15−6 素敵な存在
元現代人だけあって、コンラッドにはそれなりの土地勘もしっかりあるらしい。タルルトからカーヴェラへの移動手段には、夜行列車を使えば自然かつ安全だと言うことで……子供達を連れたコンラッドを見送ろうと、誰もいないプラットホームで列車を待つものの。子供達はコンラッドの穏やかな空気に安心しているらしい反面、どうやら憧れの登場人物との別れが相当惜しいようだ。そうして子供達相手に、仕方なしに演技をしてくれるマモンだが。お仕事とは言え……魔界の大物に怪盗ゴッコをさせているとなると、非常に申し訳ない気分になる。
「グリード様、また会える?」
「そうですね……でしたら、いい子のみんなに会うためにも、近いうちにそちらにお邪魔しましょうかね。それまで、元気でいるんだよ」
「うん!」
「今日はありがとう!」
人間の子供相手でもしっかりと話を合わせた挙句に、更に確実に迷惑だろうと思われるお約束を取り付けているが……その配慮には、謝礼も別枠で用意した方がいいかも知れないと、こっそり考えてしまう。そうして、私が1人で申し訳ない気分になっているのも知らない列車が、いよいよプラットホームに入ってくる。
「こんな時間に列車に乗る者はまず、いませんからね……。全席空いていそうな上に、車掌さんもいないかも知れません……」
「そのようですね。とは言え……今はそこを気にしている場合ではないでしょう。では……コンラッド、子供達を頼みましたよ」
「かしこまりました。私の方も落ち着いたら再度、そちらへお伺い致します。さ、みんなはこれから暮らすお家に行こうね。大丈夫。もうこれ以上、怖い思いはさせませんから」
そんな事を言いながら、コンラッド達が無事乗り込んだ列車を見送った所で……他の利用客が誰1人いないことこれ幸いと、マモンがリッテルとハンナが待つ屋敷行きのポータルを展開している。しかし……そうも手慣れた様子であっさりポインテッドポータル(我が家行き)を展開されると、今度は妙に落ち着かない。
「ほれ、ここはサッサとズラかるぞ。帰って、探索結果をすり合わせにゃならん」
「あっ、グリード様の口調が戻った」
「そこは放っとけ」
子供達がいなくなれば、演技をしている必要もないと判断したのだろう。彼の口調が直ったことにすかさずツッコミを入れるダウジャと、ややむくれた表情でプイとソッポを向く真祖様。もしかして、その頬を膨らませる仕草はリッテル由来だったりするんだろうか?
「コンタロー、とにかく、今は帰ろう? ハーヴェンはきっと大丈夫だから」
「あぃ……そうでヤンすね」
力無い返事をするコンタローを抱き上げて、ダウジャを促しつつ……ポータルの向こうに踏み出せば。そこには既に事情も把握しているらしい心配顔のリッテルとハンナが待っていた。さて……と。まずは急いで状況整理をしない事には話が始まらない。マモン側の報告も聞かねばならないだろうし……今夜はお休み前のお茶が欲しいなんて、ワガママを言っている場合でもなさそうだ。
***
上を目指せ、とにかく上に登るんだ。
エルノアはアヴィエルのその言葉を信じて、どこまでも続くと思われる純白の空間を彷徨っていた。しかし、求めている階段はいくら探しても見つからない上に……何気なく入った部屋で、どこかで会った事があるような、ないような。少しばかり寂しげな様子で、部屋の中央で仮面を着けた男がポツリと座っているのに遭遇する。
「あのぅ……ちょっと聞きたい事があるのですけど、いいですか?」
「……」
しかし相手には敵意どころか、感情らしきものさえ欠如しているらしい。エルノアが勇気を振り絞って話しかけても、返事はおろか、身じろぎ1つしないではないか。
「ゔ……なんだろう。このお兄ちゃん、私を無視しているわけじゃなさそうだけど……。どうして、お返事してくれないのかな……」
「眠っている……いいえ、違いますね。どちらかと言うと……エルノアに気付けていない、と言った方が正しいでしょうか?」
エルノアの肩の上で相手を注意深く見つめては、小さな妖精が耳元でそんな事を囁く。その声色がどこか自分を慰めると同時に、大丈夫だよという励ましの響きにも感じられて。……エルノアは更に足を踏み出しては、相手を確認しようと歩み寄る。
「お兄さん、大丈夫ですか? えっと……」
「……み、ず……」
「えっ?」
「水を……くれないか……?」
「お、お水?」
ようやく返事を寄越したと思ったら、第一声が「水をくれ」である。そんな突拍子もない要求に戸惑いながらも、すかさず部屋内に水差しとコップがあるのを見つけ出しては、彼の前に差し出すものの。……あいにくと肝心の水差しは空らしい。いくら傾けても、1滴の雫さえも落とさぬ薄情な様子に、ガッカリと肩を落とすエルノア。
(……どうしよう。今まで……水が貰えそうな所はなかった気がする……)
夢中で走り抜けてきた風景に、生活感がある空間は1つもなかったように思う。しかし、エルノアが落胆しているのも気にも留めず、一方の男の方は水差しの本当の使い方を知っているらしい。彼が取手を握りしめて、何やら集中し始めると……先程まで冷酷だった水差しが溢れんばかりの水を吐き出し始める。
「す、すごーい! お兄さん、何をしたの?」
「……水属性の魔力を流し込んだ。この水差しは、少し……特殊な道具」
しかし、同じ部屋に水差しがあって、しかもその使い方を知っているのなら……自分で取りに行ってもいいだろうに。そんなことに首を傾げては、エルノアは更に訝しげに目の前の男の様子を伺うが。その足元に、彼がそうしなかった理由が隠れていたのにも気付いて、思わず後退りをするエルノア。
「お兄さん、その足……どうしたの?」
「さぁ……な。気がついたら、こんな状態になっていた。痛みはとっくにないが……あぁ、またか。……また、眠たくなってきた……。私は……また……」
真っ赤に爛れ、膨張した足は既に原型を留めていないと言うべきなのだろう。彼は面倒臭がって水差しを取りに行かなかったのではない。……足が動かないから、歩くことができなかっただけ。しかも、折角の水を得たというのにそれすらも口にせず……彼はそれきり黙りこくると、そのまま夢現の状態に戻ってしまったらしい。
「また……眠っちゃったのかな……?」
「眠っているのではないでしょう。今度は意識を失った様子です。……どうしますか、エルノア。このままだと……」
「うん、分かってる。もう1度、上手くできるか……とっても不安だけど。でも……しないよりは、した方がいいと思うの」
「そうですね。それでこそ……ドラグニールが選び取った神子と言うものです」
「みこ?」
「えぇ、そうよ。あなたは……ドラグニールに最も祝福されて生まれてきた、素敵な存在なのよ」
「えへへ……そうなのかな?」
小さな相棒に褒められて、一頻り無邪気な笑顔を見せた後……気持ちを切り替えては、目の前の悲劇に向き直るエルノア。竜族の鱗は魔力の塊。延いては命の一欠片でもあるその結晶を、無作為に消費するのはあまり賢い選択ではない。それでも、このまま立ち去ったらきっと後悔するのも分かりきっていること。そうして、尻尾から剥ぎ取った鱗を決意と一緒に彼の足元に添えると……そのまま、息を深く吐いて集中し始める。
アヴィエルの時はティデルへの反抗心もあったせいか、すんなりできたが……正直なところ、先ほどのホープリジェナネーションの発動はいつも通り、直感という彼女固有の才能の産物でしかない。魔法を使うのは相変わらず、難しいし、よく分からない。それでも……今までだって、大事な時には必ずちゃんと出来た事を思い出して。いよいよ、エルノアは取って置きの素敵な魔法を展開してみるのだった。




