1−4 「恥さらし」の落ちこぼれ
ルシエルは俺が目を覚ます頃には、いつも既に出かけている。俺が人間界に来て、3年ちょっと。毎朝毎朝、いつもそう。アイツは決まって、1人になりたがる。まぁ……相手が悪魔では、それも仕方ないけれど。必要以上に避けられている気がして、かなり寂しい。
「気を取り直して……まずは掃除、だよな」
自分で言うのもなんだが、俺は綺麗好きな方だと思う。
家中の塵を掃き清め、丁寧にモップをかけて。古い板間でも磨けば随分マシになると思うし、日課になりつつある掃除をしていると気分も上向くから、不思議だ。
毎日欠かさず磨き上げている、広すぎず狭すぎない適度な大きさの愛しの我が家。この家はタルルトの壁外にある廃屋だったのを「復元して」勝手に住んでいるのだが、咎めるものも現れないところを見るに……家人はとっくに絶えているのだろう。……無理もない。今の人間界は「色々とおかしい」状態なのだから。
掃除が終わったところで、お待ちかね料理の仕込みに取り掛かる。今日の夕飯はチーズとキノコを使ったキッシュに、エビのビスクの予定。メインはローストビーフにマッシュポテト、そこにニンジン・インゲンを蒸したものを添える……と。
食材はルシエルが「仕事帰り」にまとめて持って帰ってくる。必要な食材のメモをいつもテーブルの上に置いておけば、帰りにはきちんと食材を揃えて来てくれるのだが……食材を買ってくるのか貰ってくるのかは、俺には分からない。ちょっと珍しものを頼んでもリストの食材を欠かしたことがないところを見るに、アイツの行動範囲は結構広いのかも知れない。ここから1番近いタルルトは小さな寂れた町だ。そんな辺境の町で、リクエストに応えられるだけの食材が確保できるとは思えなかった。
「あのぅ、おはよう……」
エビのワタを取り除いて潰しているところで、背後から声を掛けられる。その声に振り向けば、昨日ルシエルが連れ帰ってきた女の子がちんまりと立っていた。尻尾とお揃いの銀色の髪に、パッチリとした金色の瞳。子供ながらにきちんと髪を束ね、服装にも乱れがない。躾が行き届いている証拠だろう……多分、彼女の言う「父さま」と「母さま」は、この子をとても大事にしていたのだ。
「お、目が覚めたか。どうだ、気分は。痛いところはないかい?」
「……大丈夫みたい。ありがとう……えっと」
「ハーヴェンだ」
「ありがとう、ハーヴェン」
「おう。ところで、朝飯でも食うか?」
「うん!」
誰かに朝食を出せる日が来るなんて思いもしなかったが、これも何かの縁だろう。残り物の材料で手早くスープとオムレツを彼女に用意してやれば。目を丸くしながらも、さして警戒する事もなく小さな口に料理を運び始めた。そうして幸せそうに頬を染めてもらえると、どことなく俺も嬉しい。やっぱり食事は……美味しそうに食べてくれる相手がいないと、つまらないよな。
***
エルノアのことは報告したほうがいいのか思いあぐねたが、両親に会わせてやると約束した以上……報告するとともに、彼女の精霊データを登録するべきだと判断した。多少の便宜を計ってもらえる可能性があるし、淡い希望ではあるが……早く約束を果たしてやれるかも知れない。
しかし、本来は自分の住まいであるはずなのに、相変わらず神界は居心地が悪い。それも無理はないか。自分は下級天使、しかも「恥さらし」の落ちこぼれなのだから、高慢な天使達の「話題のタネ」にされ易いのは、重々承知だ。そんな事を考えながら、エルノア……ハイヴィーヴルの情報を登録するため、自分の精霊帳を記憶台に安置する。
精霊帳は見た目は古ぼけた、ただの手帳に見えるが。中身は魔力回路と記録結晶の魔石、簡易的な情報を収集するためのサーチ鏡という、相手の魔力レベルをある程度感知するレンズを搭載した、神界最新鋭のデバイスだ。各員の契約した精霊データを、記憶台と呼ばれる大きな鏡のような台座に収めることで、集積されたデータの差分を埋める事ができる。また、巻末には各員の固有情報も記録されており、個人が契約している精霊の情報は別枠でこちらに記載される。精霊帳は精霊の図鑑であると同時に、天使それぞれの管理データも全て記載されているため、実質は神界での身分証明書も兼ねる。
精霊にはそれぞれ「得意分野」があり、彼らの特徴をアップデートした精霊帳で確認し、最新情報を把握するのはとても重要なことだ。彼らはそれぞれ、「エレメント」と呼ばれる属性を必ず1つ以上持っている。四大属性は互いに得意不得意な相手が決まっており、魔力レベルが同等の相手と対峙する場合、エレメントの相互関係も考えなければいけない。
一般的には炎属性は地属性には強いが、水属性には弱い。
その水属性は炎属性には強いが、風属性には弱い。
そして、風属性は水属性に強く地属性に弱く、地属性は風属性には強いが炎属性には弱い。
精霊に力を借りる時に、彼らの能力と属性を把握しなければ精霊をうまく扱うことはできず、「うまく扱えなかった」結果で魔力を余分に消費した場合は契約主……つまり、天使側の方で補填する決まりになっている。魔力の補填量は精霊との関係にもよるが、基本的に自分が扱える魔力レベルより高位の相手に力を借りる場合は無理に命令せず、彼らのやり方を優先した方がいいだろう。と言うのも、相手のレベルが高ければ高いほど呼び出した側が大量の魔力を消耗させられる羽目になるし、レベルの高い精霊の能力は得てして大量の魔力を消費する事が多い。場合によっては補填分で一気に魔力を持って行かれ、天使側が死にかけることもある。
……と思いつつ、実は私自身は長らく精霊帳をアップデートしていない。精霊帳は所有者の天使の詳細な状態も同時に管理している性質もあり、持ち主の意思とは関係なく最新の状態にされてしまう。要するに、アップデートするデータを選んで登録するという器用なことができないのだ。
今の私の精霊帳には「アップデートしたくないデータ」……悪魔との契約データがあるため、データの同期を敢えてしていなかった。とは言え、遅かれ早かれ登録しなければいけない内容でもあるわけだし、私が契約している以上彼は「精霊」として扱われるはず。人間界の約3年間に該当する期間、悪さをしなかった実績もあるし……多分、大丈夫だろう。
やや不安まじりで、処理が完了するのを待っていると……特にエラーもなく精霊帳が手元に帰ってくる。記録された内容を確認すると、エルノアもハーヴェンも新種のため、登録者に私の名前が記載されていた。……ハーヴェンは竜族以上に希少種だと思うが。どうやら、記憶台は彼を一応は精霊と見なしたらしい。
【ハイヴィーヴル、魔力レベル6。竜族、炎属性。ヴィーヴルの上級種。補助魔法と回復魔法の行使可能。登録者:ルシエル】
【エルダーウコバク、魔力レベル9。魔神、水属性。ハイエレメントとして闇属性を持つ。攻撃魔法と補助魔法を行使可能。登録者:ルシエル】
エルノアの挿絵はある程度、予想通りのドラゴンの姿だが。ハーヴェンは見るからに悪魔の姿をしており、精霊というにはなんか、こう、禍々しいというか……。それに、種族が魔神とか。……どう考えても、怪しい。
色々な意味で想定外だが、無理やりにでも彼を精霊扱いしてくれた記憶台に感謝した方が良さそうだ。そうして自分の精霊帳のデータを確認して安心した後、今度は人間界の監視データを報告して報酬を受け取りに出向く。
監視データは自分の監視領域の上空に据えられている、通称・「塔」と呼ばれる魔力探知機の情報から、報告に値するものを精査し……必要があれば別途調査の上で、結果もまとめて提出するようになっている。特筆すべき内容がなければ、業務内容はアッサリしたもの。塔から吸い上げた情報を添削して、手持ちの記録帳に書き込んだものを監視台に置くだけで済んでしまう。
精霊データと同様、監視データも監視台という登録内容を蓄積している親になる機器があり、そちらに置けば勝手に情報を吸い上げてくれるのだから、待っている間は手持ち無沙汰もこの上ない。私の仕事である人間界の監視では報酬は大した量にはならないが、それでもハーヴェンのおねだりリストの品物を揃えるには十分な量になる。
報酬は希望の品物を具現化するチケットで賄われるが……それすらも天使の固有データも管理している精霊帳に、数値化されて表示されるだけであるため、実質はチケットと呼べるのかどうかも甚だ疑問だ。何れにしても、通称「徳積みチケット」と呼ばれる数値を集めることで、天使は昇進したり、仕事に必要な部材を整えたりするのだが。仕事の内容と手持ち武器の関係上、それらを新調する必要のない私は食材にしか利用していない。そのため、だいぶ余ってはいるものの。……次の昇進は遥かに先だ。
「……竜界は遠いな」
「おやおや、あなたは恥さらしのルシエルじゃぁ、ありませんか⁉︎」
「……これは、アヴィエル様。先日は昇進おめでとうございます」
精霊帳と睨めっこをしながら、ため息をつく私の背中に癇に障る声が被さる。振り向けば……大勢の取り巻きを引き連れて、6枚の翼を態とらしく広げた長髪の天使がこちらを見下すように立っていた。これはまた、選りに選って嫌な奴に出くわしたな……。天使は基本的に、華美な服装をすることはないはずだが。きっと、権力者らしく見せかけるためなのだろう。明るめの榛色の髪に合わせたつもりなのか、豪華な黄金色のロングドレスがやたらと鼻につく。輝いているのは、無駄に多い翼だけでいいものを。そこまでして、似合いもしないキラキラ感を演出したいんだろうか?
「まぁ、当然の結果だけれどもね。私はいずれ、大天使にまで上り詰める期待の星なのですから」
(自分で言うか、普通……)
私がげんなりしているのを感じ取ることもせず、アヴィエルは詮索をやめるつもりはないらしい。更に嫌味な調子で突っかかってくる。
「ところで、今日は何しにいらしたのです? あなたの薄っぺらい報告を提出するだけなら、こんなに時間はかからないはずでは?」
「えぇ、2体ほど精霊データを登録しました。新たに契約した精霊がいたものですから、忘れずにデータのアップデートをしておこうと思いまして」
「ほぉ? どんな低級精霊ですか? 既に登録されている精霊を登録しても、意味ないのですよ?」
彼女の言葉に、クスクスと取り巻きがわざとらしくざわめく。相手にしない方がいいのは分かっているが、流石に鼻を明かしてやりたい気持ちが優って、つい登録内容を教えてしまう。
「魔力レベル6の竜族と、魔力レベル9の魔神を登録しました。両方、新種のようです」
「竜族ですと? そんな見え透いた嘘をついて、どうするのです?」
「嘘かどうかは、後でご自身の精霊帳をアップデートして確認してください。……登録者に私の名前が載っていますから」
「有り得ない! このアヴィエルですら会うことさえできない、竜族ですと⁉︎ しかも魔神? それは一体⁉︎」
「あぁ、自分の監視領域にやってきた悪魔と話を着けたのです。私の監視下に置いているので、悪さはしません。現に、記憶台も精霊として認識したようです」
私のちょっとした逆襲に、アヴィエルが顔を赤くして明らかに悔しがっているのが分かる。意地が悪いのは承知だが、かなり気分がいい。
「……では、私はこれで失礼します。仰る通り、薄っぺらい報告書は提出ずみですし。人間界の時間は進みが早いので、さっさと帰らないと監視に差し支えます」
追い討ちをかけるようにわざと慇懃にそう言い残し、そそくさと立ち去る。背後から悔しそうな金切り声が聞こえた気がしたが、無視することにした。冗談ではなく、人間界の時間の進みは本当に早いのだ。こちらでは数時間かも知れないが、帰ると既に夕暮れになっていることもあるので、うかうかしていられない。
……本当は報告書を出した後は、人間界に戻る必要もないのだが。今の私には幸か不幸か、帰る場所がある。居心地が悪い神界よりも、暖かい食事が待っているあの家に帰った方が、精神衛生的にも遥かにマシというものだ。