17−16 何かと気苦労が絶えない
「……ふむ、確かに吟味するべき内容だな、それは。貴重な情報に感謝すると、コーデリアにも伝えておいてくれ。しかし、あのコーデリアにそんな過去があったとはなぁ……」
問題の魔法が使われた場面がコーデリアの過去にガッツリと絡まっている以上、ある程度のあらましを説明せざるを得なくなってしまい、リッテルはやはり相談しなければ良かったかと後悔し始めていた。何せ、彼女の昔話は辛い記憶そのもの……故郷と子供とを奪われた失意の記録でしかない。いくら相手は天使長と信頼の置ける上級天使とは言え、軽々しくお喋りして良い話題でもないだろう。
「あの……ルシフェル様。その……。今のお話ですけど……」
「分かっておるよ。話の内容的に、気安く共有していいものではなかろうて。ザフィールも他言無用で頼む。良いな?」
「承知しました。まぁ……正直に申せば、コーデリアさんに興味津々になっちゃいましたけど。内緒にするくらいはできますわ」
やや危ういことを言いつつも、ザフィールも話自体はきちんと秘密にしておいてくれそうだ。しかし、一方でその「貴重な情報」の内容があまり良いものではなかったのだろう。ルシフェルが尚も難しい顔をしながら、嘆息する。
「……リッテルは今日の告知内容にはもう、目を通したか?」
「まだ全ては読み切っていませんが……。もしかしたらウリエル様だけではなく、ミカエル様もあちらで活動されているかもしれないという事までは把握しております」
渦中のローレライがなくなったのも、驚愕の事実ではあるが。しかし、その「誘拐」に始まりの天使が関わっているとなると、神界としてはこれ以上ない程に由々しき事態である。本来は世界に安寧と平和をもたらすはずの天使が、世界に破滅と混沌とを振り撒いているかもしれない時点で、インパクトもシチュエーションも相当に最悪だ。
「……だが、な。私はクージェの魔法の主はミカエルではないだろうと踏んでいる」
「おや、そうなのですか? それまた、どうして?」
「例の魔法道具の素材の提供元である以上、ミカエルは間違いなくローレライの消失には関わってはいるだろう。しかし……バンリに光の束を降らせたのは、あいつではなさそうに思える。ミカエルにはアポカリプスは使えこそすれ……ライチとやらを異国の地に根付かせた挙句に、短期間で実らせるなんて芸当は絶対にできん。バンリを滅した者と、ライチを実らせた者が別にいる可能性もあるが……。いずれにしても、クージェの裏には他の者が巣食っていると考えておいた方が良さそうだな」
やれやれ。私は随分と重要な事を見落とし続けてきたらしい。
自責のセリフを吐きつつ、ルシフェルは尚も嘆息せずにはいられない。そうして、深いため息と一緒に彼女なりの推測を語り始める。
「……それで、だ。そのアポカリプスだが。始まりの天使とマナの女神以外にも使い手が存在し得るのも事実だ。しかし……実際に存在するかどうかは怪しい上に、生産的な内容でもなくてな。例外と言うよりは、ほぼほぼ現実味がないと言った方が正しいかもしれん」
使い手が他にもいる可能性を肯定はしつつも、妙な調子で実現については否定するルシフェル。何かと気苦労が絶えない天使長によれば、マナツリーの実から芽吹いた5本の霊樹は親木と同じ魔力構造を持つが故に、彼女らの使者もそれに準ずる魔法能力を持つことは一応、可能なのだそうだ。
「しかし……そこまでの魔法能力を持つ使者を作るには、霊樹自体にも相当の負担がかかる。確かに、霊樹が本領を発揮するには使者とその魔力を支える対象者との交信がある程度必要だが、別に使者自体は必須ではないし、彼女らを強く作る必要もない。化石女神のように化身クラスまで作り込まれていれば、それなりの魔法能力を有してもいるだろうが……アポカリプスは最上位魔法でもあるのでな。多少作り込まれただけの使者には到底、使いこなせる魔法ではない」
アポカリプスの魔力消費は、リザレクションやリンカネートのような「あからさまな奇跡」を再現する魔法に比較すれば、遥かに少ない。しかし、それでも四大属性の最上位魔法よりは大量の魔力が必要になるし、そこまでの魔法を使者が使えるようにしておく理由もない……と言うのが、詰まるところの本音だろう。だからこそ、ルシフェルはアポカリプスの例外に関して「現実味がない」と考えている。しかし逆に言えば、ルシフェルも作り込まれた霊樹の化身であればアポカリプスを行使可能であると認めているということであり、もう1つの奇跡の存在を考えると、それに準ずる存在がいてもおかしくないという結論になるようだ。
「……アポカリプスが使われただけなら、こんなにも悩まぬのだがな。植物を思いのままに急成長させる能力は、天使の能力というよりは霊樹……延いては使者の能力に依るものだろう。しかも、異国の植物を土壌の状態や気候を無視して実らせたのだから、そいつは相当の使い手だと推測できる」
「しかし……今のお話ですと、そこまで使者を作り込む必要はないのですよね? それなのに、2000年以上も前のクージェにそんな奴がいたとなると……」
「……非常に嫌な予想でしかないが。立地的な観点から見ても、おそらくその使者はローレライのものに違いない。そして……ローレライはその時点から例の女神の魂を抑えるどころか、逆に取り込まれ始めていたのかもしれん」
霊樹側の都合を考えれば、使者をそこまで作り込む選択肢はまずまず、ないだろう。何せ霊樹の使者はそもそも、各精霊王に意思を伝えることはできても、言葉を発することができない霊樹を補助するために作られるのであって、存在自体が負担になるのであれば意味がない。しかし、その使者が作られた目的が交信等という生易しい理由でなかったのなら、話は別だ。
「……ルシフェル様。もしかして……ローレライの使者は女神様に利用されていた……ということでしょうか?」
「おそらく、な。ルシエルの報告では、クシヒメの魂は善意と悪意とに分かれていて、それぞれドラグニールとローレライを頼った事になっているが……。しかし、それはあくまでドラグニールからの情報であり、ローレライ側の事情を正確に伝えるものではない。ローレライは“頼られていた”のではなく、“利用されていた”……とする方が正しいかもしれん」
そう、使者を作り出す理由が交信ではなく、女神の活動そのものであるのなら。そして、その活動内容に復讐の下準備という目的が含まれていたのなら。使者を最上位の化身クラスまでに作り込むという「現実味のない選択」が一気に「必須事項」までに上り詰める。クシヒメの復讐を達成するには、何よりも力は必須。本能レベルでマナへの恨みを抱えた彼女の悪意であれば、マナの息がかかった霊樹を犠牲することも厭わず……まずは手始めとばかりに、躊躇もなくやってのけるだろう。
「……まだ向こう側の手の内は分からんが。今回のことで悪魔の記憶……特に追憶越えした者の記憶……に、重要な手がかりが潜んでいることも分かった気がするな。それはそうと……リッテル」
「は、はい!」
「魔界で追憶越えの悪魔は今、何人いるか知っているか? 私が知る限りでは、オリエントデヴィルのコーデリアとアドラメレクのヤーティ、それと……若造の3人だったと記憶しているが」
「えっと……ついこの間、アーニャさんも追憶越えを達成したとお伺いしました。ですので、正しくは追憶越えの悪魔さんは4人に増えていたかと……」
「そうそう。そのアーニャですけど。彼女、何だかんだで面倒見もいい上に、真面目なものですから。律儀に孤児院に戻ってきてくれましたよ」
「ほぅ。そうだったのか。だったら……ふむ。であれば、ザフィール」
「えぇ、分かっておりますわ。……可能であれば、アーニャに彼女の生きた時代の出来事を聞いてみます。ですけど……」
「無論、無理強いはせんでいい。……特にアーニャの場合はリリスであることを考えても、死に際に相当の苦痛があったことも考えられる。確か……リリスは捨てきれぬ愛に身を焦がして生まれてくる悪魔、だったな。相手を殺してまで、残さねばなぬ程の愛……か。なんだろうな。……我らは本当に、知らねばならぬ事を悉く知らずにきてしまった気がする。愛もそうだが……人間界の歴史に出来事。そして、そこに生きる者の感情に暮らし。その全てにおいて……ここまで鈍感でいられたのは、つくづく傲慢というものなのだろう。フン。……こんなザマではまた、マナツリーに叱られてしまいそうだ」
今日はご苦労だった……と、最後に労いの言葉を頂きながら、天使長室を後にするものの。自分のお喋りは果たして、正しい行いだったのだろうかとリッテルはちょっぴり悩んでしまう。もちろん、コーデリアに申し訳ない気分もあるし、きっとマモンもあまりいい顔をしないだろう。しかし、それ以上に……自分が持ち込んだ話題が天使長の頭を悩ませている事が何よりも気がかりだ。
(……お話できるのはいい事だけど……。やっぱり、気軽なのも考えものかしら……)
垣根が低くなった分、集まる情報量も増えている。そして、その全てを掌握する立場である以上、彼女の悩みの種がハイペースで増産しているのも、また事実。そんな事に気づいては……天使長の気苦労についても、ルシエルに相談しようとリッテルは考えていた。かつては恋のライバル、今では頼りになる直属の上司。こういう時こそ、気軽に話をできるようになった相手を頼らないのは、あまりに勿体ない。




