3−2 景気のいい話?
今日はとにかく、家の掃除と食材を揃えないと。昨晩はあのまま眠ってしまったし、食材リストも用意していなかった。今晩の夕食は彼女と俺の2人分、最低限の食材をタルルトで仕入れてくるか。なにせ……かのプリンセスがご所望のデザートを用意できるほどの食材は、タルルトでは手に入らないだろうし……。子供達を迎えに行くのは、ルシエルが食材を持ち帰ってくれるようになってからでも、遅くはないだろう。
聞けば、ベルゼブブがコンタローをルシエルに預けていたそうだが、ルシエル本人があの状態だったのもあって……子供達と一緒に、コンタローもゲルニカの屋敷でご厄介になっているらしい。つくづく、ゲルニカには世話になりっ放しな気がする。仮にも、ゲルニカだからすんなり快諾してくれたんだろうが……竜神様相手に、それはそれでどうなんだろう。
「……まぁ、こんなもんかな?」
床を磨き上げ、各部屋のシーツを干したところで空を見上げる。昨晩の大雨が嘘のように晴れ上がった空は、見ているだけで気分がいい。
「さて。とりあえず、着替えてタルルトに行くか……」
孤児達がいなくなってから、一度もタルルトへは行っていなかった。そのため最近の様子はあまり分からないが、小さな町でもそれなりに人は住んでいるし……チーズと卵、ちょっとした野菜くらいは手に入るだろう。そんな事を考えながら、相変わらず退屈そうな面持ちの門番に声をかけると……向こうも俺の顔を見慣れたとでも言うように、軽く世間話をしてくれる。
「よぅ、久しぶり!」
「おぉ、あんたか。久しぶりだな。孤児院は既に畳まれているけど、何の用だい?」
「ちょっと食料の調達に。最近家を空けてたから、食い物が何もなくてな」
「ふ〜ん? そう言や、あんたって、どの辺に住んでいるんだ?」
「ま、この町の壁の外であることは間違いないんだが。ここから……そうだな、1キロくらいの距離かな?」
「そうなんだ。よくもまぁ、そんなところに住んでて、平気だな?」
「まぁ、家にさえ籠っていれば平気だし。で、町に入って平気かな?」
「あぁ、構わんよ。お前さんなら、悪さはしないだろうし。いつも通りで申し訳ないけど、夕方までには用事を済ませておくれよ」
「おぅ、分かっている」
そんなやりとりをして、町の市場兼・大通りを物色しながら歩く。品揃えはカーヴェラに比べれば貧相だが、今は贅沢を言える状態でもないし、仕方ないか。
「おばちゃん、チーズもらえる?」
「あいよ。どのくらい、ご入用かね?」
「う〜ん、そうだな。とりあえず、そこの真ん中の塊はいくら?」
「こいつだと……そうさね、銅貨2枚ってとこだけど、どうする?」
「あ、そいつでいいや。ほい、これ代金な」
「毎度あり」
そんなことを言いながら店を回り、卵とチーズを無事調達。ついでにジャガイモと玉ねぎ、それとトマトも買い込む。米と小麦、それと調味料はまだ残っていたし、これだけあれば……リゾットとスープくらいは作れそうだ。あとは……。
「あ、おじちゃん。豚肉のブロックもらえる?」
「おぅ、いらっしゃい。こいつは銅貨3枚だぜ」
「あ、うん。その金額で大丈夫そうかな。へぇ……結構、いい肉じゃないか。この町の市場にしては……って言うと、失礼かもだけど。かなりの上物じゃない?」
「おっ。兄ちゃん、お目が高いねぇ。実は、さ。最近、ローヴェルズから景気のいい話が舞い込んでいてね。このタルルトも景気が上向いているんだよ。で、今までは手に入らなかったような食材も並ぶようになったんだ」
「ほぉ〜。そうなんだ」
そんなやりとりをしながら、代金と引き換えにブッチャーペーパーに包まれた肉塊を受け取る。これはスープ用のパンチェッタに仕込んでおこう。それにしても……ローウェルズから景気のいい話が舞い込んでいる? 確か、タルルトを含むルクレスはローウェルズの傘下だったっけか。でも……ローヴェルズはクージェとやらと戦争になりそう、だったんだよな? それなのに……景気のいい話?
ぼんやりと首を傾げながら歩いていると、いつの間にか町の中央広場に出てしまっていた。ここで大通りは一旦行き止まりだから、進んでも無駄だ。ま、今日の分くらいは必要なものも揃ったし、帰るとするか。
……しかし、踵を返そうとした俺の耳に、何やら高揚した声が響いてくる。
「また、賃上げされたぞ! これはもう、行くしかないだろう!」
「ん……? 何だ、何だ?」
騒ぎの内容を確かめるように、声がする方を泳ぎ見れば。いつもは寂れたタルルトの広場にしては、珍しい人だかりができている。
賃上げ? 一体、何のことだ?
「な、兄さん。これ……何の集まりだ?」
興味本位で輪の外に加わって、話しかけやすそうな住人に声をかけてみると……やや興奮気味の面持ちで、男が気さくに騒ぎの理由を教えてくれる。
「知らないのか? 今さ、ローヴェルズから求人の張り紙が出ているんだよ。簡単な仕事の割には、給金もよくて。実際……仕事から帰って来た奴も沢山いるんだけど、結構、稼いできててさ。たまにこうして募集の張り紙が出されるから、目が離せないんだよ」
「ふ〜ん?」
そう言われて、張り出されている募集要項とやらの張り紙を確認する。えぇと、どれどれ……?
勤務地:ローヴェルズ地方 アーチェッタ リンドヘイム聖教大聖堂
仕事内容:聖水の瓶詰め作業、封留め、ラッピング
応募資格:若い男女
拘束時間:4時間
賃金:最低でも銀貨1枚、仕事量によっては追加支給あり
確かに随分条件のいい内容だろうし、たった4時間で銀貨1枚というのは……どう考えても、破格だ。しかし、勤務地と仕事内容に何か引っかかるものがある。
アーチェッタで……聖水の瓶詰め? 大体、聖水って何だ? ……もの凄く、嫌な予感がする。
張り紙の内容に頭を捻りながら、タルルトの町を出て……人気がいないことを確認した上で、翼を出して家まで帰る。
アーチェッタはかつての俺にとっても、そして、今の俺にとってもいい印象のある場所じゃない。
昔は天使に生贄を捧げていたステージを、精霊を作るための手術台に作り変え……今も昔も色んな人間を欺いて、良からぬことをしていそうな気がしてならない。
そう言えば……ルシエルにあの天使のことをまだ話していなかった。前にオルトロスを追い払ったあたりを通過しながら、あの日のことを思い出す。小物臭を無駄に押し出していたが、間違いない。あいつはきっとあの時、アヴィエルの親衛隊とかいう間抜けな役を演じていただけだったんだ。ノクエル……ハールだった俺の目の前に神々しく降臨した、四翼の天使。ルシエルは彼女を知っているだろうか?