2−17 ハードモード
ギノの今後についてあらかたの話が済んだところで、ゲルニカが奥さんを呼ぶ。きちんとお茶のおかわりを運んでくるところを見ても……本当に気配りが行き届いていると、感心してしまう。しかし、子供達の姿が見えないが……どうしたのだろう?
「絵本を読んでいる途中で、お昼寝になってしまいまして……」
奥さんの話では、子供達は途中で眠くなってしまったらしく、今は2人で仲良くベッドの中だそうだ。
「……そういう訳で、ギノ君をこちらでしばらく預かることにした。勝手に決めて、済まないが……私がいない間は、世話をお願いしていいだろうか」
「あら、そうなんですの? もちろん、よろしくてよ。それでなくとも……私自身、男の子も欲しいと思っていましたし、こんなに素敵なことはありませんわ!」
そう言って、尻尾をブンブン振りながら……今までにないくらいに、はしゃぐ奥さん。あ、この様子だと建前でもないっぽい。心なしか……ゲルニカがものすごーく申し訳なさそうな顔をしているが、下手に踏み込まない方がいいだろうか。う〜ん。でも折角だし……参考までに、最後にちょっと「その辺のこと」も聞いておきたいんだが……。
「なぁ、個人的な興味本位で……とっても不躾な質問をしてもいいだろうか?」
「興味本位? ギノ君のこととは、無関係な事かい? 別に構わないが」
「そか。じゃ、遠慮なく。……夫婦になるって、どんな感じなんだ?」
もちろん彼らは同じ種族同士の組み合わせだから、俺の場合とはちょっと違うのだろうが。ゲルニカはなんて答えるだろう?
「夫婦、か。そうだな……あまり考えたこともなかったが、私の感覚としては共同体、という言葉がしっくりくるかな」
「共同体?」
「そう、共同体。お互いを思いながら、何かを一緒に成し、育み、生活する。もちろん常に一緒という訳ではないが、最も長い時間を過ごす相手でもあるだろう。……それでなくとも、竜族の婚姻は一度きり、相手も絶対に1人だ。片方が亡くなった場合は、後添えを持つことも許されない」
「おぉう……」
なんという、ハードモードな一夫一婦制。えっと、確かゲルニカは竜女帝の命令? で奥さんと一緒になったんだよな? 彼らの場合、うまくいっているからいいものの。ある意味……相手の一生を制限することでもあるんじゃ……?
「ある程度の相性は考えて婚姻を結ぶが、最終的には当人同士の希望によるところが大きい。もちろん、異属性同士の婚姻も可能だ」
「あ、そうなんだ」
「生まれてくる子供の属性は、両親のどちらかに依存します。例えば……炎属性と水属性の竜族同士で婚姻を結んだ場合は、炎属性か水属性の種類の子供が生まれてくることになります。私達は両方とも炎属性ですが、実際は違う属性同士で一緒に暮らす人も多いんですよ」
そう奥さんがウキウキして、言葉を追加する。さっきから妙にテンションが高い気がするが、どうしたのだろうか。
「夫婦になるって、本当に素敵なことですわ。毎日を共に過ごして、夜は一緒に眠りについて……」
そこまで言って、1人できゃ〜……と頬を抑えて、クネクネする奥さん。これは……変なスイッチが入ったっぽい。
「テュカチア、今はそういう話をしている訳では……」
俺としては、そっちの話も聞きたいから、この流れでいいんだけど。いつもの従順な感じから、ちょっと浮いた感じの雰囲気に大丈夫なのかと……つい、心配になってしまう。
「と、とにかく。夫婦になるというのは、他人だった者同士が一緒に暮らして……互いを思いやるということだと、私は思うよ。そんな相手がいることは、とても素敵なことだ」
あっ、強引に話をまとめやがった。不穏な空気を察知したらしいゲルニカには申し訳ないが……奥さんのこの様子だと、もうちょっと探ってみても良さそうな気がする。
「ところで……夜の頻度はどのくらい? そういうのって、どっちから言い出したりするの?」
「まぁ、それ……聞いちゃいます?」
「うん。かなり興味ある」
俺がいよいよ更に踏み込んだ質問をしてみると、答える気満々の奥さんを遮るように……ゲルニカが慌てた様子で口を挟む。
「先ほどから気になっていたが、もしかして……ハーヴェン殿にはそういうことを考える相手がいる、ということか?」
「まぁ、な。ちょっと深い仲になった相手がいてさ。ただ、どうすればいいのか分からなくなっててな。最近、距離感を掴み損ねている、っていうか」
「まぁ、そうでしたの。そういう時は、殿方の方からグイグイといきませんと!」
ゲルニカの制止も虚しく、妙なテンションで奥さんが自信満々に答える。何だろう……いろんな意味で大丈夫か、コレ。
「テュカチア……済まないが、少々黙っていてくれないだろうか」
「あら、どうしてですの? それでなくとも、あなたはいつも遠慮しすぎですわ。私の体が弱いのは仕方ないですけれども、もう少し強引でもよいのではなくて?」
「いや、それは。だから……」
「大体、週に1〜2回なんて少なすぎます! 私に魅力がないのかと、心配になるでしょう?」
「テュカチア、頼むから……お客人の前で、そういうことは……」
ゲルニカは奥さんの体を気遣って、そういうことは控えている、と。でも、奥さんの方は男の子も欲しかったとか言っていたし……結構、積極的なのだろう。この様子だと、そういうことを言い出すのは奥さんの方っぽいな。……なんと、羨ましい。
「ハーヴェン殿。ちょっと、テュカチアの様子が、その……申し訳ないが、テュカチアの方はこれ以上の話は難しそうな状態なんだが」
ゲルニカをして……ここまでしどろもどろにさせるなんて、奥さん凄いな。で、当の奥さんは妙な空間に入り込んだらしい。顔を赤らめて、何やら嬉しそうに物思いに耽っている。
「いや……相談とは言え、変な方向に水を向けたのは俺の方だし、なんかゴメンな」
「ところで、ハーヴェン殿の言う相手って……ルシエル様はご存知の方なのか?」
「ん?」
「あっ……済まない。ほら、ハーヴェン殿はルシエル様と契約している身だろう? もし相手が悪魔とかだったりした場合は、大丈夫なのかと思ってな」
「あぁ、そうだよな。うん、それは大丈夫かな。……実を言うと、相手はルシエルだったりするし……」
ここまで迷惑をかけてしまったのだから、このくらいは正直に白状してもいいかもしれない。どんな風に受け取られるかは分からないが、ゲルニカ相手に隠すことでもないだろう。
「そうだったのか。あの気難しそうなルシエル様と……確かに、それは迷うところも多そうだな……」
あっさり俺達の関係性に納得し、俺の苦悩にまで寄り添えるとは流石、ゲルニカ。俺が突っ込まれるだろうと身構えていた、天使と悪魔の組み合わせというかなり重要な部分を……華麗にスルーしやがった。
「あぁ、そうなんだよ。あれでいて、ルシエルは分かりづらいというか……素直じゃないというか。予想を外すと、大変なんだよな。……何を求められていて、何をしてやればいいのか、見当つかないことも多いし……」
「他人同士で暮らす、というのはそういうものだろう。正直なところ、私達も最初からうまく鞘に収まっていたわけではないしな」
そう言って、ゲルニカは相変わらずふわふわしている奥さんを見やる。
「そう言や……ゲルニカのところって、女帝様が決めた結婚なんだよな?」
「ん? そんな話、したことあったか?」
「いや。エルノアが前、そんなことを言ってたもんだから」
「そうか。あの子が知っている分には、それでもいいかもな。……表向きは一応、それで合っている」
「表向き……は?」
「それ以上は秘密だ。……とにかく夫婦になるというのは、本当にいろんなことがあるんだよ」
「ウフフ、少なくとも私は主人と一緒になれて、とても幸せですわ」
ちゃっかり戻ってきて、嬉しそうにそう締め括る奥さん。奥さんは妙な乙女具合を発揮したままだが、幸せそうで何よりだ。
「……さて、そろそろ帰ろうかな。エルノアも起きてこないみたいだし、今日はこっちに2人とも預けて構わないか?」
「あぁ、それで構わないよ。もし手間でなければ、明日も来てくれると嬉しい」
「そうさせてもらう。今日は長い時間付き合わせて、悪かったな」
「いや、大丈夫だ。いつでも、お待ちしているよ」
「私も、いつでも歓迎いたしますわ。あ、それと……ちょっと待ってくださいまし。お土産をお渡ししますから」
そう言われて、大人しく待つこと数分。頬を赤くしながら戻って来た奥さんの手には……いつものお茶の他に、何かが詰まった小瓶が収まっている。中には桜色の岩塩のようなものが詰められているが……これ、何だろう?
「ローズの香りの入浴剤ですッ! 私はいつもこれを使って、主人に合図いたしますッ!」
「いや、だから‼ そういうことを、恥ずかしげもなく言わないでくれと……」
合図、ね……。何の合図かを問うのは、流石に野暮だよなぁ。……それでなくても、既にゲルニカがものすごく苦しそうだし。お〜い、大丈夫か〜?
「フフフフ……この香りに包まれれば、どんな時でもムード満点ですわ!」
「そ、そうなんだ……」
ご主人を慮る事も忘れた奥さんに、そう言われて若干強引に押しいただく。……入浴剤か。具体的な活用方法はともかく、これなら疲れているルシエルにも効果がありそうだし……ありがたく使わせてもらうとしよう。
「因みに私は今夜、使うつもりですわ。ハーヴェン様も頑張ってくださいまし!」
「あ、そいつはどうも……」
シュビっと親指を立てて、「グー!」と胸を張る奥さん。あぁ。……このジェスチャーは母親譲りだったんだ。
「頼むから……! 人前でそういう話題は、控えてくれないかな……!」
満足げな奥さんの横で、最後は顔を赤らめながら、小さく呟くゲルニカだけど。心なしか、長身なゲルニカが……物理的にも小さく見える。
「なんか、色々ごめん。にしても……お互い、苦労するな?」
この話の流れを作ったのは俺だし、確実に被害者でしかないゲルニカを労うように耳打ちする。そして……ゲルニカも疲れたように応える。
「あぁ、大丈夫だよ。テュカチアはふとした拍子に、妙な状態になることがあって……あんまり気にしないでくれると助かるよ……」
精一杯の力無い笑顔で、ゲンナリとしたゲルニカが呟く。それにしても……何だろう。どことなく、エルノアのイヤイヤ期の雰囲気が、奥さんに似ている気がしたのは気のせい……だろうか?