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天使と悪魔の日常譚  作者: ウバ クロネ
【第17章】機械仕掛けの鋼鉄要塞
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17−14 緊急事態の香り

(ここに来るのも久しぶりだな……)


 それこそ、別邸に移るまでは自分の住処でもあったはずなのに。どうも……懐かしいという感情や、帰ってきたという実感が湧かない。そんな妙に「他所のお屋敷」となりつつあるブルーエリアに聳えるルルシアナの大邸宅を見上げては、ジャーノンはぼんやりとそんな事を考えていた。

 自身の手を離れたとは言え、アズル会の状況はドン・ホーテンにとって、どうしても気になる「最大関心事」である。本当は自分で確認できればいいのだがと、ご本人様もおっしゃてはいるが……残念なことに、ホーテンは足があまりよろしくない。であれば、馬車を使えばいいと提案しても……そんな事でわざわざ金を使うなと、逆にお叱りを受ける始末だった。


(だから、こうして私が代わりに様子を見にきているのだけど……なんだろうな。少し、雰囲気が変わったというか……)


 家主が変われば、屋敷内の空気が変わるのも当然と、半ば強引に割り切りもするが。一方で、ナーシャで暮らしている「知り合い」からの近況報告もあり、オトメキンモクセイの取引は楽観視できなさそうだとジャーノンは気を揉んでいた。

 カーヴェラを含む、ルクレス地方はそろそろ雪解けの時期ではあるが、ロマネラの大山脈に飲み込まれたナーシャの雪解けはまだまだ先。通年通りで行けば、短く見積もってもあと1ヶ月はかかるだろう。寒さに強いオトメキンモクセイが雪に負けることは、まずまずないだろうが。しかし、その「財源」が位置するリルグの様子はナーシャの中でも時折噂に登る程に、異様な様相を呈しているらしい。冬籠りの間でも手紙だけは寄越す「知り合い」がそんな事を折角、知らせてくれたのだ。であれば……。


(まずは、ビルにオトメの取引は順調かを確認した方がいいだろうな)


 リルグの実地確認は雪解けを待たない限り、非現実的だ。確かに列車自体はリルグにも停まりはするが、雪に埋もれたリルグの住人達に「余所者」を歓待する余裕はない。そのため、この時期の列車が乗客をリルグへ運ぶことはほぼほぼなく……専ら貨物輸送のために走っていると言っていいだろう。


「邪魔するぞ。誰か、ビルを呼んで来て欲しいのだが」

「ようこそ、お越しくださいました。ビル様は今、大切なお取り引き中でございます。……しばらくお待ちいただいてもよろしいでしょうか?」

「あ、あぁ……」


 どこかよそよそしい様子でジャーノンを迎え入れた女中は、初顔の若い娘だったが。抑揚のない表情の彼女によれば、今まさに「大切な取引」が行われているとかで、リンドヘイム聖教の担当者がお見えになっているらしい。


「そうか。であれば、私も先方のご担当に“ご挨拶”をしておいた方がいいだろうし……少し待たせてもらおうかな」

(しかし……メイドはほとんど残していったのに……。ビルの奴、新しい女中を雇うなんて。そんなに人手が足りないのか?)


 グルグルと顎に手をやり悩んでいると、まずまず標準的な対応でお掛けくださいと……とりあえずはソファを勧めてくれる女中。ジャーノンもそれもそうかと彼女の提案に従うと、ソファに腰を下ろしては足を組む。こうしてエントランスで待っていれば、リンドヘイム聖教の担当者と顔を合わせることはできるだろう。であれば、無駄に立って悩んでいるよりは、座って待っていた方が何かと都合もいい。


(ん……? あれは……神父、様……?)


 しばらくジャーノンが何気なく置かれていた新聞を読み漁りつつ、大人しく待っていると。ビルに恭しく伴われてエントランスにやってきたのはあろうことか、彼としても見慣れているはずの老神父。しかし、普段の黒衣の神父とは対照的に、今まさにジャーノンの目の前を通過しようとしている神父は眩しいまでの純白のローブを纏っていた。


(ふむ……? 瓜二つだが……違うか? 確か、神父様は……)


 右手の人差し指に義指をしていたはず。それなのに、白衣の彼は両手とも指がしっかりと5本揃っていそうに見える。だとすると……ジャーノンがよく知る神父とは別人だと考えた方が、間違いもないだろうか。


(彼は孤児院の神父様……ではなさそうだな。う〜ん、と……ここは迷っているよりも、話しかけてしまった方が早いか)

「もしかして……あなた様がリンドヘイム聖教のご担当者様でいらっしゃいますか?」

「えぇ、そうですが。えぇと……あなた様は……」

「失礼。私はアルス・ジャーノンと申しまして。よろしければ、お名前をお伺いしても?」

「もちろん、いいですよ、ジャーノンさん。私はコランド・プランシーと申します。今日は教皇様の代理で、こちらに参りまして……いや、なかなかにカーヴェラは賑やかな街ですな」

「あぁ、プランシー様ですね。そうでしょう、そうでしょう。何せ、カーヴェラは……」

「それ以上は迷惑だ。大体……部外者が何の用ぞ? プランシーに気安く話しかけるでない!」

「はっ? 私が……部外者?」


 持ち前の機微と大胆さとを発揮して、ジャーノンは努めてにこやかに神父と思しき老人に声を掛けるが……しかして、最初に彼の挨拶に反応した神父の対応よりも、ビルの対応が不自然極まりない事にいよいよ困惑するジャーノン。あれ程までに互いに見慣れた顔ぶれだったと言うのに、あろう事か……ビルがジャーノンを「部外者」呼ばわりとは。しかも……妙に、言葉遣いがおかしいような?


「……ビル、一体……どうしたんだ? 私はただ、ドンの代わりにこちらの様子を見に来ただけなのだが……」

「ドン? ふぅむ……?」


 ジャーノンを覚えていないのも、大概だが。まさか……ビルはドン・ホーテンさえも忘れているのだろうか?

 そうして、いよいよ緊急事態の香りを余すことなく嗅ぎ取るジャーノン。目の前の相手は既に自分の知る相手ではないのだと……研ぎ澄まされた感覚が、根拠はないけれども確実に悪化している現実に震え始めている。そして、表面ではしっかりと平静を保ちながら。ビルの手に見たことがあるような、ないような……どこか風変わりな得物が握られているのに、ジャーノンはしっかりと気づいては焦っていた。


(この感じは、グリード様がお持ちだった物に似ているような……?)


 紫色の長い鞘に、独特な様相の組紐に覆われた柄。グリードが持っていた方は青い鞘で、ビルのそれよりもやや短めだった気もするが……鞘の特徴的な風貌といい、全体的にシャープな雰囲気といい。趣は殆ど同じだったと、ジャーノンは改めて紫色の鞘を見つめていた。そしてその鞘の内からこそ、只ならぬプレッシャーをも感じては……尚も神経をヒリつかせる。


(非常に嫌な予想でしかないが……。グリード様は「実は悪魔」で、きっと……彼の武器も魔界で調達した魔法道具に違いない。だとすると……)


 ビルの手元にあるのも魔法道具、という事になるか。しかし、グリードがこちら側とも取引をしているようには思えないし……何より、彼はオトメキンモクセイを「観賞用」として所望する程度には平穏な相手である。もちろん、それが方便ないし嘘の可能性もあるだろう。それでも……ジャーノンにはグリードが軽々しく相手を騙すような卑怯者には思えなかった。


「あぁ、思い出した。ジャーノン……ドン・ホーテンの右腕で、隠居に併せて出て行かれていましたな。失敬、失敬。歳をとると……物忘れが酷くて宜しくない」

「物忘れどころではないと思うぞ、それは。……お前、ビルじゃないな?」

「ふぅむ。……中々に人間になり切るのは難儀ぞ。こうもアッサリと見抜かれてしまうとは。まぁ、良い……ヨフィ。こいつは少々、都合の悪いネズミのようだ。捕まえておけ」

「……かしこまりました」


 ただの女中だと思っていた娘の手には、可憐な見た目に似つかわしくない、重々しい鎖鞭。それは明らかにネズミを捕まえるだけの生易しい得物ではなかろうと、咄嗟に判断しては……ジャーノンは迷う間もなく、使い慣れた拳銃ではなく隠し球を発砲する。


「キャッ⁉︎ この炎は……まさか、魔法⁉︎」

「慌てるでない、これは魔法ではないぞ。ほぉ……それにしても、お主も中々に素晴らしい武器を持っているようだな?」


 ジャーノンの咄嗟の機転さえも嘲笑うかのように、ビルが手慣れたように手に携えていた武器を抜くと、瞬時に放たれた炎を切り裂いて見せる。しかし、全てを防ぎきれていないのを見るに……最悪の状況はまだ避けられるかも知れない。


「お褒め頂き、光栄ですね。こちらはとある大商人から譲っていただいた逸品でして。使うのは初めてですが……なるほど。彼が言っていた通り……威力は申し分なさそうですねッ!」

「……⁉︎」


 グリードは悪魔であっても、幸いな事に誠実な商人だったらしい。ジャーノンの手にある魔法道具は確かに、彼の言葉に寸分違わず「建造物を廃墟にするくらいの威力」は備えている。これであれば……少しの猶予くらいはもたらしてくれそうだ。

 一方で……魔法を知っている者からすれば、詠唱なしで魔法と思しき攻撃が飛んでくるなんて、想定すらしていない。そうして、ジャーノンが畳みかけるようにアイスドロップを唸らせれば。瞬時に広がる冷酷な氷にその場を塞がれて、ビルは尚も驚きと好奇心を隠せないようだった。


(ここは退却した方がいいだろうな……。今のビルは、私が単身で刃向かえる相手ではなさそうだ)


 野生的な警戒心と判断力。そして……幾度となく修羅場を潜り抜け、生き延びるうちに染み付いた勘。その全てをフル稼働させては、ジャーノンは逃げの一手を選択する。

 きっと、彼らはこちらの手の内を見誤ったのだ。魔法というテクノロジーの前では、人間は限りなく無力な存在でしかない。そして、その現実は現役の魔術師に確かな慢心をもたらす。魔法を使えない下等生物は、どこまでも取るに足らぬ……と。だからこそ、人間だと誤解していた窮鼠の奇襲に、彼らは反応しきれなかったのだ。

 そうして、生まれた僅かな隙を最大限に活用して……全力疾走の敵前逃亡を決め込むジャーノン。そんな英断の敗走の中で……ルルシアナ家が相当な緊急事態に陥っていることを報告せねばと、尚も神経を焦がさずにはいられないのだった。

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