9−61 怪盗紳士グリードと深窓の令嬢(4)
俺がおままごとに付き合うことになったあらましを話してやると、リッテルが膝の上で嬉しそうにクスクスと笑っている。やっぱり、今の話は情けないにも程があるよな。結局、押し切ることも、強引に切り上げることもできずに……年端もいかない人間の姫様に、振り回されたのだから。自分で話していても何だが……あの時の俺は、本当に格好悪かった。
「何だろう、ちょっと安心しちゃった」
「安心? 何がだ?」
「だって、お姫様が可哀想になって助ける事にしたんでしょう? それに……フフフ」
「な、何だよ……」
「是光ちゃんが話していたことが……何となく、分かった気がして」
どうして、この話の流れで是光が出てくるんだ? 是光が何を喋ったって⁇
「えぇ。実はあなたが子供の頃から寂しがり屋で、とっても頑張り屋で……本当は真面目だって事を……是光ちゃん、とっても嬉しそうに話してたわ」
「あの野郎……! そんな無様な事を暴露しやがって……!」
なんてこった。そんな事をバラされたら、ますます格好悪いじゃないか。
「無様? どうして?」
「いいか。努力ってのは、表から見えない方がクールなの。努力はわざわざ誇示するモンじゃねーんだよ」
「そうなの? でも、だって今は……」
「ハイハイ、分かっていますよ。配下や弟子相手に、それなりに威張ってはいるさ。だけどな、俺は1度転落した身なんだよ。どん底からは、とりあえず這い上がったけど……俺はもう、玉座には戻れない。あいつの意思に逆らって、自分で何とかしようと格好悪い努力もしたが。……結局は何1つ、上手くできなかった」
ヨルムツリーにはきっと、ハナから俺を認める気なんてなかったんだろう。都合のいい魔王じゃなくなった時、俺は玉座に座る意義を失った。だから、ルシファーなんぞに負けた俺はポイと摘み出されて……捨てられたんだ。
「俺にはなかったはずの自由を望んだ時点で……失敗作だと判定されたんだろうよ」
そこまで吐き出すと、今度はとにかく悲しくなってくる。
随分前から、分かっていたけれど。必死に目をそらして、逃げていた事。
本当は誰よりも生みの親に認めて欲しくて、格好悪いはずの努力もしてみて……それでも認めてもらえずに放り出された、惨めな記憶。
そんな事まで勢いで思い出して、目を伏せていると、頬に滑らかな黒い手が添えられる。不意に優しく撫でられると、ザラザラしていた傷跡の痛みが少しだけ和らぐ気がした。
「お願いだから、自分のことを失敗作だなんて、悲しいことは言わないで。だって是光ちゃん、とっても誇らしげに言っていたわよ? 今のあなたは誰かを慮る事を……とっても大切な事をたくさん知って、これ以上ない程に王様に相応しい存在だって。あなたが失敗作なわけ、ないじゃない」
「どうだろうな? 自分では十分、失敗作だと思っているけど。生まれてから2800年も経って、ようやくそんな事を自覚するなんて……間抜けすぎるだろ。俺はどこまでも、この真っ暗な魔界に縛られたまんまなんだ。どんな時も首輪が付いている事に気づかずに、しなくていい努力をして。それで転落しても尚、惨めったらしく生き延びて……格好悪いったら、ありゃしない」
「もう、どうして今日のあなたはそんなに卑屈なの? 誰かに優しい事も、頑張り屋さんな事も、ちっとも格好悪くないじゃない。悪魔さんの価値観はよく分からなけど……私はそんなあなたが大好きよ?」
「大好き……か。何だろうな。そんな事を言われたの……久しぶりだから、ちょっとムズムズする」
魔界じゃ基本的に通用しない天使基準で慰められて、嬉しい事を言われて。ちょっとだけ気分が上向くのを感じると、自分はつくづく子供だと思う。我ながら……単純にも程があるだろう。
「それにしても……久しぶりって、どういう事?」
「あっ。うんと、な……さっきの話の続きになるんだけど。姫様を無理やり引き離したり、殺したりしなかったのは……多分、当時の自分に彼女の境遇を重ねてたんだと、思ってだな。結局、妙に離れづらくて……もうちょい、一緒にいる羽目になったんだけど」
「でしたら、怪盗紳士グリードと深窓の令嬢のお話を是非、聞きたいな。どんな素敵な毎日があったのかしら?」
「……ちっとも素敵じゃなかったぞ。俺は姫様に散々、振り回されっぱなしだったし……」
***
「悪魔さんの足、長ーい! 悪魔さんって、みんなこんなにスラッとしてるの?」
「さぁな。他の奴と足の長さなんて、比べた事もなかったし。それはともかく、お前……何してんだよ?」
「悪魔さんが逃げられないように、紐をつけているの」
お粗末な革紐をベルトループに通して満足そうにしている姫様を他所に、俺はヒッポグリフの毛皮を着てこなかった事を心底、後悔していた。装備は適当に呼び出せば事足りるのだろうが、動きづらいマントを脱いだところで、興味津々の姫様に付き纏われている手前……着替えるのも、煩わしい。どうして姫様は四六時中、俺にくっつこうとするのだろう。
「いい加減にしろ、クソガキ。そんなもんで俺を縛ろうとするな」
「……だって、こうでもしておかないと、悪魔さんどこかに行ってしまうかも知れないし」
「約束した以上はある程度、付き合ってやるから、心配すんな。とにかく離れろ。俺はくっ付かれるのが、何よりも嫌いなの……って、オイ! 人の話は聞けよ!」
「悪魔さん、細身なのね。こんなにスリムな男の人、初めて見たかも」
「あぁ、そう……」
姫様は無邪気な上に、かなりの世間知らずらしい。初めて見るらしい「スリム」な俺も興味津々と、360度から全身を眺められると、どうしていいのか分からなくなる。普段から動きやすさを理由に、ピッタリ目の服装をしがちではあるが。今回は裏目に出たみたいで……とにかく居た堪れない。
「でも、全身真っ黒って地味よね? 悪魔さんは黒が好きなの?」
「地味で悪かったな。とにかく、1人にしてくれよ……。俺の趣味嗜好は、お前に関係ないだろ」
「そんな事ないです。だって……暫くの間は、お婿さんになって貰うんだもん」
「俺はそこまでサービスする気はねーんだよ。ハイハイ、退いた退いた」
仕方なしに強引に姫様を振り払い、1人の時間を作ろうと翼を広げて、窓の外に広がる曇り空に飛び立とうとするが……翼も何かに掴まれて、上手く広げられない。本当に、どこまでくっついてくるつもりだよ。
「……お願いだから、どこにも行かないで。せめて、今夜の舞踏会までは一緒にいて欲しいの」
「舞踏会?」
「うん。父上が……カンバラとの親睦も兼ねて、パーティを開くんだって。で……」
「あぁ、姫様のお相手も登場するって事か?」
「相手じゃ……ないです。私は……和親の道具じゃない……」
余程、王子が気に入らないんだろうな。自分が「道具」である事を自覚しつつも、抵抗手段にあろう事か悪魔を選ぶ時点で、かなり切羽詰まっている事くらいは分かる。だけど、成り行きでそうなっただけで、突き詰めれば相手は俺じゃなくてもいいはずだ。この姫様に、好きな奴はいないんだろうか?
「そういや、姫様は他に好きな奴とかいないのか? いくらその王子から逃げたいからって、相手に悪魔を選ぶこともないだろーよ」
「いたけど……」
「あ? いるんなら、話が早いじゃん。だったら、そいつと一緒に逃げられるように手伝ってやるから……」
「死んだわ。……いいえ、殺されたって方が正しいかな」
「殺された?」
「……悪魔さんを呼び出す為の生贄にされたらしくて……」
これまた、辛気臭い事になってんなー……。ロヴァ親父は姫様がそいつを好きだったことも、知っていたんだろう。それで生贄にするついでに、体良く危険因子を処分した……と。意外と抜け目なさそうだな、あのクソ親父。
「……あっそ。で? 他にはいないのか?」
「どうして、他にいないのなんて、質問になるの? ただでさえ、モーリスが居なくなったのが悲しかったのに……」
モーリス? どこかで聞いた名前だな。
俺がつれない返事を返すと、案の定、泣き出す姫様を尻目にその名前に思いを巡らす。そうして、モーリスとやらがヨルムツリーの前で話しかけて来た魂の持ち主だった事にも、気づいた。
「あぁ、最後の最後まで諦めずに沼に沈まなかった奴も……そんな名前だったな」
「沼?」
「その辺の話をしてやるつもりはないけど、俺はそいつにこの場所を聞き出して来たんだよ。今頃はモーリスさんも、大人しく沼の中で魂を食い荒らされてるんじゃない?」
「どうして、そんな酷い事を言うの? 悪魔さんはどうして、そんなに冷たいの……?」
「悪魔だから。以上」
簡潔に答えてやりながら、これ以上は捕まっても敵わないとばかりに、ようやく曇り空に逃げ果せる。色々と答えてやりたいのは山々だが、これ以上相手の事情に踏み込むときっと後悔する……そんな事を考えれば考える程、なぜか胸がズキズキしてくる。その違和感しかない感覚に気づくまいと、仮面越しの世界を見つめるものの。見慣れた魔界の空に似て、どんよりした分厚い雲の姿に……却って、気分が落ち込む気がした。
夢と希望を与えてやるのは、悪魔の所業じゃない。
誰かに冷たくするのは、間違っていないはずなのに……それが悪魔として、正しい姿のはずなのに。それなのに。どうして、こんなに辛いんだろう。
(まぁ、いいか……そんな事、どうだって。夕方には戻ってやればいいんだろうし、このまま一眠りするか。昨日は殆ど眠れなかったし……)
逃げるかもしれないと疑われて、昨晩は仕方なしに呼び出された魔法陣の上で眠る事になったが。当然ながら、寝心地は最悪だった。それでも逃げ出さなかったのだから、褒めて欲しいと思いつつ……悪魔としてはかなりの減点要素だという事にもすぐに気づいて、図らずとも1人で狼狽する。俺……本当に何をやっているんだろう。




