいでしょう。しかし、こうなったら……あの悪魔だけでも、私が片付けて来ましょう」
今回の結果が相当、腹に据えかねるらしい。ノクエルは鼻筋を立てて、あからさまに怒りの形相を露わにしている。
「本当に大丈夫、姉様? 言っておくけど、あの悪魔のレベルは以前とは別物だったわよ? それに……ルシエルはルシエルで、最上位の精霊も手駒にいるし……幾ら何でも、分が悪いんじゃ?」
「……大丈夫ですよ。それなりに餌を撒いて、順番に仕留める事にしますから。それでなくても……あぁ! 本当に! いつもいつも悪魔は……どうしてこうも、目障りなんでしょうね⁉︎」
「いつもいつも……? 姉様はそんなに、悪魔に会った事があったのかしら?」
「おや? ……そう言われれば、そうですね。どうしてかは分からないのですが、所謂デジャヴというやつで……ハールに腕を落とされた時に、以前もどこかでこんな事があったな……と思った事がありました。……ふふ、私も自分で自分が分からない時があるのですよ。ただ、少なくともハールのせいで、私はあの方の前で失態を演じる羽目になったのです。今度こそ……今度こそ、悪魔なんぞに遅れはとりませんよ」
「……」
ノクエルは、ダッチェルには使えないある魔法が使える。その魔法は術者が特定の条件を満たしていないと使えないはずの魔法で……厳しい前提条件がある以上、ノクエルは「とある者」の生前の記憶を留めている可能性が高い。そして……その記憶を掴むまでは、ノクエルに死なれるわけにはいかない。彼女達にひと匙の夢をチラつかせて、こちら側に引き込んだ、あの方に繋がる手がかりになるはずの記憶を掴むまでは。
すぐ横で静かに怒りを燃やすノクエルの顔を窺いながら、ダッチェルは顛末を想像して不安になる。ノクエルは表では冷静を装っていても、実際は非常に頭に血が上りやすく、勢いで事を起こして失敗するタイプなのだ。生前から妹だけには優しかった姉の修羅の表情を見ると……失敗が繰り返されるような気がして、今度は本当の意味で1人になってしまう気がして。ダッチェルは人知れず、底知れない寒気を覚えていた。