3−6 一生懸命働いて、お給金ゲットします!
相変わらず、豪勢な出で立ちのリンドヘイム聖教本部の大聖堂。現地集合とのことで、聖堂の前でマディエルともう1人、いつかに見た顔の天使と合流する。それぞれ翼をしまっているので、年端も行かない少女達に見えるが……約1名を除き、他2名は至極凶暴だから、天使というのは恐ろしい。
「ハーヴェン様、お久しぶりです。……先日は大変、失礼いたしました」
「確か、リヴィエルだっけか? あの時は別にお前のせいでもないと思うし、気にすんなよ。とにかく、今日はよろしくな」
「はい。こちらこそ、よろしくお願いいたいします」
慇懃かつ、丁寧な姿勢を崩さないリヴィエル。腰には俺の肩を一度貫いたことのある、あの凶悪な武器と思われるものがぶら下がっている。ルシエルは顔立ちだけ見れば、そこまできつい印象はないが。リヴィエルはややつり目がちの紫の瞳に、深いグリーンの髪な利発そうな顔立ちで、いかにも頭脳明晰な雰囲気を醸し出していた。ルシエルもリヴィエルも幼い顔立ちではあるだろうが、それでいてルシエルは俺よりも遥かに年長だと言うのだから、恐れ入る。で、マディエルはというと……。
「はぅぅ〜、ハーヴェン様、試練達成おめでとうございますぅ。心なしか以前にも増して男前、と言いますか〜。今回も是非によろしくお願いいたします〜」
「お、おぅ……」
彼女は彼女で相変わらず、なんとも言えない間延びした雰囲気を纏っている。ちょっとぽっちゃり体型に、ココア色のくせ毛混じりのショートカット。ソバカスだらけの頬の上には、緑色の穏やかな瞳がちょこんと乗っかっている。
「……さて、今回の主な任務は情報収集だ。荒事にするつもりはないが、場合によってはそれなりの戦闘になることも想定して、各員注意してほしい」
傍目には、貴族の友達同士と保護者代わりに使用人が一緒に付いてきた……って感じの風景だろうが。これで潜入作戦とか戦闘準備とか話しているのだから、人は見た目では分からない。
「今回はどうするよ? やっぱり、裏から潜入するのか?」
「いや、今の私達であれば外観は人間とさほど変わらない。情報取集を主とするのならば、対象の人間達を眠らせてしまっては意味がないだろう。今回は礼拝に来たとか言いつつ、正面から入ろう」
なるほどな。エルノアもいないし、こっそり入る必要もないか。
「あ。それなら、もっといい口実があるけど」
「ん?」
「実はさ、アーチェッタでは若い男女を対象に、聖水の瓶詰め要員を募集中らしい」
「……聖水の瓶詰め? なんだ、それ?」
「うん、いかにも怪しいだろ? この間、タルルトでそんな張り紙を見かけてな。なんでも、4時間で銀貨1枚の報酬なんだと」
俺の提案に、急に変な顔をするお嬢さん方3名。……ん? 俺、何か引っかかるようなこと、言ったか?
「あの……銀貨1枚って、すごいんでしょうか?」
俺がちょっと不安になっていると……不安の上空を綺麗に通り越した、意味不明なお言葉が飛んでくる。しっかり者だと思っていたリヴィエルの口から、そんな質問が出るなんて……。
「そう言えば、以前に買い物をした時も適当に用意したが……。具体的に銀貨1枚って、どのくらいの価値なんだ?」
何かに居た堪れない気分になっている俺を他所に、買い物経験者のはずのルシエルまで、事もなげにおっしゃる。この様子だと……3名様とも銀貨1枚の威力が如何様なものなのか、把握できてないご様子。マディエルに至っては、ペンを片手に首を傾げたまま、思考が止まっているらしい。
天使の金銭感覚について、疑問に思ったことがあったが……なるほど。金銭感覚がどうの以前に、彼女達は金を使うということが、分かっていないだけなんだな。そういう事であるならば! ここは引率のお兄さんが現代人間界のお金について、丁寧に教えて進ぜましょう。
「いいか? 銀貨1枚というのは、大体銅貨100枚に相当します」
「ウンウン」
「で、銅貨1枚で丸パン2個とスープ1杯くらいの食事が食べられます。まぁ、いつもルシエルに作っている食事は……1食あたり、銅貨3枚分くらいだと思ってもらえればいい」
「そうなのか?」
「ルシエル様……ハーヴェン様にお食事を作ってもらっているんですか?」
「毎回、とても美味しくいただいてます」
ルシエルの答えに、俄かにどよめく少女2人。あ、そうか。この子達は普段、食事も摂らないのか。
「えっと……続けるぞ。つまり、だ。銀貨1枚というのは、最低限の食事100食分になります」
「ウンウン」
「現代の人間は贅沢を言えば大体1日3食、一般的には1日2食の食事をします。つまり、銀貨1枚あれば約50日は贅沢しなければ食事に困ることなく、過ごせます。……たった4時間で、悠に1ヶ月分以上の食い扶持を稼げるんだ。銀貨1枚がどれだけ破格なのか、お判りいただけたかな?」
「おぉ〜‼︎ 確かに、それはすごいですね!」
ここまで説明して、ようやく銀貨1枚の威力を把握したらしい。ついでに……ルシエルが用意したいつぞやの金額の破格さも、知っておいてもらうとするか。人間界で情報収拾するって時に、そういう部分に無頓着なのではボロが出かねない。
「で、ルシエル。お前が俺に適当に使えと、寄越した金額だがな、白銀貨25枚は、さっきの並み水準の食事を1日2食計算でいくと……約1700年分以上の食事に該当する。……家族4人くらいで一生遊んでも、お釣りがくるくらいの金額だから」
「そ、そうなのか?」
「因みに、お前が着ているブラウスだが。それは銅貨15枚程度。銀貨1枚で、約6枚くらいのブラウスが買えるぞ。覚えとけ〜」
「そ、そうか……銀貨1枚はこれが6枚分なんだな」
「ということは、ルシエル様……そのブラウス、ハーヴェン様に買ってもらったんですか?」
「あ、あぁ……そうだけど……」
首元についている花のコサージュを抓りながら、ルシエルが無駄にモジモジして答えるが。任務前なのに、妙な流れだな。何だか、緊張感が抜けたっていうか……。
「あぅぅ〜! ズルイです、ルシエル様〜。お食事も作ってもらえて、しかもお洋服まで見立ててもらって〜。私もやっぱり素敵な旦那さんが欲しいです〜」
「……心なしか、私も旦那様が欲しくなってしまいました」
「ハーヴェンは私のだから! そこ、譲るつもりないから‼︎」
なんだろう、このまとまりのない感じ。……しかも、ルシエルのお口からそんなお言葉が出るなんて。これはこれで、予想外だ。
「……お嬢さん方。とにかく……今回は、そのお仕事を口実に潜入でオーケー?」
「の、望むところです! 一生懸命働いて、お給金ゲットします!」
妙に鼻息の荒い少女3人の様子に、不安なのは俺だけなんだろうか……。ピントのズレ具合に、別の部分で心配なんだが……。
「いや、目的はそっちじゃないから……つーか、ルシエルはそれこそ、あの金額をどうやって用意したんだよ。いつも用意してくる食材って、どっかで買ってきているんじゃなかったのか? お前が持ち帰ってくる食材は揃いも揃って、高級なものだったと思うけど。何気なくお願いしたバターでさえ、最高級品だったし……」
「あれか? あれは神界で、任務の報酬として支給されるチケットを交換したものだ。あの買い物の時はチケットを500枚交換して……その半分をお前に渡した。それで、いつもの食材はチケット1枚すら使っていないから、そんなに負担になっていないし……気にしなくていいぞ?」
「そうだったの⁉︎ って、言うか……なに、そのチケット⁉︎ 俺が受け取った金額が半分ってことは、それ10枚で白銀貨1枚ってことだよな⁉︎ 白銀貨1枚って、銀貨500枚分なんだけど⁉︎」
「そうなのか? まさか、チケット500枚でそんな金額になるなんて、思いもしなかったんだが……。1日の報告書で大体、5枚分のチケットが支給されて。そのチケット……と言っても、実体すらないんだけども……これは希望のものを具現化するいわば、魔法道具みたいなものなんだ。天使はチケットを使って昇進したり、任務に必要な部材を調達したりする仕組みになっていて……」
天使の金銭感覚がおかしい以前に、彼女達がいかに高給取りなのかが、よく分かった。1日の任務でチケットとやらが5枚。つまり彼女の1日のお給金は、金貨5枚ほどの支給額ということだ。冗談抜きで遊んで暮らせるぞ、それ。
それにしても、そのシステムであれば……なるほどな。以前から引っかかっていた俺の疑念が1つ、解けた気がする。
「あぁ、それでか……」
「……何がだ?」
「それだと、天使の強さは階級には比例しないかもってことだろう? いや、前から疑問だったんだよな。ルシエルは強い割には、下級天使だったりしたし。そうか……そういうことだったんだな」
「……今は中級なんだけど」
「いや、ごめん。貶すつもりはなかったんだが。俺は別にそこは気にするつもりはないし、可愛い嫁さんがどの階級でも関係ないんだけど」
「そ、そうか……なら、別にいいかな……」
そう言って、今度は更に赤くなってモジモジするルシエル。その姿を見られただけでも、俺……今回も頑張れそうな気がするぞ。




