18−31 方向性が危うい探究心
深く深く、暗い暗い、ヴァンダートの底から。青空を目指して、白の鋼鉄要塞がゆっくりゆっくりと舞い上がっていく。しかし、その要塞は彼らの「緊急避難先」だったはずなのに。易々と新しい住人を迎え入れる程の気遣いまでは持ち合わせていなかった。
「本当に忌々しい……! どうして、僕達まで“拒絶”されなければならないんですかね⁉︎」
「……神様とやらに認められてないからじゃないの?」
「だよね。……だって、ハインリヒ様は威張り散らしているだけの小物だし」
「うるさいっ!」
周囲をグルリと一回りして、ようやく入り口らしき場所は見つけたが。あいにくと、グラディウスのゲストにはハインリヒ達も含まれていないらしい。それどころか、それ以上は近づくなと言わんばかりに、純白の荊棘が彼らの行手を阻む。それだけでも、ハインリヒにしてみれば神経を必要以上に刺激されると言うのに。その上で圧倒的な支配で「隷属」させていたはずのデミエレメント2人にまで「口撃」されたのでは、ますます忌々しいではないか。しかも……。
(さっきから、魔力が回復してきません……。何が起こっているのでしょう? 普段であれば、もっと……)
手早く魔力を集めて、力を蓄えられるというのに。だけど、何故か今のハインリヒに力を貸してくれる魔力は存在しないらしい。確かに魔力は感じるというのに、ハインリヒはそれらを「いつものように」捕まえることができないでいた。
(この感じはまさか、神経毒……?)
そうして、いよいよ自分の魔力の器が「麻痺」し始めていることに気づく。先程まではきちんと稼働していたように思えたが、よくよく神経を巡らせてみれば、自分の器こそが何かの毒に冒されていた。そして、その「毒」の原因として思い当たることと言えば……。
(……暴食の真祖の魔法、でしょうか……)
拡張式異種多段構築による、相手の逃げ道を徹底的に塞ぐための魔法・スティグマタイズスィナー。かの暴食の真祖の手によるその魔法は、相手を一方的に「罪人」だと決めつけた挙句に、最後の最後まで苦しめるための構築がしっかりと組み込まれていた。
(ロゼクレードルの効果をこんな風に発揮してくるなんて……)
伊達に真祖の肩書を保持している訳ではなかったという事か。
ハインリヒは知る由もないが、ベルゼブブは魔界でも魔法分野では第1位を誇る、相当の実力者でもある。悪趣味な好奇心も旺盛なら、方向性が危うい探究心も精強。しかもベルゼブブは魔法の「新しい効果」を手探りで習得できるだけの「知識」と「魔力量」を保持しており、そうして作り出した魔法を魔界に迷い込んだ「獲物」相手に試し撃ちできる環境まで用意されていた。
「ところで、ハインリヒ様……少し良いですか?」
「……どうしました、プランシー。何か気づいたことでも?」
ハインリヒが「認められた真祖」の待遇との落差に苛立ちを募らせていると、彼の荒れ放題だった神経を宥めるかのように、プランシーが穏やかな口調で話しかけてくる。しかし……その先の内容は口調こそ穏やかであれ、ハインリヒにしてみればどこまでも穏やかでは済まされない内容だった。
「そんな事にも気づけないだなんて……これだから、中途半端な悪魔は困りますな。目の前のあれに迎えられるにはおそらく、それなりの手土産が必要なのだと思いますよ」
「……手土産、ですか? しかし……今、なんと? 僕はあなた如きに中途半端だなんて、言われる筋合いは……」
「おや、そうですかな? 何があったのかは知りませんが……魔力の器を麻痺させられている小物が、何をおっしゃるのです」
「……⁉︎」
ハインリヒの「異常事態」の原因こそ、掘り下げてこないものの。図星を突かれて、言葉を失った様子のハインリヒに尚も穏やかな口調で……まるで子供に言い含めるように……どうして自分が気づけたのかということを、悪魔の強みを振りかざして解説するプランシー。
「きちんと作られた悪魔であれば、相手の魂を見定めることができるのですよ。そして、私の目にはあなたの器は非常に小さく、機能を停止しているようにも見えます。クククク……! どうやら、私は悪魔として完成した事によって、魔力の器を見抜く能力を手に入れたようです。そして……“完成した悪魔”にしてみれば、今のあなた様は取るに足らない存在でしかありません」
あれ程までに表向きは穏やかで、従順だったはずのプランシーは今まさに、これ以上ない程までに醜悪な笑顔を見せている。その笑顔には、ロジェやタールカは無論のこと、同じ悪魔であるはずのハインリヒの恐怖さえも引き出すものだった。
「あぁ、お前達はそこまで怯えなくて、大丈夫ですよ。何せ、あちらがお望みなのは精霊ではないようだから」
「し、神父様……本当に、どうしちゃったの? それに、精霊を望むって、どういうこと……?」
「別にどうもしませんよ、ロジェ。私はただ、思い出しただけなのです。……この世界に対する恨みと、恩知らずな子供達に対する、憎しみと。そして……それはどうも、あちらにいらっしゃる彼女も同じようです。神に受け入れて欲しいのであれば、同じ志を抱いた同胞を連れてこいと申しているのでしょう」
その判断基準と自信は一体、どこから溢れてくるものなのだろう……?
自分を小馬鹿にしては、思い上がり始めたプランシーの「推理」を否定してやろうと、ハインリヒは改めて注意深く硬く口を閉ざしたままの白亜の扉を睨むものの。マジマジと見やれば、プランシーの推測が決して当てずっぽうでもない事にも、すぐさま気付く。
「……なるほど、そういう事ですか。グラディウスは要するに、脇役を寄越せと申しているのですね。全く……こんな所にまで、無駄な意匠を施さなくてもいいでしょうに」
「あぁ、ハインリヒ様も流石に気づかれましたか? ……あちらの扉に浮かぶレリーフが、何を示しているのか」
白亜の滑らかな肌に細かい金色の天使のレリーフで彩られた、いかにも豪奢でありながら、あまりに場違いな趣のドア。それは、アーチェッタの教皇でもあったミカの居室のものと、寸分違わぬ趣向を凝らした天使の扉。だが、レリーフが意味する内容が、本当は天使様の神々しさを手放しで讃えるものではないことを……神父階級以上の者であれば何となく、知ってもいる。そう……扉のモチーフは「天使降臨」などと言う、清らかで崇高なものでは、決してなかった。