16−18 叛逆の欠片
ゲルニカに連れられて進むは、竜王の座に続く厳かで静まり返った廊下。前回も心配と不安とで気分が重たかったが、今回は気分だけではなく肩も重い。そうして、恐る恐る自分の右肩の方を見やれば……何故か、彼女もこちらを睨みつけるように見つめ返してくる。
……もちろん、天使の失態を許せないのは分かるし、マナの女神が彼女にした事はそうそう容易く許せないのも承知しているつもりだ。だけど……そんなに常々、私を睨まなくてもいいだろう?
「……そう言えば、あなたはルシエルと申すのでしたね」
「えっ? は、はい……そうですが……」
しかし、彼女の仏頂面は機嫌が悪いためのものではないらしい。少しばかり、小さくため息をつくと……睨むのも疲れたとでも言うように、思いがけない提案をしてくる。
「これからは私もあなたをルシエルと呼ぶことにします。……肩肘を張るのも、意外と疲れます」
「……なるほど、その刺々しい態度はわざとだったのですね?」
「心外な。これでも、虚勢を張っていたのですよ? ……今はこの姿ですからね。天使如きに軽んじられるのは甚だ、不服というもの。とは言え……ルシエルはエルノアの契約主でもあるのでしょうし、様子を見ていてもそこまで性悪ではないと判断しました。ですから、あなただけは特別に名前を呼ぶことにします」
「あ、ありがとうございます……?」
そんな虚勢はいらないし、その特別扱いも若干迷惑な気がする。この場合が性悪ではないと、お目溢しを頂けただけ有り難いのかもしれないが。ギスギスした態度が変わらないのであれば、呼ばれ方だけ変えられても意味がない。
「さぁ、着きましたよ。マスター。申し訳ありませんが……改めて、我らの女王の願いを聞いては下さいませんか」
「えぇ、もちろんです。寧ろ、この間の中断はこちら側の都合でしたし……却って、申し訳ありませんでした」
道中で妖精さん(ピキ様と呼んだ方がいい気がする)とヘンテコなやり取りをしているのも束の間、どこまでも続くと思われた廊下をとうとう抜け切ったらしい、ゲルニカがこちらを窺うようにしながら大きな扉の前で待っている。そうして私が了承の返事をすれば、柔らかく微笑んでは謁見の間に招き入れてくれた。
「……女王殿下、マスター・ルシエルをお連れしました。それと……あぁ、ドラグニール様もおいででしたか」
「うむ、バハムートに大天使殿もよくぞ来てくれた。苦しゅうないぞ」
「ご苦労様です、ゲルニカ。それと……ルシエル様、再びお目にかかれて光栄ですわ。大天使様に何度もご足労をいただいてしまいまして、恐縮でございます……」
「いいえ……この間のお話が中途半端になってしまい、大変失礼致しました。それで、ご報告と言ってはなんですが……エルノアを無事、連れ戻すことができまして。この度は私の不注意で多大なるご心配をお掛け致しまして、誠に申し訳ございません……」
まずはエルノアが無事だという事を伝えなければと……私自身の「監督不行き届き」についても誠心誠意、謝罪をしては頭を下げる。元はと言えば、私がエルノアから目を離したのが1番いけなかったのだ。間違いなく、これは私の失態だろう。
「頭を上げてくださいませ、ルシエル様。寧ろ謝らなければならないのは、私達の方です。契約を預けた精霊が勝手な真似をして、契約主に迷惑をかけるなんて以ての外。それでなくても、エルノアはあの子自身の希望であなた様の所に寄せて頂いていたのです。そんな状況で勝手に飛び出したのですから……次からは気をつけるよう、重々注意しなければなりませんね。兎にも角にもあの子を助けて頂き、本当にありがとうございました。そして、状況が許すのであれば、これからもエルノアをお願いしたいのです」
彼女はエルノアの祖母である以前に、竜女帝であり大精霊。意外と厳しいお祖母様のお言葉がやや薄情に思えたが……確かに精霊としての立場を考えた時には、彼女の心意気は至極真っ当なのだろう。
精霊は天使と契約をすることで、真の実力を発揮することができる。その恩恵を受けるに当たって、本来であれば天使側の意向を精霊側が汲むのが一般的な力関係ではあるが……。しかし、今までの天使はその表面上の摂理に甘えて、精霊達を蔑ろにしてきた部分も大いにあったし、それでなくても、つい最近まで各霊樹の状況さえ把握していなかった有様だ。
だから、私としてはエルノアにそんな天使側の過信を押し付けるつもりもないし、そもそも向こうで心細い思いをしただろうあの子にお説教の上乗せは可哀想だと思ったりする。
「竜女帝様。それはそうと……この間のお話の続きを頂いても、よろしいですか?」
「あぁ、そうでしたね。うふふ、すっかり忘れてしまうところでした」
とりあえず、エルノアへのお説教についてはしばらくお忘れいただこうと、本題に水を向けてみれば。朗らかな様子で竜女帝の方も応じてくれる。先日は何やら重々しい様子で「お願いがある」と言っていたが。肝心のお願いを、この間は指輪騒動の茶番で濁してしまったんだよな……。今更ながら、申し訳ない気分で一杯だ。
「……先日、この竜界は人間界に根を下ろす決定をしたと申しました。しかし我らは人間界の大地を忘れてから、あまりに久しかったせいか……このままでは、接地すらできない可能性が高いようでして……」
「そういう事、でしたか……。今の竜界は空間的には人間界と同じ時空軸にあるとは言え、魔力の波長が異なるのですね。この世界を中心に渦巻く雲海の分厚さからしても、魔力濃度に差がありすぎる。このままでは、ドラグニールがユグドラシルを吸収しかねない」
「えぇ……おっしゃる通りですわ」
《霊樹は同じ根を持つものが複数あると、それを淘汰しようと……強い方に力が流れてしまう》
そんな事をルシフェル様も言ってはいたが。今のユグドラシルは燃え滓だけを残した、瀕死の状態なのだ。厳密にはユグドラシルとドラグニールは同一の霊樹ではないのだろうが……両方とも親木はマナツリーであり、根を通して魔力をやりとりしていた経緯がある以上、疎通はゼロとも限らない。しかも、ユグドラシルの方は使者となるべき大元の魂も不在の状況。そんな彼女の大地の上に、強力な魔力を宿したままのドラグニールが根を下ろせば……結果は火を見るより明らかだろう。
「まぁ、こちらも病み上がりではあるのだがな。しかし、他の霊樹の様子を見ていても……大主様の力はやはり抜きん出過ぎている。このままでは、使者もなきユグドラシルを食い殺してしまうだろう。そこで……だ」
「……なるほど。ドラグニールが心置きなく根を下ろせるように、あちら側よりも先にユグドラシルの正当な使者を擁立しなければならない、という事でしょうか。そして……使者をこちら側で用意せよ、と」
「その通りだよ、大天使殿。やはり……ふふ、へなちょこバハムートがマスターとして選んだだけはあるの。話の通りが早くて助かる。のぅ?」
「もちろんです。ルシエル様は私の誇りであり、忠誠を誓うべき唯一無二の主人です。そこに関しては、ドラグニール様が相手でも、譲るつもりはございませんよ。しかし……“へなちょこ”も含めて、今のは褒め言葉と受け取っておけば良いのでしょうか?」
ゲルニカには珍しく、少しだけ自己主張をしたかと思ったら……結局、どこか不安そうな顔でドラグニールのご意向をお伺いし始めた。そう言えば、長老様もゲルニカに関しては「温厚すぎる嫌いがある」なんて言っていたな……。多分、使者殿の軽口は実力如何よりも、この性格を指しての悪ふざけなのだろう。
「良い良い。心配せずとも、私もお前のマスターは信頼しておる。……さて。話が逸れてすまなんだ。えぇと……人間界に根を下ろす話、だったな。もちろん、こちらもある程度手加減はできるし、それでなくてもドラグニールが人間界へ向かっているのは、ユグドラシルを補助するために他ならぬ。しかし……強すぎる薬は時として、毒となり得るのだ。試しに少しだけ、竜界を人間界に近づけてみたが……この高度でも、大主様の根は人間界の魔力を吸い上げる程の余力を残しておった」
自分達だけが助かればいい訳ではない。自分達だけが幸せであればいい訳ではない。竜族は誇り高き守護者であり、世界の調律者。しかし、有り余る慈愛だけではなく桁外れの能力を持つ彼らは、否応なしに周囲を萎縮させて……場合によっては、他者に遠慮という名の不自由を押し付ける元凶にもなりかねない。だからこそ、その身の丈を合わせなければならない……ということになるらしいのだが。
「元鞘に収まるのが、こんなにも難しいとは思いもせなんだ。だが……ここにきて、大主様が仕込んでいた叛逆の欠片が芽吹いたようだの。それはそうと……はて。その情けない姿は何の真似ぞ。あの時、大主様がどんな思いでお前を受け入れ、助けてやったと思っている? そのワガママを守るために……どれだけ、我が愛子達に負担をかけてきたと思っているのだ? この、大馬鹿がッ‼︎」
大嫌いなはずの天使にさえにも、朗らかな笑顔を見せていたドラグニールの使者。しかし、その穏やかだったはずの彼女の口元に今、並ぶは……笑顔ではなく、鋭い刃の連鎖だった。慟哭とも咆哮とも取れない、激しい叱咤にピキ様の小さな身が大きく震えているのを、確かに感じる。
(どういうことだ? 例え不完全だとしても……彼女は女神・クシヒメのはず……では?)
きっと、疑問だらけの私の心情を容易く読み取ったのだろう。怒りも治らぬとばかりに肩を揺らすドラグニールを見つめていたかと思うと、彼女とは対照的なまでに静かな様子で竜女帝がその事と次第を説明してくれる。どうやら……太古の女神と霊樹・ドラグニールの間には彼女達が天使を避けなければならなくなった約束が、ひっそりと転がっていたらしい。




