16−19 放っておけぬ相手
「驚かせてしまって申し訳ございません、ルシエル様。ドラグニール様のお怒りには……少し、複雑な事情があるようでして。どうやら、遥か昔……それこそ、ドラグニールがまだまだ若木だった頃でしょうか。この世界を追放された女神の魂はマナの女神によって放逐と同時に、砕かれてしまっていたのです」
それでも……と、竜女帝が懇々と話を続けてくれるところによると。魂を砕かれても、クシヒメは1つの懸念事項を抱えていたが故に、一思いに消滅すらできなかったらしい。そうして、彼女は不完全な状態であろうとも……責任を果たすための時間を得るために、ドラグニールを頼ったのだそうだ。
「……まさか、こんな事を天使如きに白状する日が来るなんて……思いもしませんでしたが。ここは……ドラグニールを失望させた以上、しっかりと言い訳をしなければなりませんか」
使者の激昂ぶりに怯えていたかと思えば、しばらくして力なく息を吐きつつ……今度は竜女帝ではなく、覚悟をしたらしいピキ様がポツリポツリと「弁明」をし始める。それにしても……やっぱり私に対しての疎外感は今ひとつ、拭えないか。
「もしかしたら、ご存知かも知れませんが……かつての私は、ヨルムンガルド様の前身でもある龍神様を諌めるための巫女でした。そうして、私が抑え込んでいたはずの8つの頭を持つその龍神様は傲慢でありながらも、寂しがり屋で、ほとほと手の焼ける荒くれ者で。……なかなかに、放っておけぬ相手だったのです」
少しだけ寂しそうに……それでいて、どこかうっとりとして。複雑な声色で、震える言葉を吐き出すピキ様だったが。その話によれば、そんな龍神はあまりに強大すぎる力と特性を持つが故に、恐れられると同時に忌み嫌われ……陽の国と呼ばれていた太古の大地から追放されてしまったのだという。
「……龍神様は最も古い神の1人であり、数多の不浄を喰らう性質を持っておりました。8つの頭はそれぞれ、《憂鬱》《虚飾》《羨望》《怠惰》《暴食》《憤怒》《色欲》《強欲》……人の身に余る不浄を取り込んでは、消化していたのですが……。彼の地を追放された際には、最も力を蓄えていた《強欲》を土台にし、他の領分を取り込んだ状態でゴラニアの地に落ち延びて……」
その先は何となく、私も知っている。
彼が命からがら逃げ延びたゴラニアには、マナの女神という支配者が既に存在していた。しかし、彼女の美しさは他所者の龍神が「得てしがな」と思う程に鮮烈なものだったらしい。そうして惚れっぽい上に浮気性なヨルムンガルドは女神の愛を得るために、理性の姿を持つに至った……というのが、マモン流に言うところの「汚いラブストーリー」のあらましだったかと思う。
しかし……あの化石女神に、そんな魅力は微塵もないように思えるのだが。まぁ、あれはあれで不完全な状態のようだし、彼女の魅力云々は忘れておこう。
「陽の国の英雄は何も、龍神様を純粋に討伐するために剣を振るっていたのではありません。私と私が従える巫女そのものを欲してもいたのです。酒呑、月読に黒風、輝夜に望月……彼女達はそれぞれに、非常に愛らしい姿をしておりました。女神だけではなく、そんな姫巫女を5人も侍らせていれば……嫉妬されぬ方が不自然というもの。そうして、龍神様は彼らの思惑通りに動かなかった私達が必要以上の辱めを受けぬようにと……一緒に逃げ落ちることを選んで下さったのです」
巫女達はそれぞれに強気で、性格には難がありますけれど……と、少し苦笑いするピキ様だが。それに関しては、よく分かる気がする。是光ちゃんはリッテル以外に対してはとにかくツンケンしているし、十六夜丸は……うん。この場で詳細を思い浮かべるのは、本当にやめておこう。彼のご趣味はいつ如何なる時でも、神経を巡らせるべき内容ではない。
「……ふふ、本当に自意識過剰な自分が嫌いになってしまいそうですが。かの陽の国で弱きはずの女神を一思いに殺して、力も解放せずに……我らと逃げる事を選んだのは、龍神様は私こそを愛して下さっていたからなのだと、勘違いしてもいました。本当は目の上のたん瘤でもあったはずの私を殺めさえすれば、人の英雄なぞ、降すのも容易かったはずなのに……」
そうして逃げ延びた地で2人で見上げた空はとても綺麗で、青くて。自分のために彼が捨てた故郷の空よりも、遥かに澄んで美しくありながら……どこまでも冷たかった。そうして、ホロリと小さな小さな涙を流しながら……ピキ様がドラグニールの使者相手に最大の言い訳を繕う。
「私達のために多くを失い、代償にこの地の全てを喰らい尽くすという龍神様の悲しい決意がもし……この世界の多くを奪う事になるのなら。元凶となった私こそが、この世界の最大の悪となるのでしょう。そして、実際に私の彷徨う魂が見定めたのは……彼が溜め込んだ悪しき感情を存分に振りまいて、この世界を汚していくお姿だったのです」
「それを厭うたお前は、大主様……ドラグニールに魂を預けることで、復活の時を待つ事にした。そうして、お前は大主様を借宿にしながら、意義を拾い直していたと思っていたが。……フン、やはり個人的な恨みは忘れられんか。まぁ、私も天使はどうしても好かぬが。しかし、お前の場合はその妄執こそを捨てねばならぬだろうに。その醜い感情のせいで……大部分は向こう側に持って行かれたようだな?」
私の右肩で小刻みに震えていた体が、ドラグニールの冷たい声色でビクンと跳ねる。それにしても……向こう側とは、一体……? ドラグニールの遣いは何を言わんとしているのだろう?




