17−60 無知なる女神
(……お前は本当に、何者なのだ? 天使なのか? 悪魔なのか? それとも……)
「いいや。私は天使でも悪魔でもない。……強いて言えば神の候補者、とでも言えばいいか?」
ローゼンクランツの魔法さえも引き継いで。純白の繭糸の向こう側で明らかな恐怖の呻き声を上げる、仄暗い女神に美麗な笑顔と傲慢な言葉を与えるミカエル。明らかなる世迷言をただ、馬鹿げたこととせせら笑えたのなら、どれ程までによかったろう。だが、ローレライに巣食う古代の女神には、彼女の世迷言が決して荒唐無稽な絵空事ですらないことも分かっていた。
「さて……と。なかなかにグラディウスを統制するのは骨が折れるが……ここまで来れば、あとは粛々と根を下ろせばいいだけだ。次は……」
(我が魂を取り込んで、なんとする? 私は……)
「自分が何者なのかさえ、分からぬ無知なる女神だったな。安心せよ。私が代わりに、その記憶をしかと取り戻してやろう。……古代の女神・クシヒメの片割れよ」
(あんな軟弱者と一緒にするでない。……私はあれとは別の意思を持つ存在ぞ。確かに、自分の名前すら覚えておらぬが……あれとは違うことだけは、ハッキリと理解しておる。片割れなどと、軽々しく申すな)
しかし、自分の事は覚えていないと宣う割には、古代の女神は確かなる拒絶の言葉を吐く。そうして何かを諦めたのか、それとも何かを悟ったのか。古代の女神が禁断の果実の姿をしたまま、器用に鼻を鳴らしてはミカエルを試すような提案を寄越してくる。
(であれば……やれるものなら、やってみるがいい。我が魂を本当に“飲み込む”ことができるのなら、お前は確かに神にはなれるのだろうよ)
「言われずとも、臨むところだ。……案ずるな。お前を取り込んだ暁には、私は間違いなく最高の神になろう。そんな偉大なる神が世界を統べる雄姿を、お前はただ見ているだけでいい」
(……奢ったことを。本当に……そうなればいいのだがな。神に相応しい器とやら、せいぜい見せてみるがいい)
それはこちらのセリフだ……と、互いに高慢な言葉を浴びせながら、ミカエルの根はとうとう魔防壁の内側にまで腕を伸ばし、その白い触手で仄暗い果実を包み込む。ただ、自身の末端で触れただけだというのに。そのザラリとした、不揃いな感触はミカエルに高揚感と甘美な余韻とを存分に齎した。
「そうだ……そうだ! この感覚、この感触! グラディウスを統括せし、この一体感! これこそが、神に相応しき絶対強者の全能というものぞ!」
古代の女神を果実ごと食い荒らし、既に聞く相手さえいない孤独な空間でひたすら高笑いを響かせるミカエル。そうして、ようやくグラディウスに変貌したローレライそのものを掌握すると、「穢れた大地」から独立しようと繭糸を柔らかな羽毛へと変化させる。しかし……そうして遥かなる天空へ飛び立とうとする彼女の「足」を僅かに引っ張る者があるので、神経の末端を泳がせれば。つま先の延長に潜む感覚が、彼女の糸を精一杯握りしめているのにも引っかかる。
「……フン。まだ、残っておったのか。いい加減に……全てを我が身に委ねろ」
エレメントルートアップに残された意思さえも、足蹴にして。その小さな手を振り払って、振り向くこともせず。遥かなる高みへと、いざ行かん。ミカエルの根に全てを包み込まれ、地の底から這いあがろうとグラディウスがゆっくりと穢れた大地から浮き上がる。本当に、ゆっくりゆっくり……しかし少しずつでも、確実に。彼女が空という青い世界を臨むのにはまだまだ時間がかかりそうだが。それでも、あとは時間さえかければいいのだから、そのくらいは我慢できる。
「見ていろ、神界の愚か者ども……! 我こそは、ミカエル……いや、大いなる女神・グランディア。私を認めなかった者全てに……相応しい罰と苦痛とを与えてやろう。そう、私こそがこの世界の全てを照らす様を、永遠の苦しみの中で見つめ続けるがいい……!」
その呟きはまだまだ、誰にも届かない。その呟きはまだまだ、現実には程遠い。だけれども、着実に確かなる現実になろうとしている。愛されないのなら、愛をもぎ取ればいい。認められないのなら、認めてくれる相手を作ればいい。見つめてもらえないのなら、見つめざるを得ないようにしてやる……。歪んだ思想と、歪められた理想とでグランディアは世界に叛逆の光臨を見せつけようと、暗い暗い闇の底で枝に実った剣の牙を研いでいた。




