9−52 人は得てして、好奇心の塊
ここは大都市・カーヴェラの市役所。パトリシアがいつも通りに、「住居課」のカウンターで仕事に励んでいると……いつかに見た顔の神父と、見慣れない女の子の2人連れがやってくる。
「おはようございます、パトリシアさん」
「あっ、おはようございます、神父様。ところで、もしかして……」
「えぇ。この子はメイヤと申しまして、例の幽霊の正体です。妖精界からこちらに迷い込んで、精霊落ちになってしまったようで……。それでなくても、元々死者を予見する精霊という事もあり、何かとそういう場所でもある病院に住み着いてしまったみたいですな」
「そ、そうでしたか……」
約束通り、神父・プランシーは、ファントムバスターの顛末を報告しに来てくれたようだ。見れば、穏やかな表情をしている老神父の手を握りしめながら、こちらを見つめている小さな女の子は、すぐに人間ではないと分かる姿をしていた。
「これで晴れて、例の病院は事故物件ではなくなったという事ですね。それは、何よりです」
「ありがとうございます。今後とも、ご相談させていただくことがあるかも知れませんが、よろしくお願いいたします」
「えぇ、勿論です。お住いの事でお困りのことがあったら、ご遠慮なくいらしてくださいね」
幽霊もどきと紹介された女の子が、終始不安な表情を浮かべているのを安心させるように、パトリシアは作り笑いではなく、本心からの笑顔を見せる。小さな子供を幽霊扱いしてしまっていた申し訳なさと、女の子をきちんと受け入れてくれる人が見つかった安堵と。仕事を抜きにしても、こういう明るい話題はいつでも大歓迎だ。
「あぁ、そうそう。ついでと言ってはなんですが……孤児院は設備を整えた上で、来週にでも稼働させる予定です。その上で、折角の設備を生かす意味でも、知り合いのお医者様にも駐在して頂くことになりました。とは言え、もう病院ではなく孤児院になるので……ご相談と言っては、何なのですが。屋号を変えるには、どちらでどのような手続きをすればよろしいのでしょうか?」
「あぁ、なるほど。でも……お医者様がいらっしゃるという事は、病院としても兼用されるおつもりですか?」
「いいえ。あくまでお医者様は孤児達の健康管理のため、お力を貸して下さるだけです。普通の病院のように診察料を頂いたり、営利目的でお越しいただく訳ではありませんから、病院としての施設利用は考えておりません」
「分かりました。そういう事であれば……特定運営業務申請は必要ないでしょうし、隣の窓口で屋号変更の手続きをご案内いたしますよ。……ルーミックさん、大丈夫です?」
「え? あぁ……大丈夫ですけど……」
パトリシアに不意に声を掛けられ、困惑気味に応じるのは、同僚のエリック・ルーミック。彼らの話は聞いていたようだが、何か腑に落ちない部分があるのか、怪訝そうな表情を浮かべている。
「……新屋号はお決まりで?」
「はい。折角ですから、孤児院の本来の持ち主の名前に因む事にしました」
「本来の持ち主、ですか?」
「えぇ。孤児院開業の資金を賄って下さった方でして。その素敵な2人のレディの名に因み……ルシー・オーファニッジと改名したいと考えています」
「……左様でしたか。えぇと、元の屋号はハール・ローヴェン記念病院でしたね。では、こちらに新規屋号名とご署名をお願いできますか。また、改名手続きの手数料に銅貨25枚をこの場で頂きますが……」
「承知しました。では……まず、こちらが手数料です。……それで、ここに署名をすればいいのですね」
そんな事を請け負いながら、素気無く決して安くはない筈の金額をキッチリ並べてくる老神父。その様子に驚きながらも、滑らかな文字を綴る手元を見つめるエリック。彼の手先に妙な器具が付いているのにも、すぐに気がつくが……。
「その人差し指は……?」
「あぁ……そうですよね。気になりますよね。……こちらは義指でして。ちょっとした事故で指を失ったのですが、知り合いに腕利きの絡繰技師がいたものですから。その原理を応用して作って頂いたのが、この義指なのですよ」
「……失礼しました。まさか、そんな物だとは露知らず……」
「いいのですよ。それでなくとも、私自身もこの子と同じ精霊落ちなのです。……奇異の目を向けられるのは、慣れております。そして、その視線の全てに悪意がある訳ではないと理解していますよ。人は得てして、好奇心の塊なのですから。それを満たそうとするのは、ごくごく自然な事です」
先程から他にも色々と気になる事があるのだが、そんな事を言われた手前、踏み込んだ話を聞くのは失礼だろうか。エリックは好奇心とやらをグッと抑え込みながら、粛々と案内を続けるつもりでいたが……。
「そう言えば……本来の持ち主さんって、どんな方なんですか?」
彼らの横で様子を窺っていたパトリシアが、役所では絶対にしてはいけないプライベートに関する質問を、事も無げに老神父にぶつける。先ほどまで随分と親しげだったのが、エリックとしては気になってはいたが。実際のところ、エリックとしてもどんな方なのか……その財源は何なのかが、どうしても知りたかったのは事実だ。
「先日、こちらにお伺いした時に……私ともう1人、若い男の方がおりましたでしょう?」
「えっと……ハーヴェン様でしたっけ?」
「えぇ、そうですよ。実は出資者の片方はハーヴェン様の奥様でして。奥様は上級貴族、旦那様はかなり腕の立つ剣士だったようです。その剣を今は包丁に持ち替え、素敵な奥様のために、毎日美味しいお料理を作っているのだとか」
不躾な質問にも気分1つ害さず、プランシーが打ち合わせていた通りの内容を尤もらしく説明すると、彼の話がしっくり腹に落ちると感嘆の声をあげる役所の職員2人。そうして……彼の申告が人間界で過ごすための方便だという事も知らずに、素直に納得するパトリシアと、今度は穿った考えに思考を染めるエリック。
(要するに……孤児院開設は貴族様の道楽ということか?)
彼の説明に鼻持ちならない気分になりながら、2枚綴だった書面の利用者控を切り離して、封筒に包んで老神父に渡すが……エリックの心中の靄は深くなる一方だ。
とは言え、それも仕方のないことかもしれない。営利目的でもないのに医者を呼び寄せる時点で、その道楽は度を越しているとしか言いようがないのだから。
ここルクレスでは医者にかかるのはそれこそ、貴族でもない限り不可能な事なのだ。特に地面もお高いカーヴェラでは、小さな診療所で申し訳程度の診察を受けるだけでも、少なく見積もっても銅貨10枚程度があっと言う間に財布から消える。
平民街の住人の平均月収は大凡、銅貨60枚程度。毎日の食事もままならない者が多い中で、銅貨10枚の診察料は診察内容もよく分からない患者にしたら、ボッタクリもいいところだろう。そんなある意味で、有力な財源にもなり得る医者を……孤児たちの健康管理のためだけに駐在させるのは、明らかに途方もない話だった。
「では、看板の方はこちらで書き換えておきますので、お手続きをよろしくお願いいたします」
「かしこまりました。本日は……ご利用ありがとうございました」
「あ、またお話を聞かせてくださいね! メイヤちゃんもまたね〜!」
「本日は長々と、お邪魔致しました。ほら、メイヤもお姉ちゃんにバイバイは?」
慇懃な対応に徹するエリックの一方で、人懐っこい表情でメイヤに小さく手を振るパトリシア。人見知りが激しいと見えるメイヤが老神父を見つめた後、しっかりと頷いて反応するとぎこちなく、でもはにかんだ様子でパトリシアに手を振り返す。そんな彼女の様子に、老神父が嬉しそうな顔をした後、一礼して部屋を後にするが……。
「ミカエリスさん、ちょっと今のは……馴れ馴れしすぎやしませんか?」
「えぇ? そうですか? まぁ、いいじゃないですか。メイヤちゃんも手を振ってくれてましたよ? それに神父様もあんなに嬉しそうに……お仕事とは言え、こうして子供に接するのは楽しいですね。フフ、メイヤちゃんこれからは泣かずに済むのかな」
終始あっけらかんとニコニコしているパトリシアを横目に、エリックは深いため息をつきながら、手元の書類の後処理に取り掛かる。
下級貴族出身の上に、何やら兄が売れっ子作家らしい彼女には、生活の苦労はあまりないのだろう。娘2人を抱えて毎日の生活にピリピリしているエリックにしてみたら、その能天気さが妙に気に食わない。
役所の給金は決して悪くはないものの、平均所得に毛が生えた程度の金額ではちょっとした贅沢……それこそ、娘達の誕生日にケーキとプレゼントを満足に用意してやる事もできない。妻も街のカフェで給仕として働いてはいるものの、幼い子供がいる事もあり、長時間の勤務は難しい。短時間勤務の彼女の収入は、雀の涙程と言っていいだろう。そんな家計の不安を抱えているエリックにとって、パトリシアの前向きな明るさは眩しすぎるのだ。
(それに……例の孤児院の子供達は、タダで医者にかかれるということだよな? それだけの資金があるということは毎日の食事にも、苦労もせずありつけるということだろうか?)
一生懸命働いている自分の娘達は贅沢も許されないのに、あろうことか身寄りがないというだけで……厚遇に恵まれるらしい孤児達の境遇に、いけない事と分かりつつ、腹が立って仕方がない。そしてその厚遇を生み出しているらしい奥様とやら……貴族というだけで、孤児院への多額の寄付という散財が許される……の存在に、覆せない明らかな理不尽を見せつけられたような気がして、エリックはただただ苛立ちを覚えていた。




