10−7 青空を持ち帰りましょう
勢いで美術館に行くことになったため、カフェの存在をすっかり忘れていた事に、今更気づく。こうして出かけてきたのだから、それらしくリッテルにケーキを食べさせるつもりだったのに。
そんな事を考えながら、気まずい俺とは裏腹に……リッテルは街中の景色を楽しそうに見つめながら歩いている。
「あなた、どうしたの?」
「実はさ、カフェもオススメの場所を教えてもらってたんだけど。寄るのを忘れてたな……なんて、考えていて。さっきのレッドの方にあったみたいだから、引き返すのもな……」
「そうだったの? でしたら、逆にハーヴェン様にも教えてあげられるくらいに素敵なお店を探しましょ?」
「うん、それでもいいか。どうせ、俺は菓子類はいらないし」
そんな事を話しながら歩いていると、マダムの言っていたブルー・アベニューに出たらしい。一際大きな通りは、さっきのレッド・アベニューとはまた違った雰囲気で賑わっている。
「さっきの大通りは人出が多い割には、落ち着いていた雰囲気があったけど……。こちらの大通りは人が多いなりに、活気があるというか」
「そうみたいだな。えっと……美術館はどっちだろう?」
目的地を探して辺りを見渡すと、道の端で絵を売っている露店が多い事に気づく。どうやら美術館が連なる目ぬき通りとあって、土産物類も美術系統に特化しているみたいだ。
「あ、あの……何かご用でしょうか?」
「あ?」
俺が通りの風景に納得していると、横でリッテルが困った声を出している。見れば……彼女の前には3人の少しチャラついた格好のお兄さんが立っており、ニヤニヤしながらリッテルを見つめていた。
「嫁さんに何か用?」
「嫁? 何、言ってるのボクちゃん。この可愛子ちゃんが嫁だって?」
「ハハ、姉弟の間違いだろ?」
「間違いじゃないけど。ナンパなら、他所を当たってくれる? 俺達は美術館に行くところなの」
「そうなの? だったら、どう? 僕達が代わりに案内してあげるよ?」
せいぜい20年モノの人間にボクちゃん呼ばわりされるなんて、思いもしなかったが。こういう輩は相手しないに限る。そうして彼女を庇うように背後に移動させると、そのまま歩みを進めようとするが……当然ながら、彼らは彼らで数にモノを言わせて道を塞いでくる。あぁ、どうしようかな。このまま大人しく引き下がればいいものを……。
「……すみません。私も主人と2人きりで楽しみたいので、放っておいて下さい……」
「主人? 嘘……本当に奥さんなの、君」
「はい……あなた、行きましょう? 美術館の場所は他の方に聞けばいいでしょうし」
「そうだな。そういう事で、道開けてくれる? ほら、退いた退いた!」
「あぁ⁉︎ 人が案内してやるって言ってるのに、何だ、その態度は⁉︎」
「いいから、可愛子ちゃんと金を置いて、ボクちゃんはトットと失せな!」
「チィ……さっきからウルセェなぁ……。リッテル、少し下がってろ」
「は、はい……」
結局、こうなるのな。さっきからリッテルが目立ちに目立っているのは、何となく分かっていたけど……ここまで絵に描いたようなチンピラに絡まれるとは、思いもしなかった。
それにしても、武器もナシに殴りかかってくるか。しかも、どこをどう頑張っても弱々しいパンチは受け流すのさえも馬鹿馬鹿しいくらいに、基本すらなってない。3人居たところで連携を取るわけでもなし、間合いを測ることもなし。ターゲットが悪かったとは言え……ここまで弱いとなると、普段どうやって過ごしているのか、却って気になる。
「……俺相手に、素手で掛かってくるのは褒めてやるが。喧嘩を吹っかけるのは、自分より弱い奴にしておけよ。穏便に済ませてやろうと思ってたのに、人のご厚意を台無しにしやがって」
「こ、こいつ……何者なんだ?」
「クソッ! 調子に乗りやがって!」
「……調子こいてんのは、てめーらの方だろうが。いい加減にしとけよ……?」
チンピラ的には調子に乗っているらしい俺の顔目掛けた拳を受け止めると、仕方なしにお仕置きついでに、その手を握りつぶす。そうして掌に骨が砕ける音と感触がしっかり伝わってくると同時に、目の前から悲鳴が上がるが……色々と気づくのが遅ぇよ。
「だから、言わんこっちゃない。あ〜ぁ……今日は楽しいデートのはずだったのに、お前らのせいで気分も最悪だ。どうしてくれんだよ、あぁ⁉︎」
血まみれになった手を引っ込めると、リッテルが甲斐甲斐しくハンカチで汚れを拭き取ってくれる。暴力沙汰になったことはともかく、そんなサービスをしてもらえたのなら……今回は良しとしようか。
「ヒィッ!」
「す、すんませんでしたッ!」
「手、手が……」
「滅多斬りにされたくなかったら、サッサと失せろ……と言いたいとこだが、悪い。失せる前に、美術館がどっちかだけ教えてくんない?」
ほれほれ。殺されたくないんだったら、トットと美術館の場所を教えな、人間のボクちゃん共。
「え……は?」
「……び、美術館はこの道をこのまま、まっすぐ行ったところの突き当たりにあります……」
「そう? リッテル、美術館はあっちだって」
「え、えぇ。あなたは相変わらず、いつでも冷静なのね……」
「あ? 出所はともかく、情報収集は基本だろ。行くぞ」
「はい……皆さま、ご機嫌よう。……お手の怪我、お大事に」
流石に、街中で魔法を使う訳にもいかないんだろう。心ばかりの挨拶をしてやったところで、少し怯えた様子のリッテルが腕に抱きつき直してくる。
「……疲れたか?」
「いいえ、大丈夫よ。……ごめんなさい」
「どうして、お前が謝る?」
「こんな風に目立ってしまうのだったら、赤いワンピースにしておけば良かったな、って思ったの。……白は目立ちすぎるのかしら」
「いや、お前はどう頑張っても目立つだろ」
気にするポイント、そこなの? リッテルは自分がどんな風に見えてるのか、本当に自覚がないのかなー……。
「どーせ、赤い方を着ていても絡まれたと思うし。気にすんな」
「そう……かな」
「それはそうと……美術館に行く前に、休憩しない? 折角だし、俺はコーヒーが飲みたい」
「……そうね。私もそろそろ、甘いものが食べたいな」
甘いもの、か。さて、どんなものがいいんだろう。自分が甘い物が苦手な分、何が彼女のお口に合うのかが、今ひとつ分からない。そうして、分からないなら分からないなりに、それらしいカフェを見繕って入ると……すんなりと妙に目立つ席に案内される。多分、客寄せも兼ねているんだろう。……こんな所でもリッテル効果が発揮されている気がして、肩身が狭い。
「こちらがメニューになります。お決まりの頃、お伺い致します」
「あっ、ハイ……」
渡されたメニューには、コーヒーと書かれたページだけでも随分な種類が並んでいるのが目に入る。どうしよう。まさか、コーヒーにこんなに種類があるなんて、思いもしなかった。一方でリッテルはその辺の知識もあるのか、すんなりとお茶の中から頼みたいものを選び出すと、ケーキをどれにしようか迷い始めていた。
「リッテル……ちょっと、聞いていい?」
「何かしら?」
「……俺、コーヒーって1種類だと思ってたんだけど。この中で美味しいのって、どれだろう?」
「ふふ。でしたら、ブレンドをお願いするといいわ」
「ブレンド?」
「えぇ。色んなコーヒー豆を合わせて、香りと苦味をバランスよく整えてあるはずですよ。ですから、迷った時はブレンドを頼むのが無難だと思うわ」
「ほぉ〜」
そんな説明をくれつつ、甘い物も決めたらしいリッテルがウェイターを呼ぶ。そうすると、何故か競うように3人が寄ってくるが。オーダーを取るのは、1人でいいんじゃ……?
「俺はブレンドコーヒーで」
「私はイチゴとカスタードのクレープ包みプレートと、アールナーシャをお願いします。あ、紅茶にはミルクを付けてくださいね」
「か、かしこまりましたッ!」
「あ、あの!」
「お嬢さんはこの後、どちらに行かれるのですか?」
リッテルをデートに誘いたいのか、注文をお願いしてもウェイター共が引っ込まない。俺の存在が目に入らないらしい彼らを見れば、非常に気に入らない表情でリッテルを見つめている。
「悪いけど、嫁さんのレンタルはお断りだ。ナンパなら他を当たれ」
「よ、嫁……」
「あ、ご結婚されているのですか……」
「頼むから、サクッとオーダー通してくれないかな。……ったく、久しぶりに2人きりになれたと思ったら、これかよ。外野が多すぎて、休憩も落ち着いてできやしない」
そう言い捨てて、不機嫌混じりに睨みつけてやると。ふと我に返ったのか、慌てて引っ込む外野共だが……どうして人間っていうのは、こうも下心丸出しなんだろう。理性はどうしたよ、理性は。
「外野、ね。……フフフ。あなたったら、意外と心配性なんだから」
そりゃ、心配にもなるだろうよ。現に、さっき絡まれたばっかだし。あなた、自分が注目の的なの……お分かり?
「でも、大丈夫。私にとって、この世界にあなた以上に素敵な人はいません。どんなに大勢の殿方が付いてきたとしても、あなたの隣以外は歩かないわ」
「……リッテルってさ、小っ恥ずかしい事をサラリと言うよな。それ、却って恥ずかしいだろ……」
「あら、照れてるの? もぅ、本当に可愛いんだから」
……やっぱ、自覚ないワケね。俺を可愛いとか言いながら、嬉しそうにコロコロと笑うリッテルだけど。こちらに注目しているのは、ウェイターだけじゃないんだが。彼女のちょっとした宣言のあたりから、妙なため息が聞こえ始めたのは……気のせいじゃないと思う。
「……その辺はもう、どうでもいいか。それにしても、空が随分と青いな。俺……こんなに鮮やかな色、初めて見たかも」
「秋晴れの季節ですから、とっても綺麗よね。それにしても……そう。あなたは今まで、青い空を知らずに生きてきたのね……」
「空は青いんだって言われたこともあったけど、実際に見上げるのは初めてだな。……青は嘘っぱちで、空は黒いもんだとばっかり思ってた。出かけても、晴れてたことなんてなかったのもあるけど。だから……空の色は曇りのグレーか、夕焼けのオレンジか。それと、真夜中のブラックしか知らない」
改めて見上げる空は、バカみたいに澄んだ青をしている。その青がどことなく、自分が以前よりも自由になったんだという事を証明しているようにも見えて、気分も晴れてくるから不思議だ。
「でしたら、綺麗な空が描かれた絵を買って帰りませんか?」
「絵を?」
「えぇ。この辺りで探せば、きっと見つかると思うの。折角ですから、思い出と一緒に青空を持ち帰りましょう?」
「絵か……うん、そうだな。帰りに探してみようかな」
青空を持ち帰る……か。例え、絵に描かれただけだったとしても。陰気臭い家の壁に掛かっているだけでも、随分と雰囲気は伝わるだろうし……そんな事を考えると、ガラにもなくワクワクしてくる。自分が美術品に手を出すなんて、小洒落た真似をする日が来るなんて思わなかったけど。……それはそれで、悪くない。
「お待たせしました。ブレンドコーヒーをご注文のお客様はどちらでしょうか?」
「あ、はい。俺です」
そんな事を話しながら空を見上げていると、今度はウェイトレスが注文の品を運んでくる。そうして笑顔で丁寧に注文の品をテーブルに並べつつも、端々に見えるどこか疲れた表情が気になった。働くっていうのは、こういう事なんだろうが。人間界で金を稼ぐのは、大変なのかもしれない。
「ご注文の品は、以上でお揃いでしょうか?」
「えぇ、大丈夫です。ありがとう」
「かしこまりました。尚、ブレンドのお代わりは3杯までお承りできますので、必要でしたらお声掛けください」
「あ、そうなんだ。それじゃ、その時はお姉さんにお願いしようかな。という事で……はい、コレ」
彼女の疲れた顔に触発されたという訳じゃないけれど。昨日の打ち合わせ通りに、リッテルの入れ知恵に従ってチップとやらを彼女に手渡す。本当は去り際にテーブルに置くのが、通例らしいのだが。さっきのウェイターの態度が気に入らなかった事もあり、彼女に渡す事にした。
「ありがとうございます。……何かございましたら、お申し付けください。それではごゆっくり」
渡された銅貨を嬉しそうにエプロンのポケットに収めると、深々と礼をしてすんなりと離れていくウェイトレス。付かず離れずの対応にちょっとした心地良さを覚えながら、やってきたコーヒーを手に取ると、湯気に混じって香ばしい匂いが鼻をくすぐり始める。ハーヴェンが淹れてくれた物とは大分違う味と香りだが、これはこれで不味くない。なるほど、これがバランスのいいブレンドってヤツか。
「うふふ……ブレンド、気に入りましたか?」
「うん。やっぱり無駄に甘くないのは、いいな。で、リッテルの方はどう?」
「えぇ、私の方もとても美味しいです。こんな風に街のカフェでデートできるなんて、思ってもいなかったから……この美味しさも含めて、とてもいい思い出になりそう」
「そう? それは何よりだ」
「はい」
はにかんで答えながら、デザートを頬張るリッテルのウキウキした表情を眺めているだけで……何かが満たされていく。この光景は魔界ではお目にかかれない物だったろうし、やっぱり思い切って人間界に遊びに来てよかったな。




