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天使と悪魔の日常譚  作者: ウバ クロネ
【第14章】後始末の醍醐味
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14−30 その名はエルノア

 一丁前に何かを決意したように、後をついてくるエルノア。その従順さにひっそりと悦に入りながら、ハインリヒはエルノアを丁重にご案内する。どうやら一大イベントの噂を聞きつけたのか、ラボの最奥でもある霊樹の聖域にはティデルにロジェ、タールカや餌になる予定の失敗作が詰められた檻まで揃っている。そんなあまりに禍々しい舞台に連れられて一瞬、足を竦ませるエルノアだったが。それでも、咄嗟に何かを悟ったのか……尚もハインリヒを睨みつける。


「フフフ……本当に、君は気が強いのだから。それはともかくとして、君には僕らが大切に育てて来たあの霊樹を慰めてやって欲しいのです。困ったことに、彼女は魔力を上手く吸い上げられなくなっていましてね。だから……」

「……どうして、お兄ちゃん達はこんなに酷い事をするの?」

「えっ?」


 いつもなら餌と見ればすぐさま枝の姿を借りた触手を伸ばして、生贄の魔力を啜るというのに。その日は何故か、マナツリー・レプリカは沈黙を守っては……捕食をしようともしない。そんな中で、彼の悪巧みを見透かしたようなエルノアの言葉である。流石のハインリヒも、想定外を前に状況を見守るしかないのだが……どうやら静かに見守ろうとしているのは、ハインリヒだけらしい。痺れを切らしたフュードレチアがエルノアの手を強引に引いて、レプリカの不可侵領域に彼女を投げ込もうとしているのを、既のところでロジェとタールカが止めに入る。


「ちょ、ちょっと待ってよ! 僕はエルノアを餌にするために連れて来たんじゃ……」

「うるさいわね、この不完全品が。いい事? この子は私達の霊樹の大切な栄養になるのよ。これ程までに崇高で、光栄なことがあって?」

「だったら、オバさんが食われればいいじゃないか。完全品の竜族様のクセに、みっともない姿に変わり果ててるんだし。最後くらいは、チャチャっと食われちまえばいいんじゃない?」

「なっ! このクソガキが……! 私をオバさんだなんて、どのお口が言うのかしらッ⁉︎」


 ……こんなところで無様に喧嘩をする必要もないだろうに。そんな2対1の喧嘩を横目に見つめながら、当のエルノアが今度は引きずられる事もなく……易々とレプリカの根元に歩み寄っては、その樹皮に手を触れる。そうしてレプリカの胴に額をコツンと充てて、意識を集中し始めた。


(どういう事だ? あのレプリカの根本まで、無傷で辿り着けるなんて……)


 その光景に驚いているのは、ハインリヒだけではない。普通であれば、必要以上に近づく事さえ許されないマナツリー・レプリカの根元に到達したばかりか、肌に触れられる存在なんて……この純白の牙城には唯の1人もいなかった。

 ハインリヒも、ウリエルも。いかに魔力を持ち高次の存在だと自負していた、さるお方であろうとも。不可侵領域……レプリカの狩場に1歩でも入ろうものなら、彼女はすぐさま牙を剥くというのに。だからこそ、エルノアが示した目の前の奇跡には、全ての者を一瞬で黙らせる神々しささえあった。


「……そう、苦しかったのね。無理やりこんなところに連れてこられて、食べたくもないモノを無理やり詰め込まれて。とっても苦しかったんだ……」

「君は、何を言っているのですか? それは……一体、どういう意味なのですッ⁉︎」


 しかし、何かを読み取ったらしいエルノアが紡ぎ出したのは、あからさまな不正解の宣告。良かれと思ってやって来た事を全否定しかねない言葉に、今度は珍しくハインリヒが声を荒げる。

 無理やり連れてこられた? 無理やり詰め込まれた? ……それもこれも全て、君のため。愛しい太古の女神に相応しい霊樹と化身を作るため……そのはずだったのに。


「……あのね、お兄ちゃん。この子……ユグドラシルちゃんには、お兄ちゃん達のお願いを叶える気はないんだって。折角役目を終えて眠っていたのに、無理やり起こされて……無理やり大きくさせられて。だけど、それがとっても苦しいんだって。そのために、ここにいる人達がたくさん悪い事をしているのが、辛いんだって。だからこの子には……もう誰も食べないし、もう大きくなるつもりもないの。お願いだから、そっとしておいてあげて欲しいの」

「な……何を馬鹿な事をッ! もういい! ティデル!」

「えっ? 私? ……この状況で何をさせるつもりなのよ?」

「……この距離であれば、陸奥刈穂の斬撃も届くはずです。小賢しいあの娘を切り刻んで……血を捧げれば、所詮、確固たる意志も魂も持たない植物。霊樹とて本能の赴くままに根を伸ばして、血肉を啜る事でしょう」

「いいの? それ……場合によっては、霊樹そのものを傷つけるかもしれないけど」

「構いません。材料はいくらでもいますし、場合によってはミカを食わせればなんとかなります」

「あぁ……そうなる? そんじゃ、ご遠慮なくっと。カリホちゃん、いくよッ!」


 ハインリヒの激昂で曇った判断を受け取って、面白そうだとばかりにティデルが容赦無く陸奥刈穂を抜き放つ。ティデルは暴れられればそれでいいという、ある意味で単純かつ、欲望に忠実な存在である。だからこそ、ハインリヒも扱い辛いが捨て置けない陸奥刈穂を彼女に持たせたのだし、彼女の方も陸奥刈穂の助言には素直に従って腕前も上げていたようだが……。しかし、今度はいつの間にか本性の姿を現したエルノアは、猛り狂う斬撃さえも気迫だけで消失させて見せた。咆哮をあげる事もなく、魔法を使う事もなく。ただ……睨み付けるだけで、全てを鎮静化させるまでの威圧感。姿こそ小さくとも、霊樹の懐に招き入れられて鎮座するその様は……竜女帝のそれに相応しい威厳を迸らせている。


「嘘……でしょ⁉︎ カリホちゃん、どうなっているのよ⁉︎ 手加減でもしたの?」

(まさか、小生は本気ですよ。ただ……あぁ、なるほど。あの娘……クククク、アッハハハハ! ようやく……ようやく、お会いする事ができました……!)

「カリホちゃん? ど、どうしたのよ?」

(……申し訳ございません、ティデル様。小生にはいかなる理由があろうとも……“本来のご主人様”を裏切ることはできませぬ。ですので……天使を黒く染める者に刃を立てるなどと、恐れ多い事)

「はっ? カリホちゃん、今……なんて?」

(ですから、あの娘……エルノアはクシヒメ様の魂を宿しておいでなのです。小生の刃を受け付けぬのが、その最たる証)


 そんな馬鹿な。誰もがそう思っている矢先に……エルノアの名付け親に心当たりがあるらしいフュードレチアが、ポツリとそれらしい事を呟き始める。何やらエルノアの誕生時には少しばかり、特殊な出来事があったらしい。


「そう言えば……エルノアの名前はドラグニールが直接与えた名前だって、聞いた事があったけど……」


 そもそも、エルノアの名前は父親であるゲルニカでも、母親であるテュカチアでもなく、ましてやエスペランザが付けたものでもない。彼女の名前はエルノアが生まれた時に、ドラグニールが名を刻んだ果実を寄越してまで与えた……福音の真逆を示す名前だった。

 その名はエルノア、正式名称エル・(トンチュア)ノアール。エルの名を持つ者を裁く力さえをも持つ、調律者。それは天使にもたらされながらも、自らの領域に住まう者達の窮状を見捨てた天使に対する、ドラグニールの復讐心の牙でもあり……主人たるマナの女神に追放された、哀れな魂を抱く者でもある。

 だが、彼女は決して邪悪なものではなく、性質は純潔そのもの。不思議な瞳と能力はあらゆる魂の怨嗟や苦悩を救うために存在する、霊樹・ドラグニールが確かに授けた救済の切り札でもあったのだ。

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