2−2 余計なサプライズは誰も望んでいない
ふわトロ卵のオムライスに、滑らかな口当たりのヴィシソワーズ。そして……鮮やかなパプリカを使った、蛸とエビのアヒージョ。今日も丁寧に作られた夕食がテーブルに並ぶ。デザートのかぼちゃプリンは、小さめのかぼちゃをそのまま器に利用していて、見た目も可愛らしい。
「で、エルノアは元気だったぜ」
「お前……あの鍵を使ったのか?」
「いや、留守番で暇だったし。エルノアの様子も気になったし……さ」
つい、責めるような口調になってしまったが……ゲルニカもそのつもりでハーヴェンに鍵を渡したのだろうから、別に怒る必要はないだろう。それに、私もエルノアのことが気にならない訳でもない。
「……そうか。まぁいい。エルノアが元気だと分かって、私も安心している」
「だろ?」
「まぁな」
そこまで話を進めたところで、微かにドアを叩く者がある。陽はとっくに落ちているし……もしかして、町に入りそびれた旅人とかだろうか? それならば、魔禍に襲われてもいけないし……中に入れてやるべきだろう。
「ハーヴェン。すまないが、出てやってくれないか?」
「了解」
そうお願いすると、ハーヴェンが快く返事をしながら玄関に向かう。
「はいは〜い。どちら様でしょう?」
「すみませぬ。こちらにマスター・ルシエル様はご在宅か?」
「お? 確かに、ルシエルはここにいるけども……う〜ん。まぁ、いいや。とりあえず、中にどうぞ」
そうして耳を澄ませば、玄関からそんなやりとりが聞こえてくる。私のことをマスターと呼んでいる時点で、普通の旅人ではなさそうだ。だとすると……はぐれ精霊か何かだろうか?
「ホイホイ、こちらにどうぞ。今、お茶を淹れるから待っててくれな」
ハーヴェンに案内されて現れたのは……浅葱色のローブに身を包み、長い髭を蓄えた老人と、1歩下がって控えるように佇む小麦色の肌の美女。両方とも頭に角があり、尻尾が生えている時点で……どう頑張っても、人間ではなさそうだが……。
「夜分遅くに、申し訳ございません。クソジジイがどうしてもルシエル様にお目通り願いたいと……ワガママを申しまして。少しお話をいただければと思い、参りました」
「もぅ〜、エメラルダ。ワシのこと、クソジジイとか呼ぶのやめてちょうだいよ。昔みたいにお爺ちゃんって、呼んでくれないかの〜?」
「……うるさい、クソジジイ」
エメラルダと呼ばれたお付きの美女は、私への言葉こそ丁寧だが……老人に対して、随分と手厳しいらしい。お爺ちゃんと呼んで、と言われている時点で孫なのだろうか?
「とにかく、お掛けください。今、お茶も入ります」
「お、すまんの〜。いや〜、久しぶりに長距離を飛んだから……ちょっと疲れたわい」
口調からして、老人の方は茶目っ気のあるタイプのようだ。堅苦しい雰囲気のエメラルダとは対照的なのが、絶妙なバランスなのかも知れない。
「は〜い、お待たせしました〜」
そんな事を考えていると、いつもながらに素早い手際でハーヴェンがお茶を4人分持ってくる。ラテボウルに注がれたお茶は、チャイ仕立てらしい。ふんわりと立ち上る湯気に混じって……エキゾチックなスパイスの香りが、余すことなく鼻を擽る。
「そう言えば、そなたがハーヴェン殿? いやぁ、エルノアちゃんに聞いていた通り、なかなかの男前じゃのう。ゲルニカといい勝負じゃわい」
「エルノアが俺のこと、そんな風に言ってたんですか?」
「そうじゃよ〜。今日の夕方、エルノアちゃんのお見舞いに行ったのじゃが。あの子はお前さん達のお陰で、人間界でも元気でいられたようでな〜。本当に楽しそうに、こちらのことを話してくれての」
「私もとても興味深く聞かせていただいておりました。こちらでの生活はプリンセスにとって、とても刺激的だったようですわ」
その横でエメラルダが丁寧に感想を追加する。エルノアのお見舞いをしている時点で、おそらく相手は同じ竜界に住んでいる者ということだろう。と、すると……。
「もしかして……あなた達も竜族、ですか?」
「そうじゃよ〜。あぁ、すまぬ。ワシ、まだ名乗っていなかったっけ。ワシはオフィーリアと言う。よろしくの〜」
「オフィーリア……様?」
どうやら、彼の名前に心当たりがあるらしい。ハーヴェンが相手の正体を解説してくれる。
「そういや、ゲルニカの奥さんが言ってたな。オフィーリア様と言えば、地属性のエレメントマスターだったっけか? でもって、竜族の長老様とかなんとか」
「あちゃ〜、テュカチアちゃん、ワシのこと喋ってたの? いやぁ〜……後からエレメントマスターでした〜、ワシって密かにすごいのよ〜……ってやりたかったのに。なんだ、つまらんのぉ……」
「そういう余計なサプライズは誰も望んでいないし、誰も喜ばない。大概にしとけよ、クソジジイ。……クソジジイが色々と失礼をいたしまして、申し訳ありません」
「もぅ〜……エメラルダはイケズなんだから」
「い、いえ……」
長老様の割には軽いノリのオフィーリアと、彼への牽制に毒のあるエメラルダ。何となく、ちょっとした漫才を見ている気分だ。
「にしても……長老とかって言うからには、もっと偉そうで取っつきにくいのかと思ってたよ。エルノアが懐いている時点で、悪い奴じゃないだろうと思ってはいたけど……ここまで弾けているなんて、なぁ」
「そう? ワシ、弾けちょる?」
あの能天気なハーヴェンがちょっと引き気味で対応するほどに、オフィーリアのテンションは老人のものとは思えない。そう言われて、キャピキャピはしゃいでいるオフィーリアだったが……。
「……ハーヴェン様は褒めてないと思うぞ。ちょっとは落ち着けと言いたいんだ、クソジジイ。……にしても、このお茶、美味しいですね。なかなか竜界では味わえない風味です」
鋭い切返しをしながらも、出されたお茶が気に入ったらしいエメラルダ。なんだろう……私達への態度が丁寧な分、長老様に申し訳ない気分になる。
「そか? そいつはゲルニカの奥さんからもらったお茶に、スパイスを混ぜてミルク出しにしたものだぞ」
「なるほど。お茶にもこのような楽しみ方があるのですね。やはり……ここでの生活はとても興味深いです」
「やはり?」
話のまとまりが見えない中で、エメラルダの言葉にひっかかりを覚えた。それを察したらしい、オフィーリアが一息つくと、今日の本題らしい内容を説明してくれる。
「実はの、こうしてやってきたのには……ちょっと興味本位で、色々と確認しに来たのじゃ」
「確認……ですか?」
「ふむ。未来の我々の女王候補を預けるのに、こちらは相応しい環境なのかを、な」
先程までのおちゃらけた雰囲気とは、別物の真剣な空気。場の空気が急に冷め始めたのを、咄嗟に感じ取ったのだろう。お爺ちゃんが冷やしてしまった空気を窘めるように、慌ててエメラルダが註釈を加える。
「もちろん、あなた様方を疑っているわけではありません。クソジジイは人間界の空気感を確認したかったらしくて。……人間界は時間の速度こそ竜界とほとんど変わりませんが、魔力の濃度は桁違いでしょう?」
……そういうことか。
確かに、人間界はかの「魔力崩壊」で魔力を失いつつある、燃えかすのような窶れた世界だ。そんな異世界に彼らの大事な虎の子を預けていいものか、判断しかねたのだろう。
「プリンセスの父親でもある、ゲルニカ様の判断を疑うわけではありませんが。クソジジイ曰く……女王殿下の補佐役として、現在の人間界の空気感を肌で感じる必要があるとのことでして。こうして、押しかけてしまった次第なのです。……本当に申し訳ございません」
「もぅ〜、クソジジイはやめてちょうだいよ。これでも一応、長老なのよ? ワシ」
「黙れ、クソジジイ」
いつもこの調子なのかは分からないが、彼女の疲れた様子を見ると……ちょっとテンションが高めの長老様を落ち着かせるのに、苦労しているといった風情だ。彼女の苦労がため息となってふぅ〜、と口から深く漏れる。
「それで? ここは大丈夫そうだって、判断になりそうかい?」
彼らのヘンテコなやり取りを一頻り見守った後、ハーヴェンが切り込む。こういう時、彼は普段の戯けた言動とは裏腹に、抑えるべきポイントはきちんと抑えてくるのだから、つい感心してしまう。
「ふ〜む。魔力の薄さは……ちょっと不安じゃの。人間界の魔力は想像していた以上に薄い。でも、ここにはそれを補う手段があると確信したよ。うむ、ホームステイ先が君達のところであれば……大丈夫じゃろ」
「そうですね。こうして補填率の高いお茶がすんなり出てくる時点で、魔力不足はあまり問題にはならないでしょう」
「あとは、守り手の問題だが……なんでも、ルシエル様はゲルニカと契約済みらしいの?」
「えぇ。成り行きではありましたが、万が一があれば呼び出しに応じてくれるそうです」
「まぁ、あれでゲルニカは竜界最強じゃからの。ちと温厚すぎる嫌いがあるが……」
なんとなく、予想はしていたが。ゲルニカは竜族の中でも、相当の実力者だったのだ。つくづく……本当に私ごときが契約主で良いのかと、自問してしまう。
「エルノアが父さまが1番だもん、って言い張ってて奥さんを困らせてたけど。……間違いじゃなかったんだな」
「ホッホ。そうであったか。エルノアちゃんは本当に、父さまっ子だからの。とは言え……エルノアちゃんのためだからと、ゲルニカをホイホイ呼び出されてしまうのはちょっと、不味くての。何しろ、あやつは竜界で瘴気を払うのも1番上手いのじゃよ。最近は他のエレメントマスターの領域にまで、一大事とあらば遠征しておる」
困ったものじゃ、とオフィーリアがため息をつく。
「いえ、私もおいそれとゲルニカ様を呼び出すつもりはありません。ハーヴェンもおりますし、余程のことがない限り、彼を呼び出すことはないでしょう」
「大抵のことは、俺1人でなんとかなるよ? その辺はそこまで心配しなくてもいいぜ」
「じゃろうな。ハーヴェン殿も相当に強いと聞いておる。そこに関しては無論、そこまで心配はしておらん。じゃがの……1人だと、手が足りなくなることもあるだろう?」
「それはそうだけど……さ」
「そこで、じゃ。今回は地属性の竜族も一口乗ろうかと思っての。なぁ、エメラルダ?」
「……?」
オフィーリアに水を向けられて、今度は毒を吐く事なく素直に応じるエメラルダ。彼女もまた……要所はきちんと抑えるタイプのようだ。
「そういうことですので、今回は私が白の樹海代表で、ルシエル様にお仕えする所存であります」
「はい? そもそも……白の樹海代表って、どういうことでしょう?」
そのキーワードに「あ」と、隣で声を上げるハーヴェン。何やら……白の樹海についても、情報を持っているらしい。
「ゲルニカの奥さんに教えてもらったんだけどよ。竜界は東西南北で、エレメントマスターが領地を統治しているんだと。で、白の樹海っていうのは、長老様のお膝元らしい」
「お、ハーヴェンちゃん、詳しいのぅ。その通りじゃよ〜」
手のひらをハーヴェンに向けるオフィーリア様に、ハイタッチで応じるハーヴェン。波長が合うって、こういうことをいうのだろうか。この短時間にここまで仲良くなれるって……ある意味、すごいな。
「しかし、ハーヴェンちゃんとは初めて会った気がせんわい。……ふむ、どこかで会ったような気がするが。本当に初対面かのぉ?」
「う〜ん……多分、初対面だと思うよ? 記憶はないにせよ、俺自身は元人間だからなぁ……。どう考えても、竜族の知り合いはいなかったと思うし……」
「……ふむ、ワシの思い過ごしかの。ま、それだけハーヴェンちゃんとは仲良くできそうって事なのかもしれんの」
「確かに……長老様とは、俺も仲良くやってけそうな気がするぞ」
2人で意味ありげにニヤニヤする、長老様と悪魔。そんな妙な雰囲気のやりとりを断ち切るように、オホンと咳払いするエメラルダが話を元に戻す。
「とにかく、私もルシエル様の手札に加えていただければと思いまして。……私はオフィーリアの曽孫に当たります。王族としての力は引き継いでいませんが、暗殺術の心得があります。それこそ……ゲルニカ様ほどご多忙ではありませんし、何かあればお呼び出しに応じますわ」
暗殺術? 随分と物騒な特技だな。……美しい薔薇には棘があると、よく言うが。彼女の場合、棘どころじゃ済まないだろう。
「俺はいいと思うよ?」
彼女の申し出に私ではなく、ハーヴェンが飄々と安請け合いをする。前回もそうだったが、また押し切られてしまいそうな勢いだ。……最近、エルノア繋がりで竜族との契約を量産している気がする。
「エメラルダは地属性なんだろ?」
「えぇ、その通りです」
「俺達の中に、地属性の魔法を使える奴はいない。防御が得意な属性でもあるわけだし、力を借りたらどうかな?」
「しかしだな、私は中級天使だ。最強の精霊とまで言われる竜族と、大量の契約を結んでもらえる器は持ち合わせていないんだよ」
「別に、いいじゃねぇか。味方は多いほうがいいだろ? それに、最強クラスの精霊様が契約してくれるって言ってるのに、断るとか。何様だよと、俺は思うわけ」
「……それもそうだが……」
「大丈夫さ。お前が彼らの契約主として不足がないのは、俺が1番、知ってる。お前は契約した精霊をぞんざいに扱ったりしないだろ?」
相変わらず、自前の理論で前向きに励まされたところで、意固地になっても大人気ない……か。
「……分かりました。私でよければ、契約をお受けいたします。是非……よろしくお願いいたします」
「ありがとうございます、マスター・ルシエル。では早速、契約の祝詞をお預けいたしますわ。……私の名はエメラルダ。契約名ユランの名において我が鞭をマスター・ルシエルのために捧げることを誓いましょう」