14−36 愛しい申し子
エルノアにクシヒメの魂が宿っている事が、判明してからと言うもの。あれ程までに、自分を頼りにしていたはずのハインリヒの熱視線を姪っ子に取られて……フュードレチアは忌々しげに、レプリカの懐にちょこんと座っているエルノアを睨みつけていた。
(本当に、忌々しい……! この子は私からどれだけの物を奪って、どれだけの屈辱を与えれば気が済むのかしら……!)
彼女の激しい怨嗟は、生まれてきただけのエルノアにはどうする事もできない逆恨みでしかない。しかし相手が憎たらしい妹の、更に憎たらしい彼女の娘のともなれば……フュードレチアの中に堆積する屈辱は、並々ならぬものがあった。
相手が無関係な相手であれば、ここまで神経を刺激される事もなかったろう。そして、フュードレチアはこのラボの中で……初めてと言っていい程に自分を必要とし、自分に優しくしてくれたハインリヒに好意を寄せさえもしていた。もちろん、それはフュードレチアの「思い違い」であるし、彼女自身も心のどこかで「勘違い」であることは分かっている。
それでも、幸せを奪われ続けてきたと……被害妄想を肥大させてきたフュードレチアにとって、また思い人を取られそうになるという事は、かつての仕打ちの再来にも思えてならない。それなのに、エルノアは新参者のクセに何食わぬ顔で霊樹に迎え入れられては……ある意味で、あり得ない程の丁重な扱いを受けていた。
(だけど……追い出そうにも、私にはあの場所まで近づく事さえできない……)
こうなったら、いっそのことエルノアを元の場所に返してしまおうとも考えた。しかし、フュードレチアには霊樹の懐に近づく事さえ、許されない。いくら衰弱していると言っても、レプリカは霊樹の威厳を失うつもりもないらしい。狩場に不用意に足を踏み入れた者に、鋭い鞭撻を与えるのは相変わらずである。その様子はまるで、ツルベラドンナを採取した際にドラグニールが見せた圧倒的な威圧感と拒絶感にも似て……ますますフュードレチアの心を傷つけては、狂わせていった。
「まーだ、こんな所にいたのレチア。あのさー……」
「何よ? この私に何か用?」
「あぁ、おっかなーい。ったく、いっくら新しい玩具にハインリヒを取られたからって……古い玩具がいきり立っても、見っともないだけだと思うけど? ま、とにかく……ハインリヒが呼んでたわよ。あんたに相談があるんだって」
「ま、まぁ! そうなの? だったら……分かったわ。早速、参上しなくては」
ティデルに古い玩具と言われた事さえも、都合よく受け流して。嬉しそうにフュードレチアがいそいそとその場を後にする。そんな恋する淑女の滑稽な後ろ姿を見送りつつ、舌舐めずりをしながら、今度はティデルがエルノアに向き直るが……。
「あ、そんなに怯えなくてもいいわよ。あんたには手を出すなって言われてるし。私は霊樹ちゃんの餌やり当番にきただけだから」
「……この子、そんなのいらないって言ってるよ? お姉ちゃん、あのね。お食事は美味しく食べないと、意味ないの。私も、それ……よく知ってるの」
「あぁ? しっかたねーだろ。なんだって、食わなきゃ死んじまうんだから。それに……いくら霊樹たって、空腹には勝てねーんだよ。あんたが来る前だって……見境なしに色々食い散らかしてたクセに。今更、お上品ぶっても無駄だっつの」
そんな事を言いながら、ティデルがさも嬉しそうに餌を呼び出し……出現ポイントをあろうことか、狩場の中に展開し始めた。そうして、呼び出されたのは……。
「我が名において命じる……身に余る絶望をこの場で顕せ、醜悪なる欲望を撒き散らせッ! 悪意の翼で天に舞え……ヴァリアントマナ・アヴィエル! さ……トットと食われちまいな、このウスノロのグズが!」
それはかつて、アヴィエルと呼ばれていた上級天使の成れの果て。背中の翼を全て残らず捥がれて、威厳も人格さえも握り潰されて。不気味な青い肌に、黒ずんだ鱗を所々纏った姿は一瞬、竜族にも見えるが。しかし……不完全なままで放置されていたのか、骨格から既に体を歪めては、満足に歩く事さえできぬ有様だ。
「酷い……! これ……叔母様の鱗だよね? 竜族の鱗は魔除けのお守りなの! 悪い事をするためにあるんじゃないの!」
「うるさいわね。フュードレチアが寄越した鱗を、どう使おうが勝手でしょ? ロジェもタールカも……そして、こいつも。竜族の鱗を使って、それなりにいいセン行ってたと思うんだけど〜。やっぱ、出来損ないってのはできることに限界があるわね。祝詞がなきゃ、どんなに頑張っても完成品になれないんだもん」
だから、アヴィエルは霊樹にくれてやることにしたの……と、素気無くそんな事を言いながら。鎖での束縛という強みを振りかざし、ティデルがアヴィエルに残酷にもレプリカの餌になるように命令を下す。
その命令がいくら理不尽でも。
その命令が例え、その命を奪うものだったとしても。
契約の鎖で雁字搦めに束縛された彼女にとって、主人の命令は絶対だ。存在を掌握された奴隷には、主人が下した命令への抵抗は許されない。
「そのお顔……もしかして、天使のおばちゃん? ……そっか。おばちゃんも……酷いことされたんだね……」
口を塞がれて、声を上げる事も許されないまま。本能のままに蠢く枝の槍にその身を貫かれて、アヴィエルの虚な瞳から、涙にも見える黒い血が流れ落ちる。目の前で起こっている無慈悲なパフォーマンスにあって、アヴィエルの瞳が自分に助けを求めているようにも思えて。エルノアは確かな決意をすると、霊樹を見上げて話しかける。
「お願い、やめてあげて。確かに、天使のおばちゃんは精霊さん達に悪い事をしてきたし……ピキちゃんを殺したりもしたの。でも、だからって……これはあんまりなの。もう、たくさん……たくさん酷い目に遭ったと思うの。だから、これ以上はやめてあげて」
せがむようなエルノアの言葉を、しかと聞き届けたのだろう。獰猛に奮っていた白い枝を引っ込めて……霊樹がか弱くさざめき始める。その囁きはどこか……愛しい申し子に対する、言い訳にも聞こえるが。ティデルにはその素直さが非常に面白くない。
「……ったく。強がってないで、腹が減ってるんならサッサと食っちまえばいいのに。見ての通り、こいつはもう自分の足で歩く事さえできないのよ。いろんなパーツをくっつけてみたのは良かったんだけど、足が変な方向に生えてきたもんだから。……全く、もうちょっとでお利口な竜族が作れると思ったのに。あぁ〜ぁ、超残念」
「お姉ちゃんみたいな……何も分かっていないお馬鹿さんに、お利口さんは育てられないの」
「は? ……お前、今……なんて?」
「だから、お馬鹿さんだって言ってるの。お姉ちゃんみたいに、力の使い方を知らない人に、竜族の鱗は使いこなせないの。……竜族の力は傷つけるためじゃなくて、守るためにあるの。それを分かっていないお姉ちゃんに、私達の力は絶対に使いこなせないもん」
「本当に……お前は本っ当に、生意気でむかつく奴だわね! だったら、見せてみろってんだ……その力ってやつを、あぁッ⁉︎ そこまで言うからには、この失敗作をちゃーんとマトモにできるんでしょうね⁉︎」
言われなくても、そうするつもりだもん。
小さく反抗のセリフを口にしながら……そっとアヴィエルに歩み寄るエルノア。純白のワンピースを血で染める事さえも厭わずに、まずは自分の尻尾から鱗を1枚毟っては……アヴィエルの鼻先に添える。そして……。
「刻まれし命脈の滾りを呼び覚ませ、失いしものを創生せん! 我が糧を礎に、汝に再び光あらん事を! ……未来を願え、ホープリジェナネーション!」
それは失った物を補充する魔法ではなく、新しい可能性を模索するための魔法。エルノアが言った通り……正しく竜族としての矜恃を理解したからこその、正しい力の使い方。
再生魔法であるリフィルリカバーの行使には、どうしてもイメージが鮮明に残っている必要があり、失われた部分の補完は大凡24時間以内でなければならないという、厳しい条件があったりする。しかも、術者の方も元の形を知っていることが前提という、意外な条件も相まって……初対面であったり、形状が変化している相手への効果は期待できない。
しかし、今エルノアが使った固有魔法・ホープリジェナネーションは竜族の鱗という魔力の塊を消費することによって、その前提を無視して身体の再生や再構築を可能にする。そう、それは……文字通り、希望そのものを再生するために竜族が溢す、温情が具現化した魔法だった。




