14−45 1つの信頼の形
エルが攫われたというのに。僕は脱皮中だからと、父さまのところに預けられてしまった。もちろん、それがマスターやハーヴェンさんの優しさなのは分かっているし、お互いにとって都合がいいことも知っている。だけど……それはただ正しいだけであって、僕が望んでいる状況じゃないのも分かりきっていて。それなのに、僕は……。
(結局、一緒に行きたいと言えなかった……。僕は一体、何をしているんだろう……)
こんな所で、悩んでいる場合じゃないのに。こんな所で、自分だけ休んでいる場合じゃないのに。だけど、僕はこっちにいた方が迷惑がかからないと、必死に自分を押し殺していた。
いつだって、そうだ。僕は本当に自分がしたい事があっても、他の人の顔色を窺って……どうするのが良いのかを、まず考えてしまう。そうして、周りの人に合わせるのが正しいんだと言い聞かせて。僕は心から自分がしたい事を、たくさん見逃してきた気がする。
「ただいま、ギノ君。調子はどうかな?」
「父さま、お帰りなさい。僕、体調は悪くないですし、こうして動けますし……。それで……」
「分かっているよ。ギノ君も、マスター達と一緒に行きたいのだろう? だけど、今はこうしてこちらにいた方がいい。エルノアの事はもちろん、心配だけれども。それでも、マスターやハーヴェン殿に任せておけば……きっと大丈夫だろうと、私も無理やり納得して帰ってきてしまった」
ハンナとダウジャに呼ばれて出かけていた父さまが、マスターの所から帰ってくるけれど……僕の何かを見透かしたようにそんな事を言うから、つい驚いてしまう。父さまは、何を無理やり納得したと言うのだろう?
「私もすぐにあの子を助けに行きたいし、一緒に探せればとも思ったよ。だけど……私達は精霊なんだ。いくら全幅契約を結んでいて、マスターに負担がかからない状態だとは言え、本来は霊樹の側にいなければならない。自分の希望を押し通せば、マスターのご迷惑になる事も多々、あるだろう」
「迷惑になる……? 父さまが、ですか?」
「そうだよ。精霊は本来、自分達の世界から呼び出されるのが普通なんだ。それが自由勝手に人間界で活動したら、契約主の目が届かなくなる事もあるだろう。現に、エルノアはそうやって飛び出して……マスターのお手を煩わせる結果になってしまっている」
「あっ……」
確かに全幅契約を結んでいれば、マスターに魔力部分での負担をかける事はない。その上で、迷子になっても最悪の場合はマスターの方で場所を探してもらう事だってできる。だけど、それでもマスターに迷惑をかけるかもしれない事に変わりはないし、実際に僕だって……勝手に魔獣界に飛び出して、結果的にマスターやハーヴェンさんに助けてもらった事もあった。もちろん、マスターやハーヴェンさんはそんな事で怒ったりしないだろうけど。でも、怒られないからと言って、勝手な行動をしていい訳ではないと思う。
「……ギノ君は私が言わんとしている事を、きちんと理解してくれたようだね。私達は精霊であって、人間ではない。人間界にずっといていい存在ではないんだよ。例え、契約という札をぶら下げていたとしても、霊樹の側を離れれば魔力の供給が難しい部分も出てくる。向こうではハーヴェン殿がきちんと食事を用意してくれるから、暮らしていられるのかもしれないが……それは本来、あり得ない事なんだ」
「そう、でした……。僕、食事を用意してもらえるのが、すっかり当たり前になっていて……。それがどれだけ、普通じゃない事なのか、忘れていました……」
人間だった時は、お腹一杯食べられることなんて、1度もなかったじゃないか。それなのに……僕はそんな大切な事さえ、忘れているなんて。
「……そうですよね。僕、勘違いしていました。エルのことは心配だし、一緒に助けに行きたいって言えばよかったって、後悔していましたけど……。今の状態で僕が一緒にいても、みんなを心配させるだけですよね……」
「もしかしたら、そうかも知れないね。マスターもハーヴェン殿も……あちらにいる方はみんな、優しい人達ばかりだから。きっとギノ君が一緒に行きたいと言えば、多少の無理をしてでも連れて行ってくれただろう」
だけど、それはワガママなんだと、僕もよく分かっている。もちろん、そうしたいのが本当の気持ちだし、どうして連れて行って下さいと言えなかったのか……さっきまで後悔していたのだけど。でもそのワガママでマスター達の負担になるのだとしたら……それこそ、僕が本当に望んだ結果ではない気がする。
「大丈夫。エルノアはきっと無事だよ。あの子には、マスターやハーヴェン殿が付いている。だから私達は必要な時に力になれるよう、こちらできちんと準備していないとね。確かに、心配で心配で一緒に行きたいと思うのは普通だろうし、極々自然な事でもあるだろう。だけど、自分の感情を押し通して必要のない配慮を頂くのは、契約主に対しても失礼な事なのだと、私は思う。それに、私はマスターやハーヴェン殿を何よりも信頼している。だからこそ、彼女達に任せておけば心配ないと……こうして、こちらに残る事にしたんだよ」
これも1つの信頼の形なんだと、父さまは優しく微笑んでは、慰めるように僕の頭を撫でてくれる。無理やり納得して帰ってきてしまった……か。きっと父さまはそう言ってくれる事で、僕の後悔も軽くしてくれようとしたのだろう。みんなにとって正しい選択をする事が、自分にとっては正しくない事もあるけれど。……ここはきちんと踏み留まらなければ。
《大人っていうのは、自分以外の相手のことをきちんと考えられて、自分の行動に責任を取れるヤツ》
そうだよね。そう言えば、ハーヴェンさんもそんな事を言っていたじゃないか。もちろん、ワガママを言う事がイコール子供ではないんだろう。だけど、自分がしたい事よりも周りのことを考えて、一呼吸置いて……そして、きちんと最善だと思える選択をできることは、とっても大切な事なんだ。それはただの甘えなのかも知れないし、自分で責任を取ることに怯えているだけかも知れない。それでも、その甘えも含めて……みんなへの1つの「信頼」の示し方でもあるんだろう。
***
ゆったりと玉座に身を預けながら、エスペランザはオフィーリアと竜界の今後について話し合っていた。
魔界へ例の禁書が引き払われてからというもの、ドラグニールはようやく本領を発揮できるようになったらしい。竜界がいつになく、穏やかな魔力に包まれているのを実感しつつ。着慣れたミルク色のローブが夕刻の黄昏色に染め上げられるのも見つめて、エスペランザはぼんやりとこれまでの道のりを思い出す。
ドラグニールが世界を見限ってから、約500年。ドラグニールの歴史としては非常に短い期間かも知れないが、その500年の間に……本当にいろんな事があったと嘆息する。こうも自分の在位中に霊樹の盛衰を目まぐるしく見つめる事になろうとは、彼女とて予想だにしていなかった。
「長老様。それで、そろそろ我らの世界も人間界へ根を下ろすべきだという事でしたが……」
「ふむ。ワシはこのまま、竜族だけ高みの見物をしている訳には行かぬと思っておる。確かに、本性を持たぬ子供達が生まれてくるようになったのは、例の魔法書が原因だった部分もあるじゃろう。しかし……それ以上に、我らが大切な物を忘れてしまっているからこそ、そのような結果になったのではなかろうかと、ワシは睨んどる。我らは調律こそを存在意義とする、世界の守り手。その守り手が……世界の混沌を見て見ぬ振りをしているばかりでは、存在意義さえも失う事にもなりかねん」
オフィーリアが言わんとしている事に理解を示しつつも、なおもエスペランザはため息をつく。
本性を持たない子供達の出現、そして、最終的に彼らを粛清しなければならない現実。その2つの事実に疲れ切って、悲しみに暮れていたエスペランザとしては、かつてない窮状の解決策があるのなら、すぐにでも縋りたい。しかし一方で、今の人間界はユグドラシルが燃え尽きてからというもの、瘴気の濃度も格段に上がっているのだ。そんな場所に根を下ろしたら……折角、息を吹き返したドラグニールに無理を強いる結果になるかも知れない。
(どうすればいいのかしら……。ねぇ、どうすればいいのですか、ドラグニール。私は……何を選択すればいいのでしょう……)
「無論、思うように突き進めばよかろう。我が健在である限り、そなたらは自身の力を信じて、邁進するのみぞ」
「……!」
エスペランザが折れそうな心の中で吐いた弱音。それは誰にも気づいてもらえないと、諦めてもいたが……あろうことか、その泣き言を丁寧に拾い上げる者がいるので、俯いていた視線を再び上げてみる。すると、そこにはいつの間にか碧色の鱗でビシリと埋め尽くされたマントを羽織った老婆が立っていた。そのあまりに懐かしい面影に……驚きを隠せないオフィーリアと、思わず涙を流すエスペランザ。燦然と清らかな光を放つ、白銀の尻尾を引きずる彼女こそこの竜界の主人であり、霊樹の使いでもあるドラグニールその人。そうして、忽然と現れた光の使者は慈愛に満ちた笑みを見せていた。




