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天使と悪魔の日常譚  作者: ウバ クロネ
【第2章】記憶の奥底
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2−26 コキュートス

 今日はエルを連れて来たのは、ハーヴェンさんではなくツレさんの方だった。余程、悲しいことがあったらしい。ツレさんの目の周りが赤く腫れぼったい感じになっているのを見ると……ずっと、泣いていたのかもしれない。母さまが淹れてくれたお茶にもほとんど口をつけないまま、父さまとお話ししている。


「……そうですか。ハーヴェン殿がいなくなってしまうとは……」

「えぇ……おそらく、魔界に帰ったのだろうと思います」

「……魔界?」

「ハーヴェンは元々、人間だったそうでして。おそらくですが……人間だった時の記憶を思い出したようなのです」


 ハーヴェンさんも……元々は人間だったんだ。あれ……? でも、それって……?


「あのぅ、ということは……今のハーヴェンさんって、人間じゃないんですか?」


 ここで聞いていいのかも分からなかったけど、思わず質問してしまっていた。あからさまに場違いだったのか、僕の質問にみんな驚いているみたいだけど……どうしよう、言わなければよかったかな。


「……ハーヴェン殿は本性に悪魔としての姿を持つ、魔神という精霊でね。悪魔というのは、人間や精霊がどうしようもない欲望に飲まれて生まれてくるものらしいんだ。ハーヴェン殿がどういう理由で悪魔になったのかは、分からないが……相当、辛いことがあったのかもしれない。それこそ……その出来事を忘れるくらいに」


 辛いこと。その出来事を忘れなければいけない程に……辛いこと。いつも優しかったハーヴェンさんが悪魔で、だけどそんなことを心配させないように、僕達にも気を遣っていてくれて。悪魔って、別に悪い奴じゃないんだな……。


「……ハーヴェンは悪くないの。だって、私にもアップルパイ焼いてくれたもん」

「あ、ごめん。僕、悪魔って子供を攫ったり、人間を苦しめたりするものだと思ってたから……」

「ハーヴェンは悪くないもん」

「うん」


 僕達のおしゃべりが終わっても、ツレさんも父さまも母さまも……何も言ってくれなかった。静かな空気が、とても冷たい。そうしてしばらく何も音がない状態が続いた後、ようやくツレさんがしょんぼりしながら、話し始めた。


「……いずれにしても、ハーヴェンがいない状態でエルノアを預かることは、難しいと思います。あれもしばらくすれば、帰ってくると書き置きしていましたし……戻りましたら、改めてお迎えに参ります。それまでは……とても勝手なことですが、ギノも併せてよろしくお願いいたします」

「それは構いませんが……それだけでよろしいのですか?」

「そうですわ。大体、ルシエル様は大丈夫なのですか? 見れば、とてもお辛そうにしていらっしゃいます。……1人では寂しいのではなくて?」

「……大丈夫です。今回に関しては、私も……気遣いが足りなかったようですし……」


 どう見ても、大丈夫じゃないと僕は思う。必死に堪えているみたいだけど、ツレさんはずっと……今にも泣き出しそうな顔をしているじゃないか。


「しばらく、私も1人で色々と……考えなければいけないと思いますし。……申し訳ありませんが、子供達をよろしくお願いいたします」

「父さま……」


 多分、僕が思っていることは父さまも母さまも……そして、エルも同じらしい。エルが父さまに何かを縋るように小さく呟くと、父さまも分かっている、と答える。


「……今の状態であれば、子供達の面倒はテュカチア1人に任せても、大丈夫でしょう」

「えぇ、もちろんですわ。お任せくださいまし」

「……?」

「魔界は現在、人間界の果てにあるヘルヘイムのブルーホールの先にあるそうです。ブルーホールの深淵の先は永久凍土に覆われた、コキュートス……地獄が口を開けているとか」

「コキュートス……?」

「どうでしょう、そちらに出向いて……ハーヴェン殿を迎えに行くというのは?」

「……⁉︎」

「私の翼であれば、侵入くらいはできるでしょう。このまま何もしないよりは、いいのでは?」

「……ですが、あいつはそのうち帰ってくるはずですし……」

「ではなぜ、あなたはそんなにも泣きそうな顔をしているのです。どこかで帰ってこないかもしれないと思っているから、そんなに悲しいのではありませんか?」

「……それは……」

「ハーヴェン殿は私にとって、良き友人でもあります。意外と、同年代の同性というのが周りにいないものでして。いつも相談に乗ってもらっていて、助かっていました。私自身もハーヴェン殿が置かれている状況が気になります。マスターさえよければ……一緒に魔界に参りましょう」

「……いいのでしょうか? そんなことのために、あなたを巻き込んで……」

「別に巻き込まれたなんて、思っていませんよ。私はあなたの精霊なのです。……好きにお使いになればいい」

「……本当にすみません。では、魔界まで付き合ってもらっても……いいでしょうか」

「もちろんですよ、マスター」


***

「我が名において命じる‼︎ 全てを闇と染める翼と、全てを浄化する蒼き炎の咆哮を持って、我に応えよ‼︎ バハムート・ゲルニカ‼︎」

「存じております、マスター・ルシエル」


 私が紡いだ祝詞に従うように、目の前に控えていた紳士が巨大な黒竜へと姿を変える。竜神・バハムート。その大きさは、あれだけ広大すぎるように感じた屋敷の中庭でさえ、小さく感じさせるほどだ。


「キャ〜‼︎ あなた、素敵よ〜!」


 神々しくも、どこか禍々しさを漂わせる姿は……一言で言えば、「格好いい」のだろう。生娘のようにはしゃぐテュカチアだけでなく、2人の子供達も興奮冷めやらぬ様子で彼を見上げていた。


「……では、行ってくるよ。テュカチア、留守を頼む」

「もちろんですわ。ルシエル様もファイトですわ‼︎」

「ありがとうございます。……しばらくの間、ご主人をお借りします」

「えぇ、行ってらっしゃいませ!」


 私が頭に腰を落ち着けたのを確認したのだろう、バハムートは一声鳴くと……翼を一振りして、ふわりと浮き上がる。そしてそのまま、まるで矢のように空を切り裂きいくつもの風を追い越して行く。

 しかし、なんというスピードだろう。眼下に広がる陸地はあっという間になくなり、すぐに海が広がって……そうして少し飛んだ後、海が不自然に口を開けている場所に出た。轟音とともに大量の水が絶えずその穴に流れ込んでいるが、それでも平然と口を開けたままの空間は……まるで、いつまで経っても空腹が満たされない怪物のようだ。


「……ここがヘルヘイム、最果ての地です。おそらく、あの先がコキュートスへの入り口でしょう。少し無理な体勢で降りることになりますが……準備はよろしいですか?」

「えぇ、大丈夫です」

「……承知しました。では、しっかり捕まっていてください。一気に降りますよ‼︎」


 バハムートが器用に翼を折りたたむと、穴へお垂直に飛び込む。轟音で耳がおかしくなりそうな真っ暗な空間でも、抱きつくように握りしめたバハムートの角は煌々と赤い光を灯しており、穏やかな温もりを与えてくれる。彼の方は時折、口から青い炎を吐いては……底までの距離を確認しているらしい。いくつもの青い炎が漆黒に消えたと思った後……いよいよ、底の底にたどり着いた。見上げても、光さえ届かない海の底。ようやく闇に慣れた視線の先には……今度は大きな横穴が口を開けていた。なぜだろう……妙な寒気が体を襲い始める。


「……寒いですか?」

「いいえ……大丈夫です」

「分かりました。おそらく……コキュートスが近いのでしょう。このまま進みますので、しばらく我慢してください」


 急に体に届き始めた寒気を紛らわすように、彼の角で暖を取る。蝋燭に火が灯ったような揺らめきは、温もりだけではなく、見るものをどこか安心させる煌めきがあった。そうしてしばらく進むと、今度は分厚い氷に覆われた一面の銀世界が広がっている。


「ここが……コキュートス?」


 建物らしい建物は見当たらず、生き物が住んでいるようにも見えないが……。


「マスター、下の方をよくご覧ください。……裂け目の向こうに、何か見えませんか?」

「裂け目の向こう……?」


 バハムートに言われて目を凝らすと……確かに、裂け目の先には別の景色があるようだ。あれは……?


「まさか、溶岩⁇」

「そうです。ここは極寒の地獄であると同時に、底の底……つまり、灼熱の地獄でもあるのです。ここまで極端な地形が同居している世界は、他にはないでしょう。更に、この辺りの魔力は咽せかえりそうなくらいに、濃い。悪魔の魔力が総じて高いのも、頷けるというものです。……とにかく、裂け目の先に行ってみましょう。この様子だと、彼らは氷原の上ではなく、下で生活しているように思います」


 彼の提案に異を唱えることも無く、従う。まずは、住人……悪魔を探すのが先だ。それで場合によっては、締め上げて、ハーヴェンがいる場所に案内させる。ここまで来たからには、絶対に後戻りはできない。

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