14−42 遺恨の地
円形の空虚な部屋に佇むは、竜族になり損なった歪な姿をした化け物。そして、その化け物を忌々しげに見つめるのも……身を黒染めにした、元は竜族の化け物。存在そのものが負の連鎖である彼女達が対峙するのは、かつてナンバー13と呼ばれていた実験室であり、旧・カンバラの時代から数多の子供達が虐殺されてきた遺恨の地でもあった。
「……そう言えば、知っているか? フュードレチア」
「グルルル……何をかしら? 醜い化け物」
「私達がいるこの場所が、どんな場所だったのかを」
「この場所が何ですって? 別に、そんな事は関係ないわ。私はお前を八つ裂きにして、エルノアを連れ戻して……あの子の心をズタズタにして……そして、霊樹の餌にするお役目をいただいたの。だから……」
「……人の話は最後まで聞くものだ。そんな事だから……お前も周りから見捨てられて、こんな所に迷い込んだのだろう?」
「言ってくれるじゃない。だったら、なんだと言うの? この場所の何が、そんなに気になるのかしら?」
舌を奪われ、口を縫われていようとも……耳もあれば、意識もある。アヴィエルは実験の渦中にあっても、「彼ら」の話に耳を澄ませる事だけは忘れなかった。きっと、彼らはアヴィエルがもう1度、言葉を取り戻すとは思いもしなかったのだろう。そして……言葉を取り戻した暁に、魔法能力も吹き返す事を想定もしていなかったに違いない。
「ほら……こんな所にに小さな文字が見えるだろう? これは、とある神父が残したものだと聞いていたが……」
「あぁ、それの事? だったら、知っているわ。確か、他の子供達の命か孤児院の子供達の命かを選べと言われて、身内の助命を乞うた、情けない人間が残した文字でしたっけ? でも……フフフフ。本当に、人間ってモノは弱くって、自分勝手で……救いようもない程に醜いわよね! 最初から丸ごと利用される定めだったのに、何を自分達だけ助かろうとしているのかしら!」
あ〜ぁ、本当におかしいわ……と、醜く歪んだ口元から牙を見せて、フュードレチアがケラケラとさも愉快そうに笑って見せる。しかし、その姿こそが滑稽だとアヴィエルには思えてならないのだが。それはともかく、エルノアが「ボーダーライン」に逃げ切るまでの時間稼ぎはしなければと、辛抱強く狂った化け物の相手を続ける。
「この部屋はあのレプリカが作り出した、言わば胃袋のような場所だそうだ。ここで流される血は全て、その純潔の白に覆されては、すぐさま彼女の栄養になると聞く」
「えぇ、その通りね。だからこの白が真っ赤に染まるのは一瞬で、ここで何かを殺せばすぐに栄養を送り込めると……部屋ごと移したらしいのだけど」
「だとしたら……どうして、この血文字はこのまま残っているのだろうな? そんな一瞬で血を全て吸い尽くす程の胃袋がこの文字だけ食べ残すのは、不自然ではないか?」
「クルルル……確かに不思議ですけど。でも、その事を考える必要はないわ。だって、私には全く関係のない事ですもの。ですから、さ……そろそろ、いいかしら? あなたとのお喋りはとってもつまらないし、私は偽物に本物の実力を見せつけてやりたくて、ウズウズしているのだけどッ……!」
「……交渉決裂、か。仕方あるまい。少しくらい、ヒントをやろうと思ったが……やれやれ。私は化け物としても、天使としても。どこまでも、出来損ないらしい。自分が助かろうと身勝手な希望に縋る事もできなければ、目の前の化け物を救ってやれる手段も持たぬ。ハハッ、本当に……自分の愚かさが嫌になるな……!」
愚かなのは、きっと最初からなのかもしれない。そうでもなければ、絶対に勝てない相手に勝負を挑むなどと無謀な事もしない。それでも、今のアヴィエルにはそうしなければならない理由があった。
自分の命など、とっくに諦めている。生きる望みなど、もう持ち合わせてもいない。だけど……そんな自分にも、できる事があるとするならば。それは希望を繋ぐ事と、せめてもの救いを捥ぎ取る事。その為に……もう少し、生き延びる事を考えなければ。
「フシュルルルルッ! グルァァァッ‼︎」
アヴィエルがそんな事を考えている矢先に、氷の女王の2つ名は伊達ではないと、フュードレチアが息吹の一呼吸で部屋中を凍てつかせては、煌く銀世界へと変えて見せる。黒く濁った咆哮から生み出されたとは思えない純白は、優美な光景とは裏腹に……強烈な冷気をも渦巻かせて、アヴィエルの体に容赦ない凍傷を刻んでいくが。
「チィ……! いきなり、部屋ごと白銀に変えてくるか……! だったらば……雷神の怒りを知れ、その身に轟の罰を下さん! サンダーライトニング、ダブルキャスト!」
「ナッ……! お前、まさか……風属性なのカ⁉︎」
しかし、アヴィエルも負けてはいない。水属性に有利な風属性の強みを生かし、空間を蹂躙していた純白をあっという間に雷の灼熱で溶かしては、状況を覆す。しかも……この程度の凍傷は、かつてタルルトの郊外で経験したものに比べれば、まだまだ生温い。苦々しい思い出が脳裏に浮かんでくるのを感じては、これがいわゆる走馬灯なのだろうかと、深々と改めて息をする。この状況は死際にはさもお誂え向きではないかと、アヴィエルは場違いにも自嘲してしまうが。とにかく、今はまだ……走馬灯に身を委ねるのには、早すぎる。
「あぁ、その通りさ。私はこれでも……元は排除部隊に所属していた戦闘特化型の天使でね。攻撃魔法は得意中の得意なんだよ。さて、お次は……これなら、どうだ? 永劫の苦痛をもって罪を雪げ! 光をもって制裁を与えん、ホーリーパニッシュ、トリプルキャスト! そして……風神の嘆きを知れ、その身に嵐の罪を刻まん! エアリアルダストッ!」
「ちょ、ちょっと、マテ! その術式は……もしかしてッ⁉︎」
「潔白の雲海より出でし、気高き霊獣よ! その煌めきの牙と爪を以て、罪深き者を滅ぼし、殲滅せよ! オーバーキャスト……スターダストテンペストッ‼︎」
白を覆す、更なる純白。輝きとも轟きとも取れない、圧倒的な光彩が部屋中を満たしては全てを包み込み、浄化していく。それは、アヴィエルが使える中で最上級の攻撃手段であると同時に、敵対する者に裁きを降す、神界の大義名分。そして、マナツリー・レプリカの恩恵を享受できる天使の特性を発揮した、最大の一手であった。しかし……。
(クッ……! 魔力消費がやはり、膨大すぎる……! しかも……!)
「クククク……アッハハハハ! まさか、オマエがここまで出来るヤツだなんて、思いもしなかったワ! でも……残念ね! ワタシはこの程度でやられるホド、低レベルじゃないのヨ‼︎」
だがアヴィエルに対峙するは、堅牢な魔法防御力を誇る竜族の成れの果て。それでなくても、フュードレチアは元からジャバヴォックという上級種の竜族だったのだ。その鱗は常に強烈な冷気を纏い、周囲を凍てつかせると同時に……彼女そのものを分厚い空気の保護膜で守り抜く。
「竜族というのは……本当に、驚くべき一族なのだな。魔力の量も桁外れなら、身体能力は我らの想像を遥かに超えている。フン……まさに神に近しい存在、だな。最初から……私如きが、手を出すべき相手ではなかったということか」
「何をゴチャゴチャと……。ま、いいワ。その様子ですと、魔力、残っていないのでショ? フフフフ……さ、最後の言葉くらいは聞いてやるわよ?」
最後の言葉……か。その気まぐれの温情に、皮肉まじりで口元を歪ませて。誰かさんが残した最大のヒントを、ここぞとばかりに口にするアヴィエル。
「罪過の深き禍根を以て、我が身に血の楔を打ち込め……咎多き我を迎えよ、名はアヴィエルなり……!」
「……⁉︎」
何かの儀式に使っていたらしい台座に刻まれた、懺悔の血文字。文字の不足部分を補うように、自分の指を噛みちぎると……自身の黒い血で呪文を完成させるアヴィエル。そうして完成されたキーワードに反応して、深い紫色の闇を纏った魔法陣が描かれると同時に、どこから沸いたのかは知れないが……1体の魔禍が姿を現した。
「……確か、オズリックという奴が言っていたのだが。この文字列は転移魔法でも、攻撃魔法でもなく……魔界から持ち出した魔法書に書かれていた、悪魔誕生のメカニズムを再現するための呪文だったらしい。私も悪魔の成り立ちはよく知らないが……なんでも、その魔法書には記憶を残したまま、悪魔に転生する方策が示されていたのだとか」
「だったら、何だと言うのよ? それが、ドウシタって言うのカシラッ⁉︎」
彼女達の会話が決裂するのを待っているかのように、魔禍はお利口にその場で蹲っては機会を窺っているらしい。しかし、そんな不気味な存在以上に……フュードレチアにしてみれば先ほどから、何かを達観した余裕の風格を醸し出し始めたアヴィエルの態度が非常に気に入らない。まるで自分を見下すような視線が、いつかの日にフュードレチアを「勘違いした不適格者」と罵倒した誰かを思い起こさせる気がして。氷の女王は寒さで凍えるはずのない牙をギリギリと鳴らしては、アヴィエルが醸し出す空気に今度は震え始めていた。
「さて……もうそろそろ、時間のようだ。お前が私の意思を引き継ぐ魔禍か? このアヴィエルの魂と記憶とを全てやろう。その代わり……我が約束を聞き届け、引き継いでおくれ」
だから……この後は頼んだぞ、我が片割れ。
そうして臓腑を切り裂かんと、両手で自身の腹を抉るアヴィエル。一方で溢れて滴る鮮血を前に、自身の痛覚も殊更刺激されるのだろう。先程までお利口だった魔禍が獰猛な様子を見せると、魔法陣の中へ躍り出るようにアヴィエルの身に食らいつく。屠って、啜って、齧って、引き裂いて。その光景は英雄・ハールが悪魔になったその日から、秘密裏に繰り返されてきた実験風景。
しかし……数多の犠牲を出したところで、かつてのハールと同じように完全なる悪魔を生み出す事は叶わなかった。作り出せるのが精霊あろうとも、悪魔であろうとも……その手綱が手中になければ、意味がない。だからこそ、彼らは呪術の文言を敢えて欠損させて、実験対象の意思で残りの文字を刻ませては、自発的な理由での「欲望に飲まれる」という悪魔のセオリーを再現しようとしていたが。神父を使った実験で実際に出来上がったのは、善意が無理やり闇堕ちした後に残された、悪意のみの不完全な抜け殻だけ。
そんな中、今のアヴィエルが為そうとしているのは、仮初の生贄になる事ではない。鮮血の上で繰り広げられるのは、彼女が満足のいく最期の時を迎える為に……如何許りのかの延命を望んだが故の、なけなしの運命への抵抗だった。




