16−9 漏れなく恋愛ホリック
「すみませーん。どなたか、こいつの怪我を治してやってくれないかな?」
「あっ、もちろんですっ! 私にお任せを!」
「いや、待て! ここは私が……」
「どなたでも結構ですから、早くしてくれよ……」
何故か俺のお願いに競うように応えようとする天使様方にティデルをお預けしていると。輪に加わることもなく、少し離れたところでポツンと浮かんでいるリッテルが、こちらを辛そうな顔で見つめている。えっと……何か、悲しませるようなことをしてしまっただろうか。一応、ティデルは意識不明の重体とは言え、生きているとは思うけど……。
「……あなた、その」
「あ?」
「……ごめんなさい……! 私、また……あなたに無理をさせてしまいました……。ベルゼブブ様にも、私の何気ないお願いがあなたを危ない目に遭わせるかもって、言われていたのに……!」
「へっ?」
リッテルの悲しそうな顔はティデルを心配してのものではなく、どうやら俺を心配してくれてのものっぽい。それはそれで、嬉しいんだけど……ベルゼブブがそんな事をリッテルにお願いしていたなんて、思いもしなかった。と言うか……こんな所で、ワンワン泣かないでくれよ。
「リッテル、とにかく落ち着け! 別にそこまで無理はしてないから。俺は大丈夫だし。ただ……」
「ただ……?」
「当分はゆっくりさせてくれよな。今日はとにかく早く帰って、風呂に入って……淹れたてのコーヒーが飲みたい」
「……そう、ね……。ふふ。でしたら……しばらくコーヒーは私がちゃんと淹れてあげます」
「うん。それで頼むよ。あっ、でも……ゴリゴリは譲らないからな」
そこでちっぽけな自己主張をしてみれば、リッテルも俺が「平常運転」なのがよく分かったのだろう。泣き顔と困り顔とを変な具合でごちゃ混ぜにした表情で、ようやく少しだけ安心した表情を見せる。そうして、ありがとうと抱きついてくるのだけど……でも、それは後にして欲しいんだな。
「……リッテルはいいなぁ……」
「あぁ……私も素敵な旦那様を心配したり、抱きついてみたりしたい……」
人前で抱きつかれるのも大概だが……そもそも心配って、望んでしたい事なんだろうか。心配はできればしないに越した事なくない? そんなどこまでもズレている天使様方の反応の気色悪さを、グルグルと考えながら……それでも、とりあえずお役目を及第点なりに果たせてホッとする。ティデルの容体がどんなもんかは、今ひとつ分からんが。その先は元同僚の皆さんにお任せするのが、賢い選択だと思う。
***
久しぶりの孤児院に帰ってみれば……不在にしていたのはたった6日だというのに、見ない顔が随分と増えている。しかも、ザフィの姪っ子(という設定)らしい天使様まできっちり増員しているのだから、申し訳ないやら、有難いやら。
「リヴィアって言うのね? 初めまして。私はアーニャよ。で、見りゃ分かると思うけど……」
「えぇ、存じています。こちらこそ初めまして。私はリヴィアと言います。えっと、一応……」
「あぁ、こっちも分かっているわよ。留守の間、ありがとうね。お陰で、用事をしっかり済ませて来れたわ」
「そうなのですね! それは何よりです!」
リヴィアの様子を見るに……多分、彼女も私の「用事」が何だったのかをある程度、知っているのだろう。満面の笑みで自分の事のように喜ばれると、妙にむず痒い。
「ところで……院長。結局、戻って来ちゃったわ。また、こっちでご厄介になっても良いかしら?」
「えぇ、えぇ。もちろんです。メイヤも寂しがっていましたし……それでなくても、子供達も増えましてね。是非に彼らにもアーニャさんの美味しいシチューを振る舞ってあげて下さい」
「そ? それじゃ、遠慮なく。あぁ、そうそう。そう言えば……シルヴィアはどうしてる? 元気かしら?」
「もちろん、元気ですよ。今はザフィさんと買い物に出かけていましてね。じきに戻ると思いますが……」
そっか。そう言えば……そろそろ、夕方だものね。だとすると、彼女達が買い出しに行っているのは夕飯の食材かしら。何を買って来てくれるのかは分からないけど……まぁ、お献立は食材を見てから決めても遅くないわね。
「すみません……院長、それで……」
「あぁ、そうでしたね。リヴィアさんはパトリシアさんのお宅にお邪魔するのでしたっけ。でしたら……そろそろ、お時間ですし、今日はもう大丈夫ですよ。本日もありがとうございました」
「はい! こちらこそ、ありがとうございました。明日もよろしくお願いいたします」
「あら? リヴィア、パトリシアちゃんの所に遊びに行くの?」
「えぇ。パトリシアさんのお兄さんがとっても悪魔に詳しい方で。是非に、お話を聞きに……」
そのパトリシアのお兄さんって……確か、最近闇堕ちしたとかって言うアークデヴィルだった気がする。一応、出掛けにマモンとリッテルにも挨拶しようと思ったら、あいにくとお出かけ中で……仕方なしに、ナンバー2のダンタリオンに伝言をお願いしたのよねぇ。で、私の行き先が孤児院だと白状したら、彼が代わりにそんな事を教えてくれたんだけど……。
「ちょ、ちょっと、リヴィア!」
「はい? どうしました、アーニャさん?」
「あなた、知ってるの? そのお兄さんって、確か……」
「あぁ、その辺りも存じていますよ。リッテルにはまだお話しできていませんけど……こちらで私の調べ物に協力して下さるので、そのうち“そちら方面”の相談もしようかと思っています」
そちら方面……と、リヴィアが核心をズラして答えるけれど。あぁ、なるほど。リヴィアはパトリシアのお兄さんが悪魔であることも、リッテルと契約済みであることも知っているのか。考えれば、それも当然のことだと今更気付く自分が間抜けに思える。
今では悪魔も気軽に人間界に出られるようになったとは言え、それには天使様方との契約っていう札をぶら下げるのが条件だ。勿論、以前みたいに有無を言わさず排除にはならないようだが、長期滞在を考える場合は契約をしておくに越したこともない。そうして契約した悪魔のデータは向こうさんでもしっかり管理しているらしく……リッテルと契約済みの例のアークデヴィルの素性をリヴィアが知っているのも、当たり前と言えば、当たり前なのだろう。それにしても……。
(リヴィアのこのはしゃぎようは、もしかして……?)
冗談抜きで初対面なので、彼女がどんな天使なのかは知らないが。それでも、天使様方が漏れなく恋愛ホリックなのはよく知っている。随分前にルシエルとコトを構えた時に、周りの天使達の狂乱ぶりは目に余るものがあったし。リッテルのマモンへのベッタリ加減も、結構な部分で度を超えているし。天使が女性しかいないという事情も、多少は影響しているのだろうが……それを抜きにしても、彼女達の熱し易さは異常だと思う。
(ま、それも仕方のないことかしら。……恋をするのは、とっても心躍る事ですものね)
そうして、いそいそと退勤していくリヴィアの背中をプランシーと見送るものの。なんとなく、初々しい足取りにちょっとばかり応援してやりたくなるのだから、つくづく私も趣味が悪い。そうして、今度は自分の恋愛事情も引っ張り出しては、ジャーノンは元気だろうかと思い出してしまう。折角、こうして戻って来たのですもの。近いうちに報告も含めて、会いに行かなくちゃ。




