2−21 意外と尻に敷かれてんのな
子供達を奥さんにお任せして、案内された書斎は……大きめの机とソファ以外はほぼ本棚で埋まっている、本に埋もれた印象の部屋だった。何となくだが、圧迫感と閉塞感に押しつぶされてしまいそうだ。本棚に並んでいる背表紙を何気なく見てみると、俺でも読める言語の魔法書もあるっぽい。本の並びは……あぁ、なるほど。言語別にきちんと整理されているんだな。
「お、こいつは旧ユグド語か? 珍しいな。ここまで揃ってると、壮観だな」
「いや、恐れ入る。まさか、それを旧ユグドの本だと見抜いてくる御仁がいるなんて、思っていなかったよ」
「ハハッ、これでも悪魔だからな。それなりに長い時間、生きてたりするし。魔法がなくなった人間界じゃ……もう、この魔法文字は使ってないだろ?」
「なるほど。では、その様子だと……もしかして、ヨルム語も読めたりするか?」
「あぁ、悪魔言語か。もちろん、いけるぜ? しかし、悪魔言語で書かれている魔法書は中身は血文字だったり、存在自体が物騒だったりして大抵は禁呪だと思うが。……悪魔言語の魔法書も、ここにあるのか?」
「あぁ。蔵書として、1冊だけ特別な部屋で保管している。この屋敷は魔法書の保管も兼ねている建造物だからね。とは言え、ヨルムはご存知の通り禁書扱いだから……常時、封印が施されているのだが」
「ま、そうだろうな」
そこまで話に花を咲かせると、2人でソファに腰を落ち着ける。さて……ここからは大人の話をしなければならない。
「……で、ギノの様子はどうなんだ?」
「あぁ、予想通り瘴気を取り込んでいた。まだ包帯は取れないが、生えかけている鱗も真っ黒だったことを考えると、既に相当量を取り込んでいるだろう。……でも、なぜだろうな。あの子には何か……信念というのだろうか。あの子を支えている強い意志があるようで、瘴気の毒に負けることなく、驚く程の平静を保っている。更に鱗の生成スピードも思いの外、早くて……昨日と今日の状態を比べても、確実に鱗の数を増やしていた。竜界の魔力濃度を抜きにしても、ここまでの適応力はいい意味で想定外だ」
「強い意志……か。あの子はあの歳で、相当に辛い目に遭ってきたからな。ちょっとやそっとでは、へこたれないのかもしれない。このまま安心していい、ってわけじゃないんだろうけど……とりあえず、今のところは順調ってとこか?」
「そうだな。しばらくは付きっ切りで経過を見るつもりだよ。何より……言い方は悪いかもしれないが、イレギュラーのケースとしては非常に興味深い」
「ほぅ?」
「まさか、現代でデミエレメントの発生と精霊化の変遷を、目の前で見ることができると思っていなくてね。実を言えば、私自身は根っからの学者肌なんだ。どちらかというと、研究とか観察をしているのが好きだったりする。……エレメントマスターでなければ外出は極力、避けるだろうなぁ」
「……引きこもりかよ」
「そう言うなよ。探究心を満たす対象が屋内にあるのなら、別に外出しなくてもいいだろう?」
「そういうもんかね?」
「少なくとも、私はそうなんだ。フィールドワークはあまり好きじゃないし、できれば1日中本を読んでいたい。あぁ、そうだ。今日はこの後、久しぶりにグリム語の研究をしようかな……」
そこまで言って、満面の笑みで魔法書の細かいタイトルを呟き出すゲルニカだが……まさか、この竜神様が根は引きこもり気質だとは思ってもみなかった。そうして、魅惑の魔法書の世界へ旅立って……しばらく物思いに耽ったところで、無事現実に帰ってくる。……これはこれで、危なっかしい気がするが。思い過ごしだろうか?
「あぁ、済まない。ギノ君の事を話さなければ。後の問題は……ギノ君の種類についてなのだが」
「種類? エルノアの鱗が元になっているんだから……同じハイヴィーヴルあたりになるんじゃないか?」
「いや、そうはならないだろう」
「……じゃ、ギノは何になるんだ?」
「このまま行けば、ギノ君は闇属性のハイエレメントを持つことになりそうなんだ。おそらく、あの子は……新種として精霊化する可能性が非常に高い」
「お前と同じような感じになる……ってことか?」
「多分な。今日魔力の扱い方を教えてみたが、あの子が地属性を持っていることが分かった。おそらくホルダーキャリアとして生まれた時点で、四大属性を持っていたのだろう。しかし、驚くことに……ある程度の光魔法も使えそうな上に、闇属性の魔法は初級程度とはいえ、発動してみせた」
「……マジで?」
「元人間だったにしては、随分と飲み込みが早い。幾ら何でも、適応力の高さはあまりに不自然だ。……一体、あの子は何をされて、あの状態になったのだろう?」
「実はさ、その精霊化技術の出どころに関しては……ルシエルのところでも結構、問題になっているらしい」
「と……言うと?」
「あの子を実験台にしていた教会のお偉いさんを拷問にかけたらしいんだが、そいつの記憶に……魔法の封印がされていたんだと」
「人間の記憶に、封印術?」
「そ。で、封印術自体もかなりヤバいものだったらしい」
「なんという魔法なんだ?」
「シールドエデン、という今は使える奴も碌にいないような魔法らしくてな。なんでも、光属性の最高位魔法の1つなんだと。今日こっちに来たのは、ゲルニカなら知ってるかなと思っていた部分もあるんだが。何か、知ってる?」
「知っているも何も……その魔法はかつての大天使・ハミュエル様が、最後に自らの魂にかけたとされる封印魔法だ」
「は?」
「封印魔法はレベルの高低に関わらず、天使にしか扱えない天使言語……マナ語による魔法だ。光魔法の最高位魔法は5種類あったと思うが、いずれもマナ語による魔法のため……他の精霊は絶対に発動することはできない」
「……5種類って、他にどんな魔法があるんだ?」
「確か……シールドエデンの他には絶対終末と呼ばれ、全てを粛清する攻撃魔法・アポカリプス、全ての攻撃を防ぎ滅びの運命を捻じ曲げるという絶対防御魔法・ハイネストプリズムウォールに……肉体がなくとも、魂から死者を蘇生させる完全復活魔法・リザレクション。それと……あぁ、そうだ。死者を新たな命として転生させる復活魔法・リンカネート……だったかな? いずれも自然の摂理を曲げかねない、禁呪級の魔法だろうな」
なんか、その防御魔法……聞き覚えあるんだけど。それをあの時は、トリプルで発動していたと思うが……今更ながら、ツレの恐ろしさを思い知る。そして……その防御魔法をしても完全に防ぎきれなかったラディウス砲とやらの威力を更に思い出し、ツレだけではなく天使は基本的に恐ろしいものだと思い直して、身震いした。
「にしても、今は使える奴がいないはずの魔法をかけられていた人間がいる、と。……なんか妙だな」
「そうだな……少なくとも、シールドエデンの行使に関する魔法書はここにもないし、もしその魔法を使った者がいるとするなら、天使の中に継承している者がいると考えた方が自然だろう。マナ語の魔法については、私も分からないことが多くてな。あまり役に立てなくて、すまない」
「いや、そんなことないぞ? 少なくとも、お前の方が光魔法については遥かに詳しいんだし。とにかく、天使以外が使えない魔法だってことが分かっただけでも、御の字さ」
「そう言ってくれると嬉しいよ。他にも役に立てそうなことがあったら、いつでも相談してくれ。それでなくとも、君達と交流を持つようになってから私自身、見識が広がったようで助かっている」
「そうか? 俺の方もそう言ってもらえると助かるよ。……とにかく、今はギノのことを引き続きよろしくな。押し付ける形になっちまって、悪いんだけど」
「いや、気にするな。あの子はスジがいいし、私の方も教えがいがある。それに、テュカチアも喜んでいてね。最近は機嫌も体子も、とてもいいみたいだ」
「え……? あの奥さんにも、機嫌が悪い時とか……あるの?」
「もちろん、あるさ。あぁ見えて、機嫌を損ねると大変なんだ。……しばらく、口を利いてくれなくなるし」
「……お前、意外と尻に敷かれてんのな」
「……そう言ってくれるなよ」
ちょっぴり困ったような顔をして、ため息をつくゲルニカ。ニカちゃん……か。竜神様も、奥さんにはトコトン弱いんだな。ゲルニカには悪いが……その様子に、ちょっと安心してしまった。